名前の意味
「……『それ』が? そんなものが……お前が、"病毒の王"? あまり……そう。笑わせるな」
レベッカが、にいっと頬肉を歪ませるようにして笑う。
なるほど、悪い笑顔。
……それを見て、ギャップもいいなあと思う私は、特殊な趣味なのだろうか。
「……レベッカ・スタグネット。そなたに伝えなかった事は、すまなく思う。だが――」
「私は"蛇の舌"の出資者の一人だぞ? ――舞台衣装で誤魔化せると思ったか」
「なればこそ。私だと示す必要がある。しかし、『逃げ道』を残す必要がある。そのための衣装である」
「ねえ、腰が強いんだけど」
「腰の強くない詐欺師なんていませんよ」
リズの言葉に、納得する。
どこまで言い訳するか、ちょっと聞いてみたくなってきた。
レベッカは、ため息をついた。
「お前があくまで"病毒の王"を名乗るというなら……私から、いくつか質問をさせてもらおうか」
そして、質問する。
「――あの方の、妹の名前は?」
「……答えられぬ」
「ああ、そうだな。――『正解』だ」
彼女はくすくすと笑う。
獲物をいたぶる、猫のように。
「では、私の生まれた国の名前は?」
「……答えられぬ」
いつか私がされた質問。
その答えを知る者は――多くない。
私と彼女の他は、フローラさんを筆頭に、オルドレガリアを知る者達だけだ。
「それは間違いだ。答えられなくてはいけなかった。あの方は一度正しく答えたのだから。さて――私の、メイドの名前は?」
「……答えられぬ。これは魔王陛下よりの命令なのだ。民がいる場で、無闇に幹部の情報を開示するなどもっての他」
「その民に、何をした?」
レベッカが、滑らかな動作で腰のホルダーから短杖を引き抜いて、先端に青緑色の鬼火を灯す。
「……あの場には、いなかったのだな」
レベッカがぽつりと呟いた言葉が、強化された聴覚でかろうじて聞き取れた。
あの日。
王都で、私の棺を運ぶ短い葬列を止めた私に、彼女が問うた質問だ。
あの場にいて、質問と答えを覚えていたなら、あるいはうわべだけでも答えられたかもしれない。
「最後に一つだけ、問おうか」
ならば最後の質問は、リズがした、"第六軍"の方針――
「――私は、"病毒の王"に……『お前』にとって、何だ?」
……ではなかった。
ニセ"病毒の王"が、一瞬の沈黙の後、口を開く。
「……信頼出来る部下だ。かつて与えた序列第三位は飾りではない」
レベッカは、口を開かなかった。
『間違い』だと言わなかった。
確かに『それらしい答え』だ。
衣装の予算はケチられていたが、最低限の予習は済ませているらしい。
私は仮面を着けると屋根から飛び降りて、ゆっくりと彼女の背後に歩み寄る。
「『間違い』だ」
そして、彼女の頭に革手袋をはめた手をのせて、撫でた。
反対側の手に持った、青い宝石を繋ぎ止めた杖の鎖が、しゃらりと揺れる。
レベッカが、はっと私を振り返った。
私の気配を殺し、意識を外す技術も捨てたものではないらしい。
「確かに私にとって『レベッカ・スタグネット』は、信頼出来る部下だった。かつて与えた序列第三位は飾りではない。しかし、私にとって彼女は個人的にも親しい友人であり――可愛い妹のような存在だ」
レベッカが……私にだけ見える角度で、にこりと微笑んだ。
やっぱり女の子には、笑顔が似合う。
……特殊な笑顔も、それはそれで好きだけど、やっぱり、こういう柔らかい笑顔が一番だ。
最後にぽん、と軽く彼女の小さな頭に手を置いて離し、一歩前に進み出た。
そして、杖の石突きを、地面を抉るように突き立てると、地獄の底から響くような重低音で、宣言する。
「私は、"病毒の王"。最早"第六軍"はなく、最高幹部ではなく、しかし、この名前を他人に名乗らせるつもりはない」
私にとって、この名前は大切な物だ。
しかし、この名前は、『種族不詳』にして『正体不明』の誰かが名乗った名前――という事になっている。
私の退役に際し、"病毒の王"の存続も、検討された。
『立場』として。
『中の人』を変えて。
ただの『一機能』として。
毒沼の水で染めたような深緑のローブをまとい、フードを下ろし、仮面を着ければ、誰でも"病毒の王"になれる。
分かりやすい、あからさまな『脅威』に。
それは、"病毒の王"という存在が、この国に生まれた時に望まれた物。
戦時中においては、私の死に方によっては、影武者が立てられる予定だった。
私も賛成し、推進したプランでもある。
戦後においては、内々に実施された聞き取り調査において、満場一致で否決されたプランだ。
誰もが、私だけを"病毒の王"とするべきだと、言ってくれた。
もう必要ない立場だと。
戦争のために生み出された存在は、戦争と共に役割を終えるべきだと。
そう、言ってくれたのだ。
もう、ローブも、フードも、仮面も、肩布も、杖も、護符も。
"病毒の王"を示す記号を、いかに揃えようとも。
それは"病毒の王"を意味しない。




