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病毒の王  作者: 水木あおい
EX

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ディアナとハル


 リタル温泉の控え室は、従業員区画にいくつかある。

 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の屋敷の談話室を参考に作ったくつろぎスペースから、事務室やロッカールームのような事務的な物まで。

 私は支配人という事もあり、休憩時はなるべく一番大きい控え室……の隅にいるようにしている。



「マスター、また幼女を侍らせてるんですか?」



 音もなく入室したリズが、後ろ手に扉を閉めて言う。


「人聞きが悪すぎる」

「うん」


 私は反論し、ライラは笑顔で頷いた。


「……ライラ。ややこしくなるから」

「ややこしくしてみたかった」


 笑顔を崩さないライラ。

 何が彼女をそうさせるのか。


 ――その彼女が、尻尾を巻き込んだ。


 動きを止め、身体を固くする。垂れ耳のために分かりにくいが、耳もへたっ、と後ろに倒されていた。

 そして、震え声を喉の奥から絞り出す。


「……り、リズお姉ちゃん。私、リズお姉ちゃんの事……大好きだよ」

「ええ、私もライラの事が大好きですよ?」


 たおやかに微笑むリズ。


「でも、無闇にややこしくするのは、よくないですね。そうは思いませんか」

「思う。すごく思う」


 ライラがそろそろと私から身体を離して膝の上から降り、レイラが彼女を迎えて抱きしめる。

 頭に浮かぶ言葉は、『雉も鳴かずば撃たれまい』。


 私は、自分の事を指差した。


「リズ、私は?」

「何の事ですか?」


「……その、さっきライラに言ったみたいな」

「……ああ」


 リズが納得顔になる。

 私の元に歩み寄り、滑らかにかがみこんで抱きしめると、耳に口を寄せた。



「――愛してますよ、マスター」



 脳が痺れた気がした。

 じーんとする余韻を噛み締めながら、私もリズの腰に手を回して抱きしめ返す。


「……私も愛してるよ、リズ」


 お互いに、お互いを抱きしめる腕にぎゅっと力を入れると、じんわりとした温もりが胸の内に満ちるようだった。 

 少しの間そうしていたが、控え室のドアがばん! と勢いよく開けられた事で、中断された。



「し、支配人さん! 大変です、ドラゴンが……ドラゴンが!」



 お互いに手を離し、結びつきを解く。

 私は、ソファーから立ち上がって歩み寄ると、優しく声をかけた。


「落ち着いて、ディアナ」


 わたわたと無意味に手を振る、メイドさんの中で一番大柄でありながら一番年下の彼女、ディアナは二本の巻き角を持つデーモンだ。


 デーモンが人型を取る時は、リストレア様のように褐色の肌に黒髪、金の瞳が多い。リストレア様によると、特に意識しないと、そうなるのだとか。


 しかし彼女は、自然に人型を取った時、肌が白い。


 デーモンの姿の時は山羊と言うよりも羊っぽく、人型の時の短くしている黒髪がふわふわなのもその名残か。

 さらに大きく愛らしい、薄い金の瞳はいつもどこか不安げに揺れ……なんというか、『デーモンらしくない』デーモンだ。


 彼女の後に、開いたままのドアからもう一人控え室に入ってきた。


「……予定……通り」

「ハル。ドラゴンが来るっていうのは、通達してあったよね?」


「ん……ディアナは……落ち着くべき」


 落ち着き払っている彼女、ハルことハールーシェは、ダークエルフだ。

 長い耳が下がり、金色の瞳に光はなく、動きも同様にゆっくり。


 落ち着いていると言うより、生気がないと言う方が正確だろうか。


 これでも、大分マシになった方だという。

 一時は、それこそ魂が抜けているように、起きている間はぼんやりと虚空を見つめ、寝ている時は……うなされてばかりだったと。



 彼女は、"第二軍"の暗黒騎士として、あの戦争に参加した。



 "第七次リタルサイド防衛戦"と、それに続く撤退戦。そして何よりあの"イトリア平原の戦い"を生き延び……しかし、彼女の心は、多すぎる敵と味方の死に、耐えられなかった。


 軍による、投薬と精神魔法を含む長期のケアは間違いなく一定の効果を上げたが、完全には戻らなかった。


 戦後十年を経ても、彼女の戦争はまだ終わっていないのだ。


 今も時折うなされていて、私もそれを目にした事がある。


 ゆすって起こした時、肩口まで伸ばされた髪は、うなされながら激しく頭を動かしたせいでぐしゃぐしゃで、耳は限界まで下がっていて、瞳に光はなく、後から後から溢れ出る涙が頬を伝う。


 そして彼女は、流れる涙を拭う事もせずに、悲しそうではなく、むしろ不思議そうに言った。



 ――「私は悲しくないのに、なんで泣いてるのか分からないの。それだけが……悲しいの」と。



 彼女の心は、彼女の身体を生かす選択をした。

 どんな形でも、生きるべきだと。


 彼女の精神が元のようになる日が来るかは……分からない。

 その時、それまで過ごした時間を、どんな風に思うのかも。



 今は、隣のデーモンのディアナとペアを組み、部屋も一緒だ。



 従業員は全員住み込みのため、それぞれに個室があるが、二人部屋や三人部屋も用意してある。

 私とリズ、レイラとライラのように家族はもちろん、友人同士でも本人の合意があれば問題ない。


 シフトにもう少し余裕を持たせたいとも思っているので、まだ部屋は空いている。それでもハルは、ディアナとの同室を希望した。


 それとなく本人にもディアナにも様子を聞いているが、今の所上手くやっているようだ。



 私は彼女の記憶が戻らなくても、ハルが今よりも笑ってくれれば、それでいい。



 彼女は、今も"第二軍"に籍がある。

 暗黒騎士ハールーシェ・リーンフェストとして、『完治』を――復帰を望む人達がいるのも、分かっている。


 だから……こんな事を思うのは、私が以前の彼女を知らないからだ。


 ……戦友に自分の事を忘れられたなら、それはとても寂しい事だと思うので……彼女の記憶が戻るのが、一番なのだろう。


 それでも、彼女は、彼女なりに今を生きている。

 暗黒騎士でなくても。


「ディアナは……そそっかしい……」


 ハルが呟くように言う。

 ディアナは反論した。



「でも、鱗が銀色でしたよ!?」



「……ドラゴンが来るって言ってて、ドラゴンが……来た。それだけ。……私、何か間違ってる? 支配人……」


「いや、間違ってないよ。ハルは賢いね」


 笑顔でそう言うと、彼女は無言で頭を突き出した――ので、手を伸ばして、私より少し高い位置にある彼女の頭を撫でた。

 ディアナと並ぶ事が多いのと、言動もあって実際より小さく見える……が、そう見えるだけだ。


 耳は下がりきったままで、目に力もない。表情は平坦なまま。

 それでも、もしかしたら……耳に関しては、リラックスしてくれているのではないか、と思う時がある。


 かつての姿とは、今の、純粋で……幼いとさえ言える今の彼女の姿は、ほど遠いのだろう。


 記憶が戻れば、きっと今の彼女は『いなくなる』はずだ。


 いつかその時が来たら……彼女が、自分の事を暗黒騎士に任じ、彼女の心がそれに耐えられるなら、私は彼女をここから送り出すつもりだ。


 戦場に帰すのでは、ないのだから。

 もう彼女が心を壊したような過酷な戦場は、この大陸にない。……少なくとも、今は。


 ただ、彼女がどんな選択をするにせよ……ここが、その時の彼女にとって離れがたい場所になっていればと、思う。

 今の彼女はリタル温泉の従業員、メイドのハルなのだ。


 ぽん、と撫でるのを切り上げて手を離す。


「それで、支配人さん……鱗が銀色って、あの……」

「……リタル様」


「そういう事になるね」


「リタル様がリタル温泉に来るのって、おかしくないですか!?」

「宿泊名簿にあった……」


「え?」

「宿泊名簿に……あった」


 ハルが繰り返す。

 陛下やリストレア様など、一部は偽名を使っているが、リタル様のように本名で予約している人もいる。


「ハルはちゃんと見てるね」

「……ぬかりはない」

「え、あれ……あやかった名前じゃ……」



「本人だよ。ちょっと縁があってね」



「そりゃ、支配人さんは……お知り合いでしょうけど……」

 私を非難がましい目で見るディアナ。


「まあ、宿泊名簿に名前はあっても、泊まりじゃないから」

「ドラゴンが泊まれるスペースとかないですもんね……」


「リタル様は、日帰り入浴プランで予約してる」


「……はい?」

 ディアナが眉をひそめた。


「ほら、一つ大きい湯船があるよね? 少し離れた、露天のやつ。名目は従業員用になってるけど、あれ実は、ドラゴンを想定したサイズで作ってあるんだ」


「ああ、なるほど。道理で大きいと思いました……って、言うと思いました!?」


 ナイスノリツッコミ。

 言う事は言えるようになってきた。今よりさらにおどおどしていた初対面の時を思えば、成長を感じて嬉しい。



「『完成の暁にはご招待します』って約束してたからね」



「……もしかして『リタル温泉』って、リタル様の許可を得た名前なんですか?」


「無許可で付けるには度胸がいる名前だよね、リタル温泉って」

「それはそうですけど……」


「入浴表とかにも書いてるけど、あの露天風呂は、今日は貸し切りだからよろしくね。みんなも夜シフトの人達に任せて、ゆっくり休んで」


 ちなみに夜シフトは不死生物(アンデッド)組が担当している。

 小規模にならざるを得ない事もあり、基本的に業務はトラブル対応のみ。


「支配人さんは?」



「私も、リタル様とリズと一緒に、ゆっくりお風呂入ってくる」



 ディアナが、また叫んだ。


「ドラゴン、それも最高幹部と一緒にお風呂入ろうって発想が、一体どこから出てくるんですかっ……!?」


「それは、私にも分からない。でも、親睦を深めるのにお風呂は定番だよ」


 ちなみに女性従業員とは、全員、一緒にお風呂に入った事がある。

 従業員用も結構広く取ってあるし、テストも兼ねて、大浴場、露天風呂、高い部屋備え付けの家族風呂など、従業員一同が全ての温泉を一度は試している。


 リタル温泉に限らないが、働きながら温泉を楽しめるのは温泉宿のいい所だ。


 はあはあと肩で息をするディアナの腕を、ハルが慰めるように軽く叩く。


「……支配人だから、ね。仕方ない、ね」

「……そうですよね。支配人さんですもんね……」


 いいコンビだとは思うが、支配人だからで納得するのはどうかと思う。

 今さらだけど。


「……いってらっしゃい、デイジーさん」

「楽しんできてね、デイジーお姉ちゃん」


 諦めたようなレイラと、すんなり受け入れたらしいライラ。


「……はい。ゆっくり休んで下さいね、支配人さん……」

「また一緒に入ろうね、支配人……」


 やはり諦めたようなディアナと、マイペースなハル。


 彼女達に見送られ、リズと連れ立って控え室を後にした。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 個性豊かな従業員達が、病毒──いや、「支配人」に段々と「最適化」されている…w 良い温泉宿になりそう。 そして、ドラゴン風呂、本当に作っちゃったかー。流石~…!
[気になる点] もう完結した作品にこんな事言うのは野暮だとわかっているのですけど敢えて言います。 擬音はそうと分かるように何らかの記号で括るかカタカナにした方が読み易くなるのでは?
[気になる点] リズさん?!威圧ですか?躾? スキル正妻の威厳 [一言] 「支配人だから」従業員共通言語 別名:ツッコミ放棄。 類似:「病毒の王様だから」「マスターだから」
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