力ある名前
「そなたの頼みなら、聞いてやりたいとは思う……だが、しかし……」
「――既に一度通った道ではありませんか」
私は、王都にほど近い"第一軍"の管轄下にある洞窟の一つで、リタル様と面会していた。
"第一軍"魔王軍最高幹部、"竜母"、リタル。
氷河を切り出したような白銀の鱗を持つ竜であり、おそらくはこの世界最古にして最強の存在だ。
魔王軍のナンバリングは重要度順ではないが、そうだったとしても"第一軍"の名は彼女が率いるドラゴン達に与えられただろう。
「だが、我が名には力がある。無論、魔法的な物ではないが……私は、竜族の長なのだ」
それゆえ、私の提案に対して、彼女が慎重になるのは分かる。
しかし、私もそれぐらい予想しているし、説得の言葉も用意してきた。
「竜族は先の戦争で大きく力を失った。……魔王陛下の退位も迫りつつある今、手を打たねば……百年、二百年の後、竜族の立ち位置を保証する物があるとお思いですか」
「……うむ」
私は言葉を重ねた。
「多くの人は竜族に感謝し、信頼し、尊敬している。……しかし、恐れてもいるのです」
「"第一軍"の力を防衛のみならず、輸送に使おうというそなたの提案は既に通ったではないか?」
「喜ばしい事です」
私は頷いた。
私達"第六軍"が、人間の支配領域へ侵攻した時、竜族が輸送役を務めた。
主な構成員が骸骨と死霊ゆえの荒技であり、竜族での人員輸送はたとえ不死生物であろうと、日常的な輸送方法としては危険が伴う。
しかし、人員でなければ?
鉄製品や穀物。多少の衝撃でもダメにならず、重量のかさむ輸送物はいくらでもある。
布製品やその原料。軽いものなら大量輸送でもドラゴンへの負担は少ない。
軍の戦力は、現状ではその全てを魔獣種に代表される『脅威』へ対する抑止力として振り向けられるようになった。
ドラゴンは、戦時中からその筆頭だ。
しかし、いずれ間違いなく、人口の増加に反比例するように魔獣種の数は減少していく。
狩猟によってお肉が市場に供給されている事もあり、完全に滅ぼせという意見は通らないだろう。
地球の絶滅動物を思うと、あまり無茶もしたくない。
いつか、この大陸に開拓の手が入りきった未来、土地の価値が上がりきった時は、分からないが。
しかし少なくとも今、地図には広大な空白がある。――魔獣種のほとんどいない、かつて都市や農地として使われていた土地が。
一部は人間の村を再利用して、開拓村が作られて、調査と入植が少しずつ進められている。
本国に目を戻しても、"闇の森"を少し奥に行けば、点在する集落の他は手つかずの大自然――それがどれほど贅沢な事か。
備えは必要だ。
しかし、いつ戦争になってもいいように備え続ける必要は、もうない。
ゆえに、当然、私以外にもドラゴンによる輸送――人員ではないが――を考えた人はいて、折に触れて検討はされてきたが、その度に竜族は戦時の備えであるとして却下された。
所詮はリタル山脈のこちら側だけだったというのもある。
しかし、大陸を横断する距離となれば、陸路は大変だし、海路は……大海蛇に餌やり体験をしてみようとか、そんなひどい事態になる未来しか見えない。
そのための『空路』。
ドラゴンを神聖化している人達もいて、その人達の気持ちも分かるのだが、仮面まで着けた正装の"病毒の王"スタイルで、押し通した。
そしてリストレア魔王国はそれなりに柔軟な方とはいえ、魔王軍は、軍政一体の行政組織でもある。
一度前例を作り、慣例化してしまえば、こっちのものだ。
既得権益や岩盤規制と言えば、どちらかと言えば槍玉に挙げられる事が多いが……悪い事ばかりでもないのが微妙な所。
腐らないように手入れしていく器量と、根腐れしたら『手入れ』するだけの体力が、未来のリストレアにはあると信じる。
リタル様が、金色の瞳で私をじっと見つめた。
「……どうしても、我が名が必要か?」
「どうしても、です。――少なくとも私は、それ以上の名前があるとは思えない。リタル様の了承を頂けないなら、この計画は白紙撤回します」
「しかし、その……我が名を冠しては……仰々しくはないか?」
「そうは思いませんが、そうだったとして悪い事がありましょうか。そして、いずれ親しみをもって語られるようになるはずです」
「…………」
リタル様が長い首を巡らせて、少し離れた所に控えているリズを見た。
「……リーズリット。そなたも、デイジーと同じ意見か?」
退役してからは、彼女は私とリズを名前で呼んでくれるようになった。
私はリタル様に対しては、ずっと変わらず様付けだが、これは敬意と同時に親しみも込めている……つもりだ。
「まあ、そうですね。名前、というのは大事な物です。……『"第六軍"にてお仕えした主』がかつて名乗った異名は、その仰々しさゆえに広まり、恐れをもって語られました」
茶番ではあるが、過去の私をほんの少し遠い呼び方で語るリズ。
「……リタル様の名には、それだけの力があるかもしれません。マスターの……いえ、私達の計画は、実現までに解決すべき問題は山積みですが、リタル様の名を頂けるならば……成功すると思えます」
そこでリズが私をちょっと見て微笑んだ。
「……私のマスターは、突拍子もない事を言っては周囲を困惑させる悪癖をお持ちですが、それを全て実現してきました。それはリタル様もご承知かと」
「そう……だな。うむ」
頷くように頭を縦に振るリタル様。
「……一体何を言い出すのかと思った……いや、今も思っているが」
喉を震わせるリタル様。
人間で言うと笑っているらしい。
「"第一軍"……いや、"第一軍"の"竜母"ではなく、ただのリタルとしてではあるが……そなたの『事業』を応援しようではないか。"四番砦"及び、周辺の土地の使用許可を与えよう。……そして、私の名前を使うがよい」
「……ありがとうございます。完成の暁にはご招待しますね」
「楽しみにしている」
また、喉を震わせるリタル様。
「……しかし『リタル温泉』というのは、少し気恥ずかしいものだな」
これ以上の名前が、あるだろうか。




