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病毒の王  作者: 水木あおい
EX

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EX20. 毒蛇のいる温泉宿


 窓の外は、吹雪いてきていた。

 冬が、深まってきている。


 リタル山脈の山頂は常に冬のようなものだが、その中でも真冬……厳冬期は、この宿も営業を停止するようだ。


 部屋の窓から外を見ながら、ぼんやりと物思いにふける。



 ――『リタル温泉』とは。最初に聞いた時は、何かの冗談かと思ったものだ。



「隊長。食事にあのリベリットシープ出るってホントですか?」

「待て。オプション料金だって……」


 部下の二人が、部屋の机に置かれていたパンフレットを覗き込んでいる。


 二人共自分と同じダークエルフで、"第二軍"暗黒騎士団だ。

 自分は騎士で、二人は、いずれ騎士となる事を期待されているが、まだ平の兵士だった。


 男三人で温泉宿とは寂しい限りだと思いつつ、苦笑した。


「出してやるよ。誘ったのは俺だからな」


 二人は、ぱあっと笑顔になった。



「「優しい隊長殿を持って光栄であります!」」



「……まあ、平和になったからな。戦時中に貯め込んだ分を、こういう平和な施設に使わないとな……」


「さすが隊長。暗黒騎士の鑑ですね」

「正に理想の騎士です」


「お前達の暗黒騎士観はおかしい」


「気のせいですよ隊長」

「弱きを助けるのが騎士の務めだと思っています」


 その言葉が本当だといいのだが。


 彼ら二人には、実戦の経験がない。

 生まれこそ戦時中だが、あのイトリア戦の年――終戦の年には、ギリギリ従軍可能年齢に達していなかった。


 だから、戦いにおいてどれだけの力を発揮するかは、分からない。


 しかし二人共真面目で、年齢の割には剣の腕も立つ。


 自分達、『戦中世代』のどこかにあった悲壮感は、感じられない。

 不真面目と見る向きもあるが、自分はそうは思っていなかった。 


 軍人は戦う事が仕事――と思っている者も多いが、それだけではない。

 特にリストレアという軍政一体の国においては、暗黒騎士が秩序の維持に果たす役割は大きい。


 市中のパトロールに、犯罪の取り締まり。交易路の護衛。国境防衛が形骸化した今、相対的に、以前からあった仕事の重みは増している。


 "第二軍"も……随分と減ったのだ。

 リタル山脈の向こう――開拓村の巡回に重装騎兵団が配備される事になり、ますます人手が足りない。


 幸いリストレアの治安はいい。

 それでも、どんな理想の国でも、誰もが理想の国民たれるわけではない。


 重装騎兵が配備される事になった理由の詳細は伏せられ、公式発表は『治安維持のため』とアバウトだが、盗賊が出たという話だ。

 馬鹿な事を、というのが"第二軍"の者達の感想だった。



 魔王軍は、あの戦争を経てもなお、健在だ。



 数は減り、国境防衛を中心に活動は縮小し、変化しつつあるが……生え抜きの戦士の大半が所属しているのは戦争が終わる前と変わらない。


 定められた法を破るという事は、魔王軍を敵に回すという事。

 そんなリスクに見合うリターンなど……倫理面を全て抜いたとしても、あるはずがなかった。


 ……しかし、重装騎兵団が配備される件について話すブリングジット様がどことなく不機嫌そうだったので、ただの盗賊ではない『何か』があったらしい。


 リタル温泉のプレオープンに招かれた後はすっかり機嫌がよくなっていたので、全ては終わった事なのだろう。


 騎士団長本人から一部の騎士達には、割引の利く紹介状付きで、骨休めに行ってみてはどうかと勧められた。

 あのお堅い騎士団長殿のオススメという事で、かち合わないように話し合って、順番に行く事にしたのだ。


「食事の前にもう一風呂浴びに行くか」


「賛成です!」

「さすが隊長!」


 誘うのが彼ら二人しか思いつかなかったのもどうなのかと思うが……男同士でも割と楽しめているのだから、と気にしない事にする。




 風呂から出て、自信満々に、部屋へ戻るのと反対の道を選んだ部下達が、十字路で首を捻った。


「あれ……迷ったな」

「おう。意外と広いな」


「なんでこの広さで迷えるんだお前達」


 自分が、呆れ顔になったのが分かる。

 どこか行きたい所があるのだろうか――ぐらいに思っていたのだ。


「え、隊長は道分かるんですか?」


「当たり前だろ」


 二人は愕然とした顔になる。

 それを見て、リタルサイド城塞に戻ったら、地形の照合や、道順の記憶を中心とした訓練をする事を決定した。


 ――改装されていても、元はあの"四番砦"だというのも大きい。


 "福音騎士団オーダー・オブ・エヴァンジェル"を筆頭に、エトランタル神聖王国の騎士と民兵達を、厳冬期のリタル山脈に引きずり込み……禍々しい緑の光と共に蘇る、常軌を逸した生命力を持った、白い鎧の神聖騎士と戦った。


 "第六軍"主導で行われ、成功するのか半信半疑……いや、疑いの方が強かった『誘い込み』作戦。


 しかし、"第二軍"の長たるブリングジット様が揺らがなかったのだから、下の者としては信じる他ない。


 完璧に作戦は成功し――驚くほどに被害は少なかった。

 それでも、友人をなくした。


 誰も恨めない、『必要な犠牲』だ。


 "第六次"でも戦友をなくしたし、ガナルカンも、"第七次"も、撤退戦も、そして全てが終わったあのイトリアでも、友は倒れていった。


 ああ、それでも。

 『あの方』は言った。「お前達と戦えた事を、誇りに思う」と。

 そして――「これまで死んだ者達と、これから死ぬ者達のために」と。



 リタル山脈での戦いは、『これから』があると信じられるようになった、転機とも言える戦いだった。



 長く軍に勤めていると……戦況がどれほど絶望的なのか、分かるようになる。

 一人の死が重くのしかかり……人間の数は、遙かに多い。


 これからも、こんなに上手くいくとは限らない。

 それが分かっていてなお、それでもあの"福音騎士団オーダー・オブ・エヴァンジェル"を含む神聖騎士達を、遙かに少数で打ち破ったあの戦いが、絶望的な戦力差を……ひっくり返せる差のように思わせてくれた。


 その際の記憶が、残っている。

 ……忘れられるはずも、ない。


 とはいえ、改装されて違う所の方が多いので、記憶に頼ればかえって迷う事にもなりかねない。

 やはり方向感覚の差だ。


 そこで、彼らは思いもよらぬ行動に出た。



「……メイドさんに聞こう。そうしよう。すみませーん!」



「はい、ただいま」


 通りがかった、薄く透けたメイド姿の死霊(レイス)が、黒髪をなびかせて振り返った。


 ――リタルサイド城塞で、何度となく見た姿。


 かつて"四番砦"で、戦勝の宴の際に杯を掲げたひと。


「えっ、はっ!?」


 思わずあんぐりと口を開ける。

 そして彼女の『名前』が、喉から出かかった。


「ロー……!」


 黒髪のメイドがしーっ、と、唇に手を当てた。



「知ってました? でも、私はここではメイドのデイジーなんですよー」



 にこやかに笑う。

 その姿は実に自然で――かつての姿とは、似ても似つかない。


 動揺しつつ、外れそうな顎を押さえるように、口元に手を当てた。


「あ、はい……。その、あなたほどの方が、何か……事情が……?」


 頷いたが、あまりの予想外の事態に混乱していた。


「事情……か。まあ、退役後の仕事を探していた、という事になるか」


 思わず、上官に対してするような丁寧な言葉遣いになってしまい、彼女もそれに合わせてか、メイドらしくない口調になる。


「……何故、温泉宿で働いていらっしゃるのですか?」


 彼女ほどの存在が、温泉宿でメイドをやっているというのは……かつての姿を思えば、不自然に思えた。


 いや、確かに彼女は、部下のメイドと結婚するほどメイド好きのはずだが、メイド服を着ている姿は見た事がない。

 記憶にある彼女は、いつも同じ姿だったから。


 緊張して答えを待っていると、返ってきた言葉は、意外な物だった。



「強いて言えば趣味かな」



「趣味?」

「平和になったら、温泉宿を経営してみたかった」


 まさかの経営側。

 普通、経営側はメイド服を着て働かないとは思うが。


「……あ、なんか納得です。お体にお気を付けて心安らかにお過ごし下さい」


 しかし……彼女ならば、大抵の事は納得出来る。


 同時に、全てが繋がった気がする。


 一部で不敬なのではという意見が出るような、『リタル温泉』という名前。

 あの暗黒騎士団長が、プレオープンに招かれた理由。

 同行した弓兵長が、どんな温泉なのかと聞かれた時、一瞬見せたなんとも言えない表情。


「ありがとう。――それで、そちらのお連れ様が、何かご用事があったのではありませんか?」


 彼女はメイドらしい口調に戻った。

 やはりその姿は……なんというか、板に付いている。


「あ、はい。実は道に迷いまして――」


「馬鹿! 俺が連れてってやるから! ロ……メイドさんの手を煩わせるんじゃない!」


 思わず肩を掴んで、部下を制止する。


「はい。でも何かあったらお申し付け下さいね。それでは失礼します」




 彼女が白い腰リボンを揺らして、曲がり角の向こうに消えてから、たっぷり三十秒は経って、部下達が口を開いた。


「……どういうお知り合いだったんですか?」

「もしかして、元上官とか?」


「あ……ああ。直属ではないし……所属も違ったが……うん、まさかこんなとこで出会うとは思わなかった……」


 自分が見たのは幻か何かだったのではと、自分の頭を疑ってしまうほどだ。


 ――誰もが、『あの方』の正気を疑った。


 頭がおかしいと言われ続け――それが、後には褒め言葉として、直属の者達が嬉しそうに言うほどになったような方だ。


「可愛かったな」

死霊(レイス)で、隊長より階級が上だったって事は、結構年上なんじゃないか?」


「んな事言ったら大体年上だろー?」

「それもそうか」


 わいわいと盛り上がる二人。



「そんなお前らに教えておいてやるよ。あの人は人妻で、可愛いダークエルフの嫁さん貰ってラブラブだから、入り込む余地はないぞ」



「あー、可愛い子には彼氏が……あれ。今、人妻で嫁さんって?」

「ダークエルフの?」


 二人が揃って首を傾げる。



「ああ。あの方は……死霊(レイス)だが、ダークエルフのメイドと結婚した。最近、退役されて……な」



 どうしているのかと、思う事はあった。


 一部の噂では、『あの方』は裏に潜み、いつかこの国に仇為す者が現れた時、再び現れる――などという事になっていたが。


 ……思えば、いつも周囲の予想を裏切られる方だった。


「なるほど。同じ職場で働いてるのか」

「今となっちゃ、同性同士も、恋人がアンデッドなのも珍しくないかー」


「……まあ、な。そう。今となっては……珍しくないよ」


 それもまた、彼女の功績だ。

 自分も参列した、戦後初めて行われた異種同性婚の結婚式から……もう十年以上になるのか。


 さきほどの、唇に指を当てた彼女の姿が脳裏に蘇る。



 『あの方』を、再び目にする事があろうとは。



 軽い幻影魔法を常時展開していたのに、こいつらは気が付いただろうか?

 不死生物(アンデッド)とはいえ、獣の耳も、長い耳も、角も持たぬ姿だった事に。


 かつて敵とされた、今はもういない種族の姿。


「……あの方なら、納得、だな」


 平和になったのだと、実感する。

 もう戦争は遠く、そして過去のものだと。



 病と毒の王の名を冠した元魔王軍最高幹部が、かつて、その名を轟かせたリタル山脈の温泉宿で働いているのだから。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 珍しい視点での、平和な世界の楽しみ方。 良い戦後を過ごしておられる、一般騎士さん。 こうして時代は移ろっていくのだなぁ。
[良い点] 諸々疑問は積み重なるのに最終的には納得される安定のイカr……人徳ですね!
[良い点] 「今となっちゃ、同性同士も、恋人がアンデッドなのも珍しくないかー」 死霊、メイド、異種族、同性、軍人とヒントがあっても病毒の王にたどり着かないくらい当たり前になってるんですね(ただの可愛い…
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