ガラが悪くて悪役顔のドクター
休憩時間に、大部屋に向かう途中で、ダークエルフに声をかけられた。
「デイジー、ツラ貸せ」
「……あ、ドクター」
ガラが悪い。
次に目つきが悪い。
最後に悪役顔。
かつて病と毒の王を名乗り、非道の悪鬼にして人類の怨敵とまで呼ばれた私が言えた義理ではないのだが、彼女……"ドクター"は、そういう表現がぴったりの女性だった。
濃い褐色肌と、それと対照的な、色褪せて銀を通り越して白に近い金髪に、金縁眼鏡。
実はメイド服の一部である、紺のシャツとスカートに白衣を羽織っている彼女は、あだ名通り、リタル温泉付きの医師だ。
高度な医療系魔法使いであり、戦時において回復魔法の有無は、文字通り生死を左右する重要な要素。
後方での治療メインとは言え、先の戦争においても、"第七次リタルサイド防衛戦"とそれに続く撤退戦、"イトリア平原の戦い"に軍医として従軍し、多くの命を救ったと聞いている。
「『働き甲斐』が『切れた』。出すもん出してもらうぞ」
しかしガラが悪い。
ツリ目に、目の下にがっつり隈。真っ白で清潔な白衣のポケットから出した乾燥ハーブ……通称"悪魔の誘惑"をガジガジ噛む。
合法だ。
たとえ、一枚を一樽に入れるだけでダークエルフや獣人を酔わせられるだけの力を持ち、睡眠魔法よりも確実な麻酔手段として使われる事があろうとも。
妙に仕入れ枚数が多いと思ったら、個人用だった。
初めて彼女が"悪魔の誘惑"を噛んでいるのを見た時は思わず横領という言葉が頭をよぎったが、医務室の備品ではなく私物扱いだったので、文句を言う筋合いはない……のだけど。
合法だけど。
「……ドクター。医者の不養生って言葉、知ってます?」
「当たり前だろ」
知ってる事と出来る事は違うのだなと。
「ほら、医務室行くぞ医務室」
乾燥ハーブを口の中から出すと、唾が糸を引き、それをぺろりと舐め取った。
どことなくエロい。
犯罪組織の情婦と言われたら信じる。
いや、むしろ黒幕まである。
「"点火"」
ぼっ、と彼女の指先に挟まれた"悪魔の誘惑"に火がつき、跡形もなく燃える。
「おーし、行くぞー」
ドクターが両手を白衣のポケットに突っ込み、紫煙がまとわりつくのを散らしながら、付いてこいとばかりにずかずかと歩き出した。
医務室の扉を開けると、私を手招きし、突き飛ばすように部屋に入れ、後ろ手にドアノブを回し、ロックする。
トラの檻に放り込まれたウサギの気分。
トラの檻だったら、肉片や血痕が残っていそうだが、医務室は清潔そのもので、塵一つ落ちていない。
ドクターはすたすたと机の前まで行き、どかっと丸椅子に腰掛けた。
「一応診察の真似事もしとくか? ほら座れ、支配人さんよ」
「真似事ってそんな」
「……真似事だよ」
それ以上何も言えず、彼女の向かいの丸椅子に大人しく座る。
彼女は私の手を取って、軽く手首を握った。
「あー、気分は?」
「悪くないです」
「変なとこは?」
「特には」
「メイドさんは好きか?」
「大好きです」
「嫁さんの事は」
「愛してます」
「よしオッケー」
私の手を放り出し、自分の両膝を叩くドクター。
これ、本当に診察なのだろうか。
確かに、真似事かもしれない。
「おし、ベッド行くぞ」
立ち上がると、もう一度私の手首を、先程よりかなりぞんざいに掴み、医務室のベッドに私を連れて行くと、乱暴に座らせた。
眼鏡越しに、細められた目が座った私を見下ろす。
「……ほら、出すもん出せ」
「……はい」
私はベッドに腰掛けたまま、スカートの裾をつまんだ。
「早くしないと、人が来るぞ」
私はスカートをゆっくりと上げる。
「焦らしやがるな……」
ドクターの口元が、歪められた。
笑っている。……この人の、こんな楽しそうな姿を知っているのは、私だけだ。
ぞるり、とスカートの陰からこぼれ落ちた黒い影が、黒い犬の形を取った。
ドクターがゆっくりと、神を前にひざまずくように膝を突き、黒妖犬をぎゅっと抱きしめる。
そして、ふーっ……と大きく息を吐いた。
「あー……このために働いてるわー」
リタル温泉で、一番ガラが悪い人を選べと言われたら、私はドクターを選ぶ。
そして、一番黒妖犬を好きな人を選べと言われたら……私は、迷う。
自分だと言いたいのだが、その私でさえ判断を迷うほどに、彼女は黒妖犬の事が好きだ。
私は好きな人を除いても、可愛いメイドさんとか熱いお風呂とか美味しいご飯とか好きだが、彼女は他に好きと言える物がない。
食事に不満は言わないが特に楽しそうにはしていないし、温泉も同様。浸かっている時間は長いが、好きとは少し違う。
見た目からは意外だが、酒は一滴も飲まない。
よって……彼女はリタル温泉において、私と一、二のもふもふ好きを争っている。
おそらくは、あのカトラルさんをも超える逸材だ。
『常軌を逸した動物好き』(部下談)のカトラルさんは、魔獣師団の長を務め……趣味と実益を兼ねている。
しかしドクターは、他に事情があるとは言え、彼女ほどの魔法・物理、両方の医療の技に長けた医師としては破格の――タダ同然の――契約金を提示した。
たった一つだけ、特別な条件を付けて。
それが、可能な限り黒妖犬をモフらせる事。
するりとドクターの手を離れたバーゲストが、ひょいとベッドに飛び乗り……白いシーツの上で、ごろんとお腹を見せて寝転んだ。
そして彼女に向けてくり、と首を傾げて見せる。
ドクターは何の躊躇いもなくベッドに飛びつくようにして、腹毛に顔を埋めた。
私も、もう一匹バーゲストを出して頭を撫でる。
「……ドクター」
「んー?」
腹毛から顔を上げず、さらに手は腹毛と首元に手を伸ばしながら返事をする器用さを見せるドクター。
「職場の満足度とか……どうですか?」
さすがに腹毛から顔を上げて、返事をした。
「『働き甲斐』がある限り、死ぬまでここで働いてやるから安心しろ」
ちなみに彼女の言う『働き甲斐』は、バーゲストを思うさまモフる事だ。
黒妖犬も、基本的に自分達の事を好きな人が好きだし、楽しそうにしている。
いっそ常時一匹付けようか、いや、二、三匹と一緒に暮らして多頭飼い気分を味わってはどうかと言ったら、口元を押さえた。
何かと思えば、鼻から血を流し、口からも血を吐いたので焦った。
彼女が言う事には「刺激が強すぎる。私を殺す気か。後、そんな状況でまともに働ける訳ないだろ」と。
こう見えて、腕は確かなのだが。