EX21. シーズンオフの支配人
厳冬期は、リタル温泉にとってのオフシーズンでシーズンオフだ。
行き来が可能かどうか、という一点で言えば、不可能ではない。リベリットシープの脚は強靱だ。
しかし、リタル山脈が、何故国境線として機能したかと言えば、それが夏季でさえ、大軍による山越えを拒むほどの険しさを持つ山だったからだ。
事故のリスクは、ゼロにはならない。登山ルートの選定と、天候不順の場合は『運行』中止も視野に入れているからこそ、まだ事故らしい事故は起きていない。
それに関連して、ふもとの村が、じわじわと大きくなりつつある。
一息ついたり、山頂行きの便が欠航した時に、予約の振り替えを待ったりする滞在場所が必要とされたからだ。
いずれ、下の村も込みで『リタル温泉』と呼ばれるようになるかもしれない。――地球の有名な温泉地が、そうであるように。
私とリズも、山を下りた。
山の上には、保守点検の人員を残しているのみ……と言いたいのだが、結構残っている。
行動の自由がなかったり、既に家がなかったり、宿代さえ払えない――あるいは払いたくない――ような事情を持っている人達だ。
ただ、リタル温泉の従業員にとっては、むしろそれぐらいの事情がある方が普通とも言う。
ルールは一つ。『なるべく突っ込んだ話はしない』。
話したいなら話せばいいが、それを探ったり利用したりといった事は許さないと伝えてある。
皆、それなりの事情を抱えているから、よく守られているようだ。
私が、下山してまず向かったのは自宅。
従業員集めの合間にちょくちょく戻ってはいたのだが、長期間留守にしていたので空気がよどんで、どことなく埃っぽい。
なのでリズと共に窓を開け、掃除して、ご近所さんに挨拶し……と働いていると、お休みなのに仕事している気分。
メイドさん雇いたくなる。
私は、リタル温泉に戻れば支配人という名のメイドであり、リズに至っては今もメイド服なので、実際そうしたら意味の分からない絵面になるだろう。
夜になったので、手分けして開け放していた窓を閉め、リビングに戻る。
「とりあえず、片付きましたね」
「うん」
リズの淹れてくれたお茶を飲みながら、一息つく。
片付け中は隠れていたバーゲストがローブの陰からこぼれ落ちて、膝の辺りに頬を寄せてきたのを、手を伸ばして撫でた。
「夕食にしましょうか。シチューがありますよ」
「……え? いつの間にメイドスキルが進化した?」
「進化ってなんですか」
呆れ顔になるリズ。
「いや、だって……シチュー仕込んでる時間とかなかったよね? 四六時中一緒にいたわけじゃないけど……掃除してる姿を……見て……た……」
自信がなくなってきた。
「あれ……。幻……? 私もしかして一人きりで、メイドさんなんていなくて……結婚したのも、ただの夢……だったんじゃ……」
ふっと、現実と幻想の境界が揺らいだ。
手を見ると、薄く透けている。
ああ、私がこの手に掴んだ物なんて、本当は何一つ――
「戻ってきて下さい。現実ですよー」
リズの呼びかけに頷く。
透けているのは、もうかなり前からだ。
「……うん。大丈夫。たまにちょっと不安になるけど」
「本当に大丈夫なんですかそれ」
ジト目のリズ。
「だって、ねえ? こんなに可愛くてよく出来たお嫁さんがいるなんて現実とは思えなくて」
「べ、別に普通ですよ」
リズがわざとらしくお茶を飲んで、緩んだ口元をカップで隠しながら、マフラーを忙しくぴこぴこさせる。
「それを言うなら……私も、そんな風に思う事がないでもありませんが。だって、最高幹部に副官としてお仕えしていたら、プロポーズされたんですよ」
「シンデレラストーリーだねえ」
「しんでれら?」
きょとんとするリズ。
「……気にしないで。私の故郷のおとぎ話だよ。薄幸の女の子が、王子様に見初められて成り上がる感じの」
私の故郷は遠い地球だ。
どういう変換がなされているかは分からないが、ことわざや言い回しなど、通じる物も多いので、つい忘れがちだが。
ここは、私の生まれ故郷ではない。
呟いた。
「……遠い所に嫁いだ気分だよ」
「嫁が二人ってのもややこしいですけどね」
「名字的には私が『嫁』だね」
私が名乗っている名前はデイジー・『フィニス』。
まだちょっと自分の物になりきっていない、それでも、結婚直後に比べれば随分と馴染んできた名前の名字は……彼女からの貰い物だ。
「それでリズ。一体どんな魔法を? "煮込み料理生成"開発に成功して魔法史に名を刻むの?」
「それは"病毒の王"の方ですけどね。"粘体生物生成"の殺傷力・応用性を限界まで引き出した――とかなんとか」
「何それ」
「使うのも使われるのも、想定しなければならないようになりましたよ。軍人ならば必修の歴史です。ねえ、"粘体の王"様?」
「懐かしいネタを」
戦後、あのイトリアを冗談に出来るほどの月日が経ってから、リズに話した事のあるネタだ。
「噂では、這いずった跡に毒粘液を残していくとか」
「ナメクジかカタツムリ?」
風評被害も甚だしい。
"病毒の王"は、もういない。
しかし、中の人としては複雑。
「……実態を知っている者が、面白おかしく語るので、そこに尾ひれが付いて色々と凄い事に」
「面白おかしく……か。私が掲げた方針だけども、それもどうなのかと」
頬杖を突く。
正体がバレないためには、噂が実態から遠いに越した事はない。
面白おかしく語ろうというのは、むしろ気遣いだろう。
ただ……やっぱり、少しだけ複雑、だ。
「ええ。ぬめぬめした粘体に浸かる事を楽しみ、黒妖犬の群れの長としてその毛に埋もれるようにして眠り、暗殺者を常にそばに置いているとか」
「事実しかないよ」
……少し……いや、かなり複雑。
思った以上に正確だった。
典型的な『嘘は言ってない』理論。
私は常々、真実を語る事と、真実を分かりやすく伝える事は違う――と言い、なるべく報告や伝達も、分かりやすい表現にするように、と伝えていた。
特にサマルカンド。
隙を見て私を表現する言葉を過剰に装飾するので。
――本当にみんな成長したんだなとしみじみ。
「それで、シチューは出前ですよ。近所の……ほら、あのうさぎの店です」
「ああ、あの看板が可愛い」
リストレアの看板は、アイコニックな物が多い。
絵を描く事もあれば、モチーフを、鉄の棒を曲げて溶接したり、木を切り抜いたりして表現する事もある。
フォークとナイフが飲食店にはよく使われるモチーフだ。くだんの店は、それと一緒にうさぎさんも付いた、黒い鉄製看板が吊されていた。
「久しぶりに帰ってきたなら、ご飯作るの面倒じゃありませんかーって」
「商魂たくましい」
「寸胴鍋渡して、夕食分を入れてもらいました。明日の朝食も出前してくれるそうですよ」
「営業努力は見習うべきかな……」
ニーズの把握が、実に的確だ。
リズが笑った。
「今は、仕事忘れてもいいんですよ。――支配人?」
「はーい、総支配人」
くすくすと笑い合う。
席を立ち台所へ向かうリズの後を、バーゲストと一緒に追った。
「後で、一緒にお風呂入ろうね。二人きりって、久しぶりじゃない?」
「ええ。……朝食の出前は、少し遅めでお願いしました」
それは、つまり。
リズが立ち止まり、ぶつかりそうな位置で私が止まると、彼女はぽすん、と背を預けてきた。
振り返りながら、私の目をじーっと見る。
「……二人きり、ですからね」
「……うん」
リズのお腹の辺りに腕を回し、抱きしめる。
自分の腕の中にリズがいる幸せを噛み締めながら、目を閉じた彼女の唇に、そっと自分の唇を重ねた。




