奪われた時間
村の上空を、白い竜がゆっくりと旋回する。
朝日に照らされた鱗が、きらきらと輝くのは、美しいの一言。
呆けたように、村人も盗賊達も揃って空を見上げた。
リストレアの住人にとって、遙か上空を飛ぶ竜の姿は馴染みがあるものだ。
しかし、白い鱗の竜となれば。
見ただけで幸運とも言われるほど、見る機会が少ない。
遠巻きに事態を見守っていた村人達に声をかける。
「村の住人を、全員集めてくれるか」
「……はい。あの……あのお方は」
視線が、悠然と上空を舞うリタル様に向いた。
「……案ずる事はない。あのお方は、リストレアの守り手だぞ。――間違いなく、君達の味方だ」
戸惑いながらも、空気が緩んだ。
全員が、村の広場に集められた。
とりあえず、ニセ"病毒の王"を筆頭に盗賊達は隅に集め、黒妖犬に囲ませている。
ハーケンとサマルカンドも武器を構えているし、もしも妙な真似をすれば手加減するなと、聞こえるように言っている。
広場の中央に座り込み悠然とたたずむリタル様が、鋼の響きを伴った声で自己紹介した。
「リタルだ。"竜母"と呼ばれている。……有名な方だと、思うのだが」
リタル様が、喉を震わせる。
村人達が、思わず苦笑した。
リストレアの住人に彼女の事を知らない人がいれば、一体どんな複雑な事情を抱えているのだか。
盗賊達が愕然としながら彼女を見上げ、リタル様は視線を彼らに向けた。
「中々面白い見世物だった。……そう。"第六軍"が解体されたのは、表向きの話なのだったか。"第一軍"の長にも伝えられぬとは……なあ」
かなり距離があったはずだが、しっかり聞こえていたらしい。
さすがドラゴンイヤー。
「……あまり、ふざけてくれるな」
空気が、ぎしぎしと軋む。
打ち合わせになかったので、私も少し不安だった。
リタル様ならきっといいように計らってくれると思いつつ……この怒りが、演技ではないように思えて。
「……ここにいる、村の住人である者に問おう。この者達は"病毒の王"を名乗っていた……間違いないな?」
リタル様の言葉に、皆が無言で顔を見合わせ……めいめいに頷く。
「盗賊まがいの――いや、盗賊行為を行っていた。間違いないな?」
今度は、一斉に頷く。
「力をもって意を通そうと言うか。自分よりも弱き者からならば、奪ってもよいと思うか」
リタル様の言葉に、何事か言おうとしたのか、何人かが口をパクパクとさせるが、言葉は出てこなかった。
あるいは、単に緊張で息が上手く出来なかっただけかもしれない。
「それは、卑怯者の理屈だ」
金色の瞳が細められ、鋭い眼光を宿す。
細長い首がうねり、まとめられた盗賊達に顔が近付けられ……口が開けられる。
鋭い牙を、がちりと噛み合わせた。
「――そんな理屈を許せぬから、我らはリストレアという国を創った」
魔王陛下が見た、優しくて……血塗られた夢。
結果的に、大陸を完全に二分し、人間とそれ以外に分けてしまった選択。
……きっとそうしなければ、この世界は人間一色になっていただろう。
誰もが笑える国を。違う種族が手を取り合える国を。
そんな理想を、信じた人達がいた。
魔王陛下。リストレア様。リタル様。エルドリッチ様。……そして今は亡き、獣人の一部族の長と、ダークエルフの剣士。
今も残る、リストレアの中核を成す五軍の、雛形。
彼らが、彼女らが、この国を創った。
それだけの力を持てば……もっと分かりやすく振る舞う事も、出来たろうに。
一人の王を戴き、権力を集中させ、王位継承権さえ存在しない政治構造は、『頭』が違えば、クソみたいな国が出来上がる。
けれど、今のリストレアは……そうなっていない。
完璧ではないにせよ、種族間で刃を向け合う事のない、おおむね努力の報われる国だ。
寿命が長いので、新規参入が難しかったりする問題もあるが。
それでも、戦争に明け暮れるよりは、よほど。
「……貴様等を、我が牙で噛み砕いてやりたい気持ちがある」
がち、がち、と牙を鳴らす。
「我が吐息で焼き尽くしてやりたい気持ちが――ある」
その牙を遠ざけ――宙に小さく炎を吐いた。
「……それをせぬ理由を、この場にいる全員に考えてほしい。この者達がした事を、この国は決して許さぬ。しかし、我らは――同じ事をしてはならぬのだ」
リタル様には最高幹部権限がある。
リストレアにも現行犯という概念はあるし、今ここで噛み砕いて焼き尽くしても……不満を言う者などいないだろう。
しかし、力のある者が力のない者を殺してそれでおしまいでは、いけないのだ。
「……私からは、以上だ。"病毒の王"からは、何か」
リタル様の言葉を受けて、私は一歩前に出た。
「レイラの妹というのは――君か?」
私が視線を向けたのは、十になるかならないかぐらいの女の子だ。
レイラと同じ茶色の垂れた犬耳で、顔立ちと、髪と耳の色が似ていた。それに、小さな子は、開拓村には珍しい。
彼女は、緊張した顔で頷いた。
「……"病毒の王"様。彼女が、何か……?」
軽く自己紹介だけを済ませた開拓村のリーダー……壮年の男性ダークエルフが、私とレイラの妹の間に立つ。
実直そうな顔には、今もアザが残っていた。
別の女性が、妹さんをかばうように前に出た。
「何もしない。――レイラ。もう、顔を隠さなくてもいい」
「……! はい!」
レイラがフードを下ろした。
妹の目が、ゆっくりと見開かれる。
そして、呆けたような声が続いた。
「お姉……ちゃん?」
「うん。お姉ちゃんだよ。……心配掛けて、ごめん、ライラ」
レイラが頷いて、手を広げる。
妹――ライラの顔がくしゃりと歪む。
そして駆け出そうとしたところを、一瞬、女性に肩を押さえられて邪魔され、それを全身で振りほどくように駆け寄って、レイラの腕に飛び込んだ。
自分の胸に顔を埋め、声もなく肩を震わせる妹の髪を撫でるレイラの手つきは優しくて……お姉ちゃんらしかった。
「彼女は単身、助けを呼びに来た。死を装って、一人でリタル山脈を越えて」
その場にいた全員が、盗賊組も含めて困惑顔になる。
「……なんて無茶を」
村人の一人がぽつりと呟く。
私もそう思う。
……私は、彼女と同じ立場で自分にそれが出来たかというと……自信がない。
私は、盗賊達を見た。
「軍を騙る事は重罪だ。盗賊行為はもちろん、許可のない黒妖犬の使役も。最高幹部の名を騙る事もまた、罪に数えられるだろうな。――極刑も覚悟しておけ」
「……あんたは……いや、あなたはもう……最高幹部ではないはず……」
「ああ、そうだな」
「俺達は……誰も殺してない!」
私は、仮面の裏側で口元を歪めてわらった。
「一人でも殺していれば、それが犯罪だろうと、私が殺してやったよ」
私はリタル様ほど人格者じゃない。
リタル様も……人死にが出ていたなら、これほど穏便には済ませなかったとは思うが。
「じゃあ……」
「お前達が何をしたと思っている? ――何を奪ったと、思っている。この子がどんな気持ちで、リタル山脈を歩き通したと思っている……?」
レイラはうつむいた。
彼女は文字通り命懸けで、自分達の日常を守ろうとした。
「お前達が奪ったのは、そういうものだ。他のものに脅かされずに……そんな風に平和に過ぎるはずだった瞬間瞬間だ。――三十人分の、そういう時間だ」
視線が、盗賊達に集中する。
私は村人達を見渡した。
「……リタル様が言ったように、この者達を今ここで殺したり、傷付けたりする事はしない。憎い気持ちはあるだろうが、こらえてくれ。我々が預かり、法の名の下に裁く」
村人達の胸の内は分からないが、反論の声は上がらなかった。
「自分達が何をしたか分かったなら、もう一度言うぞ」
私は、ニセ"病毒の王"を見る。
「――極刑も、覚悟しておけ」
繰り返された言葉に、盗賊達はがくりとうなだれた。




