平和な世界のよくある死に方
目が、覚めた。
目を開けて、ぼんやりと天井を見る。
いつもと違う、天蓋のないベッド。けれど見覚えのある部屋だった。
リズの部屋。そして、リズのベッドだ。
隣の私の部屋は、酷い有様だからだろう。見ていないが、庭やエントランスも。
「マスター! 目が覚めましたか?」
「リズ……」
ベッドサイドに控えていたらしいリズが、私を覗き込む。
私は、生きているのか。
サマルカンドを、失ったのに。
私は上官で、彼は部下だった。
私は主で、彼はしもべだった。
そして彼は、私のために盾となった。
それが彼の意志であり望みだったという事も分かっているのに、それはほとんど慰めにはならなかった。
起き上がろうとして、肩に走る痛みに顔をしかめた。
傷は塞がっているようだが、治癒の魔法は即座に完全回復するほど便利でもない。数日は傷が開く事もあるし、安静にして丁寧に治さないといけない。
「何日……寝てた?」
「丸一日と少し、といったところでしょうか」
「手、貸してくれる?」
「は、我が主」
大きな毛むくじゃらの手が、そのごつさに似合わない優しさで背に添えられて、私の体をそっと起こした。
「ありがとうサマルカンド」
二度見した。
「……サマルカンド?」
影のように控える巨体。
艶やかな漆黒の毛並み。
横三日月の、山羊の瞳。
私の、黒山羊さん。
「ねえリズ」
「なんですか?」
「やっぱり私死んだ?」
「生きてます。……大丈夫ですか? 頭とか」
「いやだって、サマルカンドがそこに」
「サマルカンドも生きてますよ」
「はい。契約は未だ健在です、我が主」
サマルカンドの丁寧な言葉に、確かに――確かに、私の血の内を契約が脈打つのが分かった。
「……死んでた、よね」
「肉体的には。しかし、我ら悪魔……それも上位悪魔は、魂を砕かねばしばらくは死にませぬ。肉体の蘇生と魂の再定着には、自らを殺した者の肉体と魂が必要となりますが……この度は、それらの条件を満たしておりました。リズ様、そして何より、我が主のご尽力の賜物でございます」
何それかっこいい。
自分を殺した相手の血肉と魂を糧に生き返る――聞いていて、ウーズ叩き付け続けただけの自分がなんだか情けなくなるほどに格好いい。
「肉塊に成り果てながらも、魂で聞いておりました。私を部下と。そして、友と呼んでくれた事は忘れませぬ」
「そうか。私も、お前が生きていてくれて、嬉しく思うよ」
処刑させないためだったとはいえ、本来上位悪魔に向いているとは言い難い部署へ強引へ引き抜いたのだ。
その挙げ句、自分の身代わりに死なせたと思った彼が生きていてくれたのは……本当に嬉しい。
手を差し出した。
「有り難きお言葉……」
サマルカンドが、差し出された手を押し頂いて額に当てる。
感極まったように顔を伏せ、その目尻に涙が滲むのが分かった。
しばらくそうしていたサマルカンドが手を離し、一歩引いてかしこまる。
リズの方を見た。
「……結局、被害は?」
「少人数による強攻でした。喜んで下さい。人的被害……死者はゼロですよ。マスターを含めた怪我人はいますし、うちのバーゲストがほぼ全滅しましたが……」
「あの子達が……そっか……」
好き勝手に撫で倒し、埋もれるようにして眠り……と、慣れない異世界で思わぬもふもふ感に出会えた。
その子達が――殺された。
胸の内に暗い火が灯るような感覚。
憎悪という名の炎が、私の心を黒く煤けさせ、焦がしていく。
「でも一匹残ってますし、また増えますよ」
「え、そういうもの?」
胸の内に灯った暗い火が、予想外の言葉に、水をぶっかけられたロウソクのようにじゅっと消えた。
「黒妖犬の群れは、明確な個の区別を持たないようですから……十一匹を時間稼ぎに回して、一匹が王城に走ってくれました。ラトゥース様が間に合ったのも、この子が助けを呼んでくれたからですよ。褒めてあげてください」
ひょこり、とベッドに前足を乗せ、顔を覗かせるバーゲスト。
「ああ、よくやった。おかげで、助かったよ」
手を伸ばして頭をわしわしと撫でると、一匹残ったという黒犬さんが気持ちよさそうに目を細めた。
「リズは、怪我大丈夫?」
「はい。とりあえず動ける程度には。でも、一太刀で動けなくなるとは不甲斐ない限りです。そりゃ私は、物理防御硬い方じゃありませんけど……」
リズがぼやく。
「よくあの怪我で動けた……というか、よく生きてたね」
彼女の背の傷は、敵が戦場で致命傷と思うには浅く見えた。トドメ刺されなかったのは不思議だ。
「斬られた瞬間に、幻影を見せました。精神干渉術式も少々添えて」
そんな、季節の野菜を添えて、みたいな。
「騙せるもの?」
「実際、虫の息でしたし……それに、人間は所詮、信じたいものを信じる生き物ですから」
リズが、薄く微笑んだ。
その笑顔に、冬の夜に首筋に冷えた刃物を当てられたような寒気が湧いて、少し肩が震えた。
怖い笑顔を消し、いつもの表情になるリズ。
「ところでマスター。私もお聞きしたい事があるのですが」
「なに?」
「――どうして、"粘体生物生成"を攻撃に使うという発想に至ったのですか?」
「ああ……」
私は少し笑った。
「私の使える魔法の中で、相手を殺し続けられる『攻撃魔法』は、あれだけだったんだよ」
「あれは『日常生活用魔法』です。……どうして、あんな……その、ウーズで窒息させるとかいう悪魔的な発想を?」
悪魔的言われた。
ただの人間なのになあ。
「私の世界は、平和だったから」
「それと、何の関係が?」
「私の世界ではね、平和に暮らしている人が死ぬ場所は、結構な確率でお風呂場だったんだよ」
「……平和なのに、ですか?」
「水場の事故に平和も戦争も関係ないよ」
「それは確かにそうですが」
「洗面器一杯の水で人は溺れる。後、お正月……新年には、お餅っていう、その名の通りもちもちした食べ物を食べる習慣があるんだけどね」
「はい」
「それを喉に詰まらせて、毎年何人も死んでる世界なんだよ」
「……マスターの世界は聞けば聞くほど狂ってますね」
ウーズを入浴に使う国の人に言われると、少し複雑。
「――それで? あの白い鎧の騎士の情報は?」