ドクターの生き甲斐
ドクターは、ガラが悪いし悪役顔だが、優秀な医者だ。
彼女ほどの医療系魔法使いに常駐して貰えるのは、こんな秘境の温泉宿においては心強い事この上ない。
ちょいと医者を呼びに行く、という訳にはいかないのだ。
従業員も含めた急病人はもちろん、最近は病人や怪我人のお客様も増えた。
温泉は、地球でも魔法とさえ言われるほど効能があり、医学が発達した現代でも、湯治は治療の選択肢だ。
私がこちらの世界に来てから十年以上経つが、それは変わっていないだろう。
こちらの世界に存在する回復魔法は、恐ろしく有用だが、決して万能ではない。
温泉だってそれは同じだし、魔法のある世界でも、浸かればなんでも治るような泉はない。
それでも、血行を良くし、魔力を回復させ、治癒能力を高め、ひとが本来持つ力を引き出す手助けはしてくれるのだ。
温泉の治癒効果目当てのお客様も、目立つようになった。
うちはこだわりの宿なので、必然的に高級路線だが、絶対数が限られている優秀な回復魔法持ちに依頼する事を考えれば、割安と見る事も出来る。
もちろんご飯も美味しいし、サービスも行き届いている……と自負している。
ドクターが私の隣、ベッドの縁に腰掛けると、バーゲストが後を追うようにベッドに上がる。
そして彼女の膝の上に頭をのせた。
ドクターがそっと手を伸ばし、優しい手つきで頭を撫でると、黒犬さんは目を細めた。
彼女も目を細める。
「あー……もう、いつ死んでもいい……」
満ち足りた顔。
こんな緩んだ顔のドクターは、リズさえも知らないだろう。
しかし。
「……ドクター。あなたが言うとそれ、洒落になりませんから」
「無茶したツケだ。後悔はしてねえよ」
ドクターが軽く言う。
しかし、彼女の身体はボロボロだ。
『医者の不養生』……とは、言えない。そんな風に責める事は、出来ない。
身体の限界を超えた、高度な魔法の連続使用。……一人でも多くを生かすために、死に手を突っ込んで、引きずり戻すような無茶。
ただ、そう出来るから。目の前で誰も死んで欲しくないから。
そんな純粋な気持ちで、限界を超えた……『無茶』をした人の事を、私は責められない。
"悪魔の誘惑"を常用しているのは痛みを抑えるため。
目の下の隈は、慢性的な疲労だ。
味覚にも影響が出ていると言う。
何も言わず、じーっと彼女を見ると、ドクターはきまりが悪そうに身じろぎした。
「……分かった。ちゃんと温泉は浸かるから。食事も無理のない範囲でするから。だからそんな顔すんな」
彼女が真顔になる。
「約束ですよ」
「……死んでられるかよ」
そして、にへ、と頬を緩めるドクター。
耳も下がって、リラックスした表情だ。
「いやあ。現役時代は、毛が付くから動物に触った事とかほとんどなかったんだが、こんな幸せがあったとは」
ドクターがいなければ死んでいた人が、何人いるだろう。
彼女は『生涯現役』を貫こうとした。……それは、彼女の選択だ。
ドクターは人を救える力を持ち、それを自分のために使うと決めた。
彼女は、自分が助けたいから医者をやっている、と明瞭に断じる。
助けられる人がいて、助からない人がいる。
それでも、生と死に優先順位を付けながら、意地を通すのが医者の役目だと。
……助けられない死を、間近で見て。
感謝される事ばかりではなくて。罵られる事さえあって。
それでも。
……幸せそうだから、いいのかな。
彼女が、趣味……というか生き甲斐を見つけた事は喜ばしい。
「サービスです」
スカートを振って、黒妖犬を、もう二匹追加した。
暖めるように、するりと彼女に寄り添う黒犬さん達。
「私を殺す気かお前は……もう」
と言いつつ、極上の笑顔のドクター。
いつも浮かべている表情が、他の要素と相まって完璧に悪役顔なので、こんなの向けられたらギャップで惚れそう。
「全く仕方ない奴だ」
仕方ないのは、どっちなのだか。