蛇と竜のしっぽ
かなりの強行軍でリタル山脈を下山。目一杯骸骨馬を強化して馬車を飛ばし――た結果、レイラがダウンした。
むしろ吐かなかっただけ根性があると思う。
目指すは、以前も訪れた大洞窟。
かつては防衛上の最重要機密だったリタル様の居場所だが、現在は王都近くの"第一軍"詰所にいる事が多い。
幸い、今日もいてくれた。
まだ、夜明け前だ。なので"第一軍"の人は驚いたようだったが、既に顔パスなのでスムーズに通してくれる。
以前は最高幹部として。
今はただの……友人の一人として。
皆にレイラの介抱を頼んだので、私一人だ。
洞窟の横穴の一つ、その最奥で身体を横たえていたリタル様が、半身を起こし、私を見る。
「……デイジー。知らせもなく、このような頃合いに来るとは、一体何があったのだ?」
「"病毒の王"と、お呼び下さい。――"第一軍"、序列第一位、"竜母"、リタル様」
私は恭しく礼をした。
リタル様が、じっと私を見る。
「……そなたに、再びその名前を名乗らせるような事態が起こった、と?」
「はい。……私の偽物が現れました。ランタル地方の開拓村で、盗賊をしているようです」
私が答えた瞬間、空気が凍った。
きしり、きしり、と、冷たい湖に張った薄氷を踏むような音が聞こえる錯覚さえ覚える。
久しぶりだ。
久しぶりに、死ぬかも知れないと思った。
その敵意を向けられているのは、私ではない……はずだ。
信じていてさえ、恐ろしくなるほどの重圧。
薄闇の中で、彼女の黄金の瞳が薄く輝き、目元の白銀の鱗を淡く照らす。
ばさりと翼が広げられる音が、死の足音にさえ聞こえた。
これが、竜。
建国初期からこの国を守り通した、おそらくは世界最強の個。
ふうー……っ、と息が吐かれ、彼女は目を閉じて沈黙した。
数秒後、再び目が開かれた時、その目に怒りが残っていない事にほっとする。
「……よろしい。そなたらを背に乗せて飛べば、良いのだな?」
「……何故お分かりに?」
「私を呼ぶほどの相手ではなかろう。レベッカがいるならば、権限も十分。ならば、送迎馬車代わりであろうよ」
理路整然とした彼女の言葉に、申し訳ない気持ちになった。
「……すみません」
「何、気にするな。空を飛ぶ事が嫌いな竜などおりはせぬ。――詳しい話は、道中に頼む」
「はい」
彼女は、口の端をちょっと歪めて、笑ったようだった。
「……戦争が終わった時……あの長い戦争を勝利で終えられた時、私は、ほっとした……」
「……リタル様?」
「もう、争いで死ぬ竜が……いや、戦争で死ぬ者が、いなくなると思った……」
「…………」
この十年間、戦争は起きていない。
おおむね平和に過ぎてきた。
それでも、馬鹿はいなくならない。
犯罪件数は少ないし、治安はいい方だ。――けれど、ゼロではないのだ。
「そなたの見た未来だ。我らが共有した理想だ。甘いかもしれぬ。しかし、それを守れば平和に生きられるという法を定め、リストレアという国は創られた。この国の法で縛れぬ者はもう……この大陸におらぬ。我らはもう、争わずとも生きられるようになった」
争えば、ひとは傷付く。
死ねば、それで未来が潰える。
平和に生きられるはずだった時間が消える。
「だというのに、友人の名を騙り……力なき民……新しき世界を創ろうとする者達から、富を奪おうとする輩がいる?」
翼がゆっくりと曲げ伸ばしされ、目が、洞窟の中でもはっきりと遠くリタル山脈の向こうに据えられたのが分かる。
「魔王軍最高幹部として飛ぼう。リストレアの平穏を脅かす全てが、我らの敵」
彼女は口を大きく開け、牙を見せた。
私も思わずにいっと口を大きく開けて、歯を見せて笑う。
「そやつらは、蛇と竜の尾を踏んだ。後悔させてやる」
竜の尾を踏むというのは、おおむねこの世界では、虎の尾を踏むと同じ意味で使われることわざだが、そこに私を象徴する蛇を混ぜてくれた遊び心が、なんかちょっときゅんと来た。
竜殺しの戦士の伝説は、この大陸に数多くある。
しかし……確かな事実は。
竜殺しの戦士の伝説は、白銀の鱗の竜の報復によって死を迎えるという結末が、もっとも多いという事だ。
洞窟を出た所で待っていた皆の中に、レイラを見つけて声をかけた。
「レイラ。体調どう? 大丈夫?」
「あ、はい……。もう大丈夫です」
彼女は、ふっと笑った。
「……もう、どんな乗り物でも平気ですよ、ええ」
地獄を見てきた戦士のような顔。
私はにこやかに頷いた。
「それは良かった」
「うむ。そなたがレイラか。……我が名を冠した山脈を一人で越えて助けを呼びに来たという」
私の後ろから続いて洞窟を出たリタル様を見て、レイラは固まった。
洞窟を出るまでに、彼女の名と単身助けを呼びに来た経緯を簡単に伝えてある。
「この世には理不尽が数多くある。辛い事もあろう。恨む事もあろう。――だが、信じてくれ。我らはそれを、敵と定めた」
リタル様が姿勢を低くしてうずくまると、腕を脇につけ、翼を大きく広げた。
滅多に取らないが、ドラゴンの背に乗り込む際の基本姿勢だ。
腕を伝って背中にまたがれるという寸法。
「……あの? "病毒の王"様?」
「どんな乗り物でも平気だって言ったよね」
「……この方、リタル様ですよね?」
「うん」
「あの"竜母"を、乗り物扱いするのはおかしいと思います!」
「全くだ」
「全くですよ」
レベッカとリズが頷く。
「なに。馬車馬とでも思えばよい。少し大きくて空を飛ぶ……な」
涼しい顔のリタル様。
魔王軍最高幹部は、相応のメンタルが要求される地位だ。
私のそれは面の皮が厚いという意味だが、リタル様のそれは人格者という意味だ。
でも、素敵な性格をしていらっしゃるとは思う。
「え、ええー……?」
困惑顔のレイラ。
「レイラ。そなたの勇気に敬意を。遠慮せず乗るがよい。――妹を待たせておるのだろう?」
「そうそう。それに、リタル様に乗せてもらうなんて、自慢出来るよ」
「恐れ多くて自慢とか出来ませんよ……」
ふるふると頭を振るレイラ。
「……でも、あいつらが、もう……怖くなくなりました」
レイラは笑って見せ、私達も思い思いの笑い声を上げる。
片方は元とはいえ、魔王軍最高幹部が二人。
一人は『あの』"竜母"。
一人は『あの』"病毒の王"。
私達の気持ちは一つだ。
全力で、最速で。
これ以上ない形で、後悔させてやる。




