リタル温泉にようこそ
初秋とはいえ、砦――いや、宿の付近は雪が積もって道が見えない。
そこをラッセル車よろしくかきわけて登ってくる『送迎車』は、客車を牽引するリベリットシープだ。
もつれた長い灰色の毛に、三本角。羊に似た特性――肉質――を持つ、頑丈な四つ足の魔獣種だ。
さすがの『雪上仕様』。徒歩よりも遙かに速い移動速度。
リベリット村と、移動手段から食事のメニューまで、幅広く提携した。
戦後は、個体数の回復に努めていたため、一時はリベリットシープの肉の供給が止まっていた。
王都を中心とした、高級レストランへの出荷も再開されたが、リタル温泉が現在最大の顧客だ。
提携が成立したのは、黒妖犬が牧羊犬として就職したのが大きい。
ちなみにティフェー村とも提携し、メープルシロップで甘味面も強化。
他にもいくつか売りになる食材を揃えているし、それを扱える人材もいる。
旅館を潰した女将についてきた料理人さん(女性)とか、事情がなければこんな怪しげな温泉宿に就職しないだろう腕前だ。
ここは、良く言えばあらゆる喧噪から隔絶された秘境。
静けさの中でゆっくりと温泉を楽しみ、食事も堪能してもらうという寸法だ。
私はあのウェスフィアで、高級ホテルだというのにあんまりご飯が美味しくなかった事を忘れていない。
リベリットシープが『送迎バス降り場』とでも言うべき、ロビー前の屋根付き広場へ、ぴったり横付けした。
ここではメイドさんが仲居に相当するので、私も並んで出迎える。
降り立つお客様方を見て、一部のメイドさんが、私を非難がましい目でちらちらと見る視線を感じた。
メイドさんの中には、私が元魔王軍最高幹部、"病毒の王"と知らない者もいるし、元軍人だと知らない者さえいる。
だから、お客様方の素性を分からない者もいる。
しかし、分かる者にとっては。
この国の偉い人を、順番に集めたような人選だと気付く。
王冠を外した姿を初めて見た魔王陛下を筆頭に、かつて"病毒の王"の退役を祝ってくれたお花見の参加メンバーが、ほぼ全員揃っている。
私は、非難がましい視線を全力で無視した。
お客様の素性がどうあれ、心を込めておもてなしするだけだ。
事前に教えるかどうか迷ったが、変に萎縮されても困るし、知らないなら知らないでいい話だ。
トランクを持ったレベッカが、じっと私を見た。
呆れ顔。
「……お前、経営側じゃなかったのか」
「経営側だよ?」
小声で返事をする。
私は間違いなく経営側だ。
ただ、経費削減と陣頭指揮を兼ねて、少なくとも経営が軌道に乗るまでは現場で働くというだけ。
オープニングスタッフが育てば、その時どうするかは分からないが。
「でも、今はメイドのデイジーだからね。さ、お嬢様。――お荷物をお持ちしましょうか?」
「いや、自分で運ぶからいい。……お前のまともな発言を聞くと、違和感を覚えるんだが、どうしてくれる」
「……それはちょっと、どうしようもない」
素に戻る私。
「『デイジー殿』はその恰好も実にお似合いであるぞ。リズ殿とお揃いでもある事だしな」
「デイジー……様。お手伝い出来る事はございませんか」
嬉しい事を言ってくれるハーケンと、『様』を付けないと精神の安定を保てなかったらしいサマルカンド。
「……いや、今の私は旅館のメイドだからね、サマルカンド」
お客様と、"血の契約"の主、どちらが偉いかを判断しかねて、小声で普通に話す事にした。
「『デイジー殿』のそのようなお姿を見られる日が来るとは」
「生き残った甲斐があったというもの」
「いや、頭の中に美しい花を咲かせているような方だとは思っていましたが、これほどとは」
口々に好き勝手な事を言ってくれる死霊騎士達――かつて"病毒の騎士団"と呼ばれた英雄達。
揃いのサーコートでない私服の彼らを見るのは、少し新鮮だ。
ところで今、頭がお花畑って言ったか。
いつもと同じ深紫のローブを目深にかぶった死霊暗殺者達も、口元を押さえて顔を伏せて、肩を震わせている。
いっそ笑え。
「……そちらのお客様方も、お荷物をお持ちしましょうか?」
あえての営業スマイルを見せると、彼らは顔を見合わせて、からからと顎骨を打ち鳴らして笑った。
ハーケンが代表して答える。
「お気遣いに感謝を。なれど結構。女性とメイドさんには優しくしろ――と、我らが主は常々言っておられましたので」
もちろん私は、男性にも他の職業のひとにも丁寧に接するべきだ……とは思っている。
私は――このひと達に、死ねと命じた。
最前線を切り開き、英雄的に死ねと。
リズの指示の下に、敵指揮官を刈り取れと。
生きて帰る望みのほとんどない戦場に行ってこいと。
その上で、生き残れと。
全員が守れるはずがない命令。……一人も帰らなくても、おかしくなかった戦場から彼らは帰還してみせた。
だから、今、こんな風に最高幹部の正装をまとわずに歓迎出来るなら。
私も、生き残った甲斐があったというものだ。
「皆様、リタル温泉にようこそ」
私は、改めて皆を笑顔で出迎えた。




