レイラとライラ
「デイジーお姉ちゃん!」
「あ、ライ――ラっ!?」
仕事終わりに、控え室のソファーでリズを待っていた私は、入ってくると同時に加速し、飛びついてきた幼女メイド――ライラの体当たりを受けた。
抱き止めて、頭を撫でた。
肩のあたりまで伸ばしている、姉と同じ薄茶の髪の毛は艶やかでふんわりとして、撫で心地がいい。
さらに垂れ耳の犬耳に触れると、気持ちよさそうに目を細め、ふさふさの尻尾を振る。
動きを止めたところで、私は言い聞かせる。
「……ライラ? 私が生身だったら危なかったから、もうちょっと控えめにね?」
「でも、デイジーお姉ちゃんは死霊だよね?」
「……うん」
「つまり、私が飛びついても問題ないよね?」
「……え、いや。他の人にしたら危ないから」
「デイジーお姉ちゃん以外には、しないから」
順番に反論していくライラ。一体何が彼女をそうさせるのか。
理論上、問題はない。
「……レイラ」
しかし、それは腰の強さが生み出している幻想のような気がして、思わずライラの後から普通に入ってきたレイラを見る。
彼女は手を広げ、助け船を出してくれた。
「ライラ。デイジーさん困ってるから。ほら、お姉ちゃんの所に来なさい」
「お姉ちゃんとは別腹」
あまりにも自信に満ちた言葉に、思わず顔を見合わせてしまう私達。
ライラはレイラの方を見て、無邪気に笑った。
「大丈夫だよ。本命はレイラお姉ちゃんだから」
「え、いや……え?」
実の妹にそんな事を言われて、実の姉はどうすればいいのか。
多分私も、言葉に詰まった今のレイラのようになると思う。
「でも、デイジーお姉ちゃんの事も好き」
私はそう言われて、どうすればいいのか。
私の薄い胸に顔を埋めて、むふー、と満足げにするライラ。
魔性の女かもしれない。
ライラは終戦の翌年に生まれた、戦後の第一世代。――世代交代が進みつつある、という事なのだろうか。
ひとまず気にしない事にして、私はレイラの方を見る。
「とりあえず……初日としては上々かな? みんなは、どうだった?」
「何人か緊張気味でしたけど、良かったと思いますよ。でもなんか、緊張しすぎのような気も……」
「だって、魔王軍最高幹部の人達がいたじゃない? 無理もないと思う」
「……ライラ? それどういう意味かな?」
「だから、ブロマイドで見た事ある人が沢山いたよ」
ライラは知っていたらしい。
……でも、全く物怖じしていなかったような。
彼女は客室清掃や接客などの、物理的に負担の少ない仕事が中心だ。
リストレアでは、小さい子供はかなり大切にされる。長命種は、全体として子供が出来にくいし、寿命も長いから、必然的に子供の割合が少なくなるからだ。
だから目立つし、質問などもされていたが、私に飛びついてきたのと同一人物とは思えないほど、しっかりと対応していた。
――相手が魔王陛下と"旧きもの"だと知っていてそれなら、末恐ろしい。
「……支配人……」
私を非難がましい目で見るレイラ。
「魔王軍最高幹部の背に乗った事のある君が、何を今さら」
「そうだよ。あの"病毒の王"様にナイフ向けたって聞いたよ?」
その"病毒の王"様の膝の上に座り直している本人が何か言ってる。
もちろん彼女は、私が"病毒の王"だと知っている。
戦時中の私は知らないとはいえ――知っていて、これだ。
「い、いや。あれは……そのー……すみませんでした」
「気にしないで」
レイラが謝る事ではない。
当然の対応……と言うには、覚悟強めで攻撃的だったが、大切な物を踏みにじろうとする理不尽に対して、全力で抵抗した彼女のような人が、私は好きだ。
「割と頻繁にあった事だしね」
「……え?」
「……デイジーお姉ちゃん?」
戸惑い顔になる二人。
「"病毒の王"様に武器を向けた人って、そんなに沢山いるんですか?」
「沢山いるよ。……もういない人の方が多いかな」
顔も知らない暗殺者の人達が、沢山。敵兵を数えるならさらに増える。
ほとんどが、もういない。もう――生きていない。
「……むしろ、生きてる人いるんですか?」
「何人かいるよ。例えば、サマルカンドはそうだね。他には……暗黒騎士団長でしょ? "第三軍"魔獣師団のベテラングリフォンライダーでしょ? 重装騎兵団の指揮官さんでしょ?」
指折り数えていく。
サマルカンドにブリジット、アイティースにダスティン・ウェンフィールド……正確に言えば、その配下の暗殺者さん。そんな所だろうか。
今も生きているだけでも、結構多いな。
「……"病毒の王"様、なんで生きてるんです?」
「もう復活期間終わったから、デイジーって呼んでね」
レイラが言い直す。
「デイジーさん、なんで今も無事に生きてるんです?」
「大体気合いと勢いとハッタリで乗り切った」
レイラが呆れ顔になった。
「……デイジーさん。気合いと勢いとハッタリって、駄目な時が来ると思うので、これからはくれぐれも身体と行動に気を付けて下さいね?」
「だから、そのつもりだったんだよ。退役したのは」
"第六軍"、そして"病毒の王"は、役割を終えた。
だからこの名は、私の胸の内にしまい、仲間内の思い出にしようと思っていた。
今回のような事がなければ。
私が軍に戻る事は――事業が失敗してシノさんに土下座して再就職するルートを選ばなければ――ないと思う。
"病毒の王"は……もういない。
ここにいるのは、"リタル温泉支配人"のデイジー・フィニスだ。
「……デイジーお姉ちゃん。これからは、危ない事しないでね?」
ライラが、少し身体を離して、私を見上げる。
「なるべく、ね」
「なるべくじゃない! 絶対にしない事!」
きっ、と睨むライラ。
私が元"病毒の王"と知ってなお、そんな風に接してくれるのが嬉しくて、私は微笑んだ。
「……それは、約束出来ないなあ」
「――なんで?」
ますます強く睨み付けるライラ。
中々の眼力だ。
「私は、何度だってああするよ。自分の大切な物を守ろうとする人を、助けたいと思ったら」
「…………」
ライラが黙り込む。
そして、視線をそらした。
「……リズお姉ちゃんいなかったら、惚れてたよ」
「いや、ライラにはレイラお姉ちゃんがいるでしょ。あの装備でリタル山脈越えようとするのって、相当だよ」
偽物は許せないにしても……彼女達に、なるべくいいように計らったのは。
妹の事が大好きで、自分に力がないのを認めてなお、出来る事を探し……絶望し、諦め、それでもなお、武器を手に抵抗しようとする『お姉ちゃん』の姿が、眩しかったからだ。
「……そうだよね」
にこっと笑うライラ。
年相応の笑顔だ。
「――でも、危ない事はしないでね?」
私の基準で、『危ない』事はしなかったと言ったら、怒られるだろうか。
一番気を遣ったのは、レイラとライラをはじめとする、住人にとってなるべくいいように計らう部分だ。
レイラと相談しているが、シーズン終わりには、彼女がいた開拓村の人達を招待しようという事になっている。
「……うん、気を付けるよ」
「よろしい」
もう一度ライラの頭に手を置いて撫でると、彼女は満足げに頷いた。
「ちなみにね」
「はい」
「うん」
「最初に私の首にナイフ押し当てたのがリズで、今のお嫁さん」
「……そのなれそめは特殊すぎません?」
「のろけにしか聞こえないよ」




