開店初日
私は、腰の後ろでエプロンの紐を結んだ。
リズが、私の背後に回ってチェックする。
「リズ。どこもおかしくない?」
「はい、マスター。どこに出しても恥ずかしくありませんよ」
振り返ると、笑顔のリズと目が合って、私も笑った。
リズとお揃いのメイド服。私はメイドさんが好きなだけで、メイドになりたいのとは違ったのだけど、深淵を覗き込む者はなんとやらだ。
「さあ、今日から忙しくなるよ」
初秋である今日までに無事改築は終わり、『リタル温泉』は第一期の営業を開始する。
私はリズを後ろに伴って従業員控え室の一つを出ると、ホールにずらりと並んだ従業員一同の前に立った。
男女も、種族もばらばら。メイドさんが女性で統一されている以外は、役職にも男女の区別はない。
ドラゴンとドッペルゲンガー以外の全種族が揃っている。デーモンはさすがに一人だが、むしろ旅館に就職しようというデーモンがいたのが驚きだ。
悪魔と不死生物の従軍義務は、戦後まもなく消えている。
――とはいえ、まだ魔王軍は両種族の、最大の就職先だ。
特にデーモンは軍へ所属する者が多い。同族に薄い連帯感のようなものしか感じていないとはサマルカンドの言だが、それでも同族は同族だ。
今は人型を取る、一際長身で大柄な彼女は、デーモンとは思えないほどおどおどしていて、そんな自分を変えたいとメイドに志願した。
現時点のリストレアでは唯一の、魔王軍に所属した事のないデーモンだ。
つまり『戦後生まれ』で――この中で一番年下だったりする。
次点はライラ。――レイラの妹は、姉と共に当温泉宿のメイドへと就職した。
児童労働という言葉がさっと頭をよぎるのだが、リストレアには労働者の待遇に関する規定や査察はあれど、就労年齢に関する決まりがないという恐ろしい事実を知ってしまった。
確かに『家業の手伝い』と児童労働を分けるのは困難で、幼い子供が通う以上の学校はなく、手に職を付けるには業界に入るしかないとはいえ、それもどうなのかと。
名誉と誇りという慣習法に頼るブラックさを垣間見たような気がしつつ、名誉と誇りがあるために、少なくとも大きな問題にはなっていないので、とりあえず優良事業者を目指す事にする。
従業員の事情は様々。というか、ここに集まった全員何かしら事情を抱えていると言ってもいい。
借金を含む、お金目当てが一番多い。
レイラのように、両親が早死にして開拓村に志願したとか、旅館を潰してしまった元女将だとか。
後は、契約魔法で縛られている重犯罪者から、戦争によって心を病んで『長期療養が必要』と診断された女騎士まで、様々だ。
彼女はブリジットの紹介でここに来た。
目に光がなく、ダークエルフの長い耳もいつも下がり気味。
しかしバーゲストによる『アニマルセラピー』が効いているのか、心を開き始めてくれているような。
私の願望による幻覚でなければ、ちょっと笑顔を見せてくれた事もあるような気もする。
別に、特殊な事情持ちを集めたつもりはない。
ないのだが、『リタル温泉』は聞く人が聞けば冗談かと思うような特殊な立地なので、事情がなければ就職しようとも思わない、という事だろう。
一歩宿の外に出れば過酷な環境。必然的に近場に娯楽がないし、長期シフトにもなる。
お給料も普通だ。業界水準では多めの方だが、立地を勘案すると少なめかもしれない。
借金持ちも多く、今は私が債権者だったりする人までいるので、多く出したいのも山々だが、そこまでの余裕がないというのも現実。
必然的に住み込みになり、良くも悪くもお金を使う場所がないので、休暇に羽目を外さなかったら貯まるとは思う。
この宿を潰したら、どこか他の地方で再出発する体力があるかどうかは、定かではない。
誰かに土下座したらなんとかなるような気もしているが、果たして。
それでも、必要ならそうするつもりだ。
"第六軍"がなくなっても、なんとでもなりそうな部下しかいなかった最高幹部時代とは違って、見捨てられない人達が、多すぎる。
身軽になったはずなのに、また背負い込んでいる不思議。
「あー、んんっ」
さすがに少々緊張する。
喉を整えると、精一杯の笑顔を作った。
「皆、今日が『リタル温泉』の開店日となる。――ようやくここまで来た。まずは、一同に感謝を」
皆の表情は様々だ。感慨深げにしみじみと頷いたり、緊張してそわそわしていたり、無表情だったり。
共通しているのは、静かに話を聞いてくれているという事だけだ。
「事前に伝えておいた通りだが、予約のお客様は一組のみで、団体様だ。三日間の滞在となる。ただし、チェックインは各組に別れる。これは予約の部屋割り表を参考の事。『偉い人』が多いが、訓れ……練習通りやればいい」
台本がなくアドリブなので、つい軍時代の言葉が喉から出かかった。
「今回のお客様は、私の知り合いだ。各種問題点の洗い出しと、私達が慣れるための練習も兼ねている。あらかじめ言っておくが、わざと理不尽なクレームをつけるようなやり方はしないようにお願いしてある。大抵の事は許してくれると思うが……ご厚意に甘える事はないように」
「「「はい、支配人」」」
私の魔王軍最高幹部に代わる新しい肩書きは、支配人。
リズをはじめ、マスターと呼ばれる事もあるが、お客様の前では名前で呼ぶように伝えてある。
「質問はないか?」
ぐるりと見渡すと、質問はなかった。
ミーティングを締めようとした時、一歩後ろに控えているリズが手を挙げる。
「はい、支配人」
「リズ。何かな?」
「支配人がメイド兼任するのっておかしくないですか?」
「何を今さら」
呆れたように、やれやれと首を振ってみせる私。
しかし、さっきまで黙って静かに聞いていた皆が、次々に口を開く。
「……実は私も思ってました」
「支配人って頭おかしいですよね」
「し……支配人って、もっとドン、と構えているものでは……?」
「…………支配人だから……仕方ない」
良く言えば、信頼されていると思う。
悪く言えば……いや、悲しくなるから、よそう。
パン、パンと手を叩く。
「……うん、支配人だから仕方ないなー? さて、緊張もほぐれたところで、開店準備を始めるぞ」
「「「はい、支配人」」」
「……みんな、肩の力を抜け。大丈夫、失敗しても責任は私が持つ。自分では対応出来ないと思ったクレームは私に回せ。対応したクレームは終業後のミーティングで報告するように」
「「「はい」」」
「上手くいかなかったら、私がちょっと洒落にならない額の借金を背負うだけだから、ね?」
返事が、ない。
あれ、笑う所のつもりだったのに。
ジョークのセンスが"第六軍"基準だったろうか。
「え、えと。あの。わたし達がやらかしたら……支配人さんが借金地獄に……?」
「……まあ、そういう事になる」
「……ここ、なくなる?」
「……そうなるね」
皆がちらちらと目と目で会話する……が、その会話に入れず、疎外感を覚える。
思わずリズに目で助けを求めると、彼女が「安心して下さい」と目で伝えて笑顔を見せてくれたので安心した。
リズが私の前に出る。
「もちろん、一度や二度の失敗でどうこう、という事はありません。しかしここの立地は特殊で、ふらっと来る客は見込めない。よって、来るお客様には満足してお帰り頂き、良かったという評判を知り合いに伝え、出来る事ならまた来ようという思いを抱いてもらわねばなりません」
何故か真面目な話をし始めるリズ。
「そのためには私達の働きが重要になります。直接、お客様を接客する者達はもちろん、調理や館内清掃……その全てが、『リタル温泉』の未来を左右する、という事になりますね」
リズの言葉に、皆の顔に緊張感がみなぎっていく。
あれ、緊張をほぐすためにフォローしてくれるんじゃ?
リズが、私をびしっと指差して、その勢いを止めずに、人差し指を頬にぐりぐりと抉り込むようにめりこませる。
「――断言しておきますが、このひとはポンコツです」
「……否定はしないけど」
従業員一同の前で言う事だろうか。
リズが、私の頬から指を外し、自分の胸に手を当てた。
「よって、誰かが支えねばなりません。――『誰か』が」
その筆頭であるリズが、笑顔で一同を見渡した。
「――後は、分かりますね?」
一同が顔を見合わせて……笑った。
笑顔の度合いはそれぞれだ。柔らかく、呆れたように、ほとんど表情を変えずに……などなど、十人十色。
皆が頷いて、声を揃える。
「「「はい、総支配人」」」
「……リズ。いつ、総支配人になったの?」
「いや、あだ名らしいですよ?」
支配人がいるのに総支配人というあだ名が。
それはつまり、誰が見てもリズの方が偉く見えるという事ではないだろうか。
「……いっそ正式にリズを総支配人にしちゃう?」
「私は副官タイプですから」
にこりと笑うリズ。
「あなたを、一生支えてみせますよ」
うちの嫁が頼もしすぎる。とっくに惚れてるけど惚れ直した。
人前で職場なので、胸の内から溢れる気持ちを形にした愛情表現は、リズの手を取って握るにとどめた。
そして、リズの視線に支えられながら、従業員一同を――事情はどうあれ、こんな秘境じみた温泉宿に就職してくれた人達を見渡す。
「――みんな、改めてよろしくね」
「「「はい、支配人!」」」
頭に『総』は付かないけれど。
頼もしい、いい返事だった。




