弓兵と騎士団長
店に弓を矢筒と一緒に預けて身軽になって、ぶらぶらと街を歩いていたら、いつの間にか城塞まで来ていた。
夕陽に照らされた城壁は、緊張が緩んだ現在、素直に美しいと思える。
真ん中が崩れた城壁は、終戦から十年を経てもそのままだ。
中央の瓦礫撤去作業は長らく手が回らず、通路を確保し、ゆっくりと拡張していくだけに留まっていたが、最近それも終わった。
『応援』が来てくれたおかげだ。
ブリングジット様が『工兵』の応援が来ると、にこやかに通達した時の事を覚えている。
確かに、応援の者達の腕は確かだった。
働きぶりも頼もしかった。
ただ、あの"病毒の騎士団"の騎士達を工兵扱いするのはどうかと思う。
疲れを知らず、恐るべき身体能力を持ち、労働意欲に富み……一人で熟練の兵士数十人分の働きをしたのではないかと思うほどだ。
瓦礫をひょいひょいと運び、荷車に積み込み、少し離れた荒れ地に設けられた、当座の廃棄場へと捨てていく。
建材として再利用出来そうな物を仕分けるまでの余裕さえ見せた。
彼らに個人的に礼をしたいという話が兵から出て、私が代表で打診したところ……主の退役祝いの『サプライズ』に付き合ってほしいとの事。
なんでも"第六軍"の方針は、『面白おかしく』なのだとか。
……なんとも愉快な方針だ。
作業の合間や、その後の休憩時間に和やかに談笑し、ジョークを飛ばす彼らを見ていなければ、まったくもって腹がよじれるほど笑える冗談としか思えなかっただろう。
もちろんブリングジット様は快諾し、私を供に連れてお花見に参加した。
彼らのおかげで、崩れた部分の瓦礫の撤去は終わった。
左右の堅牢な城壁を崩すのは、それはそれで大変なので、このまま残るのではないかと言う。
「隊長? ――今日は、非番ですよね?」
「足が向いてな」
監視塔の上から、長弓を持ったダークエルフの女性兵士が声をかけてくる。
部下の弓兵だ。
私よりも低い身長で、軍用弓を引いて見せる剛の者でもある。
交流祭の折には、魔王軍に親しみを持ってもらいつつも、多少なり軍の必要性や、凄さを分かってもらわねばならないので、彼女は恰好の人員だ。
もちろん弓兵の中には男女問わず屈強な者もいるが、小柄な彼女が引いてみせると、インパクトが違うのだ。
私自身あまり屈強な方ではないので、部隊長としてそういう宣伝のお仕事をする事もある。
「一応、許可を」
「はい、どうぞ」
それだけで通される。
かつて最も堅牢な最重要拠点であり、最前線であったリタルサイド城塞は――様変わりした。
どこもそうだが、特にここは。
『最前線』どころか、戦場がもうない。恐れるべき『仮想敵』もいない。
強いて言えば反乱の類だ――が、戦後まもなく、絶対数で勝る反乱があっさりと失敗し、いとも容易く叩き潰されたのを知らない者はいない。
今後、武力で何かを変えられると思う馬鹿は……少なくともしばらくは現れないだろう。
……それにしても、『結婚式』を罠に使うという発想はどこから出るのか。
私も参列していたが、戦力差がひどかった。
足の向くままに任せると、城壁に来ていた。
見張りの数は大幅に減っている。
十年を経ても、当時のようなローテーションは組みようがない。
それほど軍人が減ったのだ。
特に、城壁の端の崩れた部分は、危険なので立ち入り禁止区域になっている。
いずれ――ここは最前線の防衛拠点から、物流の要衝となるだろうか。
今はまだ、かつての人間の支配地域へ入植した開拓村との定期便が通るだけだ。
同時に、リタルサイドはおそらく最大の耕作地帯でもなくなるだろう。
ここは、リストレアという国の一都市になり……ここが戦いの舞台になったのは、きっと歴史の一ページになる。
私の名が歴史に残る事はない。
けれど、歴史に名を残す人のために、弓を引けた事を、誇りに思う。
ぼんやりと物思いにふけりながらも、足下に注意して急な石段を登り切ると、声がかけられた。
「――おや? 非番じゃなかったか?」
「ブリングジット様……」
顔を上げると、眩しくて目を細める。
夕陽のせいだ。
「その恰好……狩りでもしてきたか? 息抜きは、出来たか?」
「ええ、よい休日でした」
頷く。
「自然と足が向いて……夕陽を見たかったのかもしれません」
「なんだ。私に会いに来てくれたんじゃないのか」
騎士団長様が、軽口を叩く。
それが罪な事だと分かっていない。
「ブリングジット様がここにいる事は知りませんでしたから」
そこで、ふと気付く。
『弓の嬢ちゃん』『狩人の姉ちゃん』『お前さん』『おねーさん』『隊長』――
ブリングジット様に至っては、役職名のような呼び名さえ使っていない。
私は思わず、口を開いていた。
「……ブリングジット様」
「なんだ?」
「私の名前……知ってます?」
「なんだ、急に」
「今日一日……いや、長い間、名前を呼ばれてないなって思いまして」
お花見の時も、名乗るタイミングを逃してしまった。
リーズリット様は参加者のリストに目を通しているから、知っている……はずなので、"病毒の王"様には伝えているのではないかと思うが。
……いや、デイジー・フィニスか。
もう、この国に病と毒の王はいない。
「……ブリングジット様、寂しくはありませんか?」
「ん?」
「"病毒の王"様が……ご友人が、退役されて。妹様も」
「寂しくないと言えば、嘘になるな。……でも、潮時だよ。機を逃せば、あいつはずっと縛られる」
彼女は少し寂しげに、それでも笑ってみせた。
「それに、な」
「それに?」
「――お前は、私のそばにいてくれるんだろ?」
「……ブリングジット様。悪女志望だったりしますか?」
「……は?」
彼女は、目を瞬かせた。
「いえ、いいです」
素で言っている。
絶対に、他意もなく、純粋な気持ちで言っている。
それを聞いただけで、この城塞にいるほとんど全員が命を懸けるだろう発言だという事に気付いていらっしゃらない。
「それで、あの。私の……なま……」
名前、と言えずに、言葉の最後が尻すぼみになって消えていく。
ブリングジット様が、目をそらしながらうんうんと頷く。
「あ、ああ。名前、な。うん。覚えてる。もちろん覚えてる」
それ、覚えてない時に言うやつ。
……何を望んでいたのか。
私は、一人の弓兵たらんとしたのに。
一体、何を妙な夢を見て――
「――冗談だ。ちゃんと覚えてるよ、エスタ」
「……ブリングジット様」
エスタ。
私の名前。
母が名前をつける前に逝ったので、獣人である父がつけてくれた名前だ。
同時に母方の実家との縁が切れたのもあり、ダークエルフなのに、公式には名字はない。
「なんだ、エスタ。私がそんな粗忽者だと思っていたか?」
「……いえ、そのような事は」
ごめんなさいブリングジット様。
正直ちょっと思ってました。
「忘れるはずがないだろう? ……よくここまで、私を支えてくれたな。改まって礼を言った事、なかったけど……感謝してる」
城壁の上で、夕陽を浴びながら、ブリングジット様は笑った。
ほんの少し、気安い口調。
騎士団長としての公的な物とは少し違う……私の特別。
「ブリングジット……様」
胸が締め付けられるようだった。
私は、私の全てが報われた気がした。
雨の日も、雪の日も、弓を手にこの城壁に立ち続けた。
その、張り詰めた弦のような心が弾けた気がして、私は眼鏡を外して、そっと目端に滲んだ涙を拭った。
眼鏡を掛け直すと、笑いかける。
「……ブリングジット様、やっぱり悪女志望だったりします?」
「だから、なんだそれ」
呆れ顔になるブリングジット様。
そして苦笑する。
「――私には、似合わないよ、そんなの」
紺色の軍服を、燃えるような夕陽で真紅に染め上げて、城壁の遙か向こう――かつて、人間達が来ないかと目を光らせた地平線を見ながら、彼女は笑った。
とてもお似合いという自覚はないらしい。
天然物の悪女様だ。
これは支えて差し上げねば。
私も、一歩下がった所まで歩み寄って、彼女と同じ景色を見る。
彼女の――騎士の剣が届かない敵に矢を届けるのが、私の仕事だ。
そしてリストレアの守り手として、常に目を光らせ、耳を澄ませているのが。
次にこの人のために弓を引くのが、いつになるのか分からない。
それでも私は、この人が剣を置くまで、弓を持ち続けよう。
"第二軍"、リタルサイド城塞所属の、弓兵の部隊長のエスタとして。
一人の弓兵として。
この人に仕え、支えるために。




