許せないもの
私は、静かにたたずむバーゲスト達を手で示した。
「レイラ。この子達は、目を血走らせているか? 涎は? 唸り声は?」
「……いい、え」
毛がゆらゆらとたゆたう以外は微動だにしない黒妖犬達を見回すレイラは、そわそわと居心地悪そうにしている。
「それは、二流……いや、三流の証だ。旧時代の方法だよ」
とりあえず、罪状が一つ増えた。
今では、精神魔法を使用しての黒妖犬の従属は法で禁じられている。
暴走の危険があるからというのがその理由だが、何より私の元に属する群れは、そんな鎖を必要としない。
"第三軍"の魔獣師団に協力しているバーゲスト達を従わせるのは、私の命令と――ハンドラー達への信頼だ。
手を下ろすと、ふっと目の赤い光が消失し、毛もいつも通りふんわりともふもふに戻る。
私は座り直した。
バーゲストの一匹が、ブラシをくわえて寄ってくる。
「よしよし。一匹ずつね」
ブラシを私の手に落とし、腕に飛び込むようにもふりと体重を預ける黒妖犬。
片手で撫でながら、長い毛にゆっくりとブラシを通していく。
「……これが、黒妖犬?」
「そう。この子達がいれば、三匹どころか、三十匹を敵に回しても負ける気がしないね。――他には?」
「……"病毒の王"……の偽物は、死霊です。強いのかどうかは……分かりません。人数は十人……ぐらいだと思います。正確な数は分かりませんけど。それからは、全員で集まる事が禁止されたので……」
語っていくにつれて、表情が暗くなる。
「全員武器を持ってて……ダークエルフと獣人と不死生物……骸骨です」
「……ちょっとうちと構成が似てるね?」
「構成だけはな。……レイラ。――被害は? その……」
レベッカが、ちらりとサマルカンドとハーケンに目をやる。
二人が察して立ち上がろうとしたところを、レイラが止めた。
「……変な事は……されてません。少なくとも私は。一応、普通に暮らしてます。……でも、なけなしの蓄えは盗られたし、居座って、運べる金目の物を見繕ってます。殺された人も、いない……けど」
ギリ、と歯を食いしばる。
「あいつらに、私達の物を奪う権利なんて、何一つない……!」
初対面の私に向けられた憎しみの理由を、理解する。
「……気が、合うね」
「そうですか? 私と……"病毒の王"様では、共通点なんて……」
「……詳しくは語れないけど。――許せない事があって、守りたい物があった。同じだよ」
だから私は、殺されるより殺す事を選んだ。
「――誰かを傷付ける権利なんて、誰も持ってない。誰が奪っていいものか。――誰に、そんな権利があるものか」
奪われた私にだって、そんな権利はないけれど。
それでも人間達は、色んな物を奪い続けた。
「……まとも……って言うのもアレだけど、少しはマシな輩みたいで良かった。でも、もし誰か一人でも殺してたら……」
私は、口の端をちょっと歪めるようにして笑った。
「生まれてきた事を後悔させてやるよ。"病毒の王"の名に誓って」
「……その時は、どうか」
レイラも、力なく、しかし歪んだ笑みを浮かべる。
「……私、妹が、いるんです」
「妹さんが?」
「はい。……私の、一番大切な存在です」
笑顔が、愛しいものを語る柔らかい物になる。
「……何も教えず、一人で置いてきちゃったけど」
ぽつりと呟く彼女は、随分と寂しそうだった。
バーゲストがとことこと近付いて、その手をぺろりと舐める。
「……えと、あの」
「多分、慰めようとしてくれてるんだと」
「そう……ですか」
「撫でたげて」
躊躇いがちに手を伸ばし、わしゃ……と頭を撫でる。
その動作を繰り返していくうちに、少しだけど、彼女の口元に笑顔が浮かんだ。
タイミングを見計らって、話を再開する。
「それで、どうして一人でリタル山脈を? それにあんな軽装で」
「……言った通り、自由は制限されていて……もちろん、助けなんて呼べません。巡回は定期的な物が来た直後を狙われたので、しばらくないし、不定期の巡回には期待出来ないし……」
「うん」
「山菜採りの時に、崖下の川に飛び降りて……」
「待って。今なんて言った?」
「山菜採りの時に、崖下の川に飛び降りました」
アグレッシブ。
「……うん、ごめん。続けて」
「溺れる演技をして、沈んで、潜水して、離れた所で上がって、リタル山脈へ向かったんです」
一般人って思ってたよ。
身体能力はともかく。
度胸と思い切りがいい。
「なんで、他の開拓村を目指さなかったの?」
開拓村は一つではない。
物資の不足などに対応出来るよう、なるべく近隣に村があるよう意識して配置されると聞いた事がある。
「……助けを求めようとした人はいたんです。開拓村のリーダーが夜中にこっそり……でも、黒妖犬が見張ってました」
彼女の表情が暗くなる。
「彼は捕まって、足を縛られて、木に逆さ吊りにされて……殺されまではしませんでしたけど、殴られて……『助けを呼ぼうとしたらこうなる』って。『村の周囲は見張っている』って。それにあいつら、笑って……わら」
「もういい」
遮った。
震え声に、涙が混じっている。
レベッカが、何も言わず、そっと彼女の肩に手を置いた。
私は、さっき言った言葉を繰り返す。
「――もう、いい」
ふーっと、息を吐いた。
戦時中の私は、もっと残虐な事をした。
それでも、無用に嬲った事だけはない。
敵を笑いものにして、辱めた事だけは、ない。
ああ、確かに。
男は殺して、女は犯して――そんな輩よりは随分と『マシ』だ。
誰も殺してなければ、せいぜい優しく法律にのっとって『処理』してやろう。
「……レベッカ。何日かかる? 有無を言わさず、全部の道理を通して、害虫共を彼女の村から叩き出すまで」
「そうだな……レイラ。村の位置を教えてくれ。――サマルカンド、地図を」
「はっ」
サマルカンドが立ち上がり、荷物へ向かう。
すぐに戻ってきて、地図を広げた。
レイラが一点を指差した。
「……ここ、です」
「ふむ……」
考え込むレベッカ。
「……マスター。早い方がいいな?」
「一秒でも早く」
「直接行けなくもないが……。『人脈』を使う事に抵抗は?」
「ない」
「ならば一日だ。明日の今頃には、レイラの村を解放する」
「さすがレベッカ」
頼もしいお言葉だ。
「では、すぐに下山するぞ。……レイラ。ここで待っていてもいい。食糧はあるし、救助を寄越す。不安なら、誰かを残してもいい」
「連れていって下さい」
彼女は迷わなかった。
「少しでも早く、妹に会いたいんです。どういうルートで行くのかは分かりませんけど、道案内ぐらいは出来ますし……決して、足手まといにはなりません。歩き通してみせます」
「分かった。でも、昨日の今日だからな」
「そうだよ。それに悪いけど、レイラの足じゃ遅すぎる」
「……でも、私」
「一緒に行こう。……私も……妹、いるんだ。気持ちは、分かるつもりだよ」
もう、並んだらどちらが年上か分からないかもしれない。
彼女がいるのは違う世界だ。何も出来ない。
それでも、私はお姉ちゃんで、あの子は私の妹だ。
何も出来ないけど。せめて、幸せを祈るぐらいは。
「――はい」
レイラが優しげな顔になり、しっかりと頷く。
「それで、時間短縮のために、レイラには背負われてもらうけど――私とサマルカンドだったら、どっちがいい?」
「……はい?」
レイラがいぶかしげな顔になり、首を傾げる。
「え、と……」
サマルカンドと私を交互に見て、最後に視線を私に戻した。
「え、選ばなきゃダメですか……」
「ハーケンは骨だし、レベッカはさすがに身長差が……。リズは生身だから万全の体調でいてほしいし……」
ならば上位死霊である私か、上位悪魔であるサマルカンドか。元"第六軍"グレーターコンビの二択になるのは必然というもの。
「……悪いけど、こっちで決めるね。サマルカンド、すまないが私の荷物を持て」
「は、我が主」
サマルカンドが素直に頷く。
「え、あの」
「女同士の方がいいかなって思ったんだけど……」
彼女は観念したように頷いた。
「……それでお願いします」




