竜の祝福
リズも、私も、恋人がいた事がない。
私はまだ、色々読んだり見聞きしてきた知識があるけれど。
リズの知識は――割と偏っていると思う。
主に、私のせいで。
「……マスターが悪いんですよ?」
リズがにこりと笑うと、優しく私の腰と背に手を回し、お姫様抱っこの要領で持ち上げた。
ぎゅっと抱きしめられる。
「……あったかい、ですね」
どうしてだか……切なげな響き。
「リズ?」
「イトリアでも……こうしました」
「え?」
「私はもう……嫌ですよ。あんな風に、自分の知らない所で、全てが終わるのは。自分の努力に何の意味もなかったと、思い知らされるのは。――あの時ああすれば良かったと、思わされるのは……!」
リズの声に、不意に熱が込められる。
ぎゅっと強く抱きしめられ、耳元に彼女の熱い声が吹き込まれて、魂に響く。
「名誉も、誇りも……もしかしたら勝利さえ、要らなかった。規律も、命令も……あなたを失うぐらいなら、捨てたってよかった……」
「……捨てちゃ、ダメ。リズ、だよ。それは全部、リズが、この国が、大切にしてきたものだよ」
私は、名誉と誇りを捨てた。
規律も怪しい。
けれど私は最高幹部の名において命令を下し、規律によってそれを守らせて――その果てに、勝利を得た。
それは、この国が大切にしてきたもの。
絶望の淵にあって、勝利を渇望してなお、名誉と誇りによって国の形を保とうとしたひと達がいた。
私は必死に、頼りない手を伸ばして、彼女を抱きしめ返した。
私がイトリアで出来なかった事。――すべきだった事。
力が足りなくて、この子を泣かせた。
彼女の、長いダークエルフの耳元に口を寄せて、ささやいた。
「私、頑張るから。もう死なないし、誰も、馬鹿な戦争で死なせたりしないから……」
リズが密着した抱擁を解いて、目を合わせる。
「……約束ですよ」
「……うん」
頷いた。
そして優しくキスが降ってくる。
「……さて。じゃあ、ベッド行きましょうね」
「うん、一緒に寝よう」
「え、今夜は寝かせませんよ?」
「え?」
「この流れで、どうして?」
不思議そうな顔をするリズ。
「え、いや。むしろこの流れでどうして?」
聞き返す私。
リズの表情が陰った。
「……一人になった時の気持ちを思い出しました」
「……あ」
私は――リズが、もし、急にいなくなったら。
想像するだけで、心が壊れそうで……目尻に涙が滲んだ。
「マスターが悪いんですよ」
「ごめんなさい……」
「分かればいいです」
人一人を軽々と運び、私を掛け布団をはだけたベッドへ寝かせると、手早く天蓋を閉じて回る。
そして動けない私にのしかかるようにして上に乗った。
くらやみの中、微かな光を反射して、金色の瞳が猫のようにきらめく。
「……あ、念のため言っておくと、耐性復活での薬効解除は禁止ですよ?」
最後の逃げ道も封じられた。
心臓が、壊れたように動悸を打つ。
期待がないとは言わない。
でも、正直肉食獣っぽくて怖い。
猫さんって肉食獣だったよね、と今さらながら。
焦らすように三種の護符を外し、その際に乱れた髪を弄ぶように整えながら、リズが人差し指の腹で私の頬をつうっと撫でた。
「んっ……」
さらに、若草色のローブの裾から手を差し込み、ふとももを撫で上げながら、お腹がさすられる。
肝心な所を触られないのが、かえって熱を掻き立てた。
「大丈夫ですよ、マスター。力抜いて下さい。痛い事とかはしませんよ」
豊かな胸を押し当てるようにしなだれかかりながら、耳元に口を寄せるリズ。
「んんっ――……!?」
そして舌で耳を軽く舐められた後、その舌が耳の中に侵入し、水音が頭の中に響いた。
脳が、溶けている気がする。
荒い息をしながら、思わず目をぎゅっと閉じた私の耳に、リズのささやきが忍び込んだ。
「――愛してますよ、マスター」
くらやみの中で聞こえた、たっぷりと愛しさの込められた声に、私はそっと目を開けた。
力の入らないなりに手を伸ばして、彼女の髪を撫でて、頬に唇を寄せて、彼女の気持ちに応える。
「……私も、愛してるよ、リズ」
心が、溶けている気がする。
翌朝。
リズは、昨夜の事が嘘のようにてきぱきと身支度をする。
後できっちり洗濯する必要があるだろうが、とりあえず一通り"浄化"を掛け、かなりアレな事になったメイド服から新しいメイド服へ着替える姿を、ぼんやりと眺める。
そして私にも同様に服を差し出す。
体力はともかく精神的にぐったりした私が、倦怠感を引きずりながらのろのろと着替え終わるのを見計らって、ベッドの天蓋と窓のカーテンを開けたリズが、振り返って微笑んだ。
「マスター。気持ちのいい朝ですよ。今日もいい一日にしましょうね」
もうすっかりと外は明るい。
柔らかな朝日に照らされた、天使のような汚れのない笑顔を見ると、じわじわと頬が熱くなり、私は両手で顔を覆って叫んだ。
「ご禁制になるわけだよ……!」
「流通の制限された品ですよ」
しれっと言うリズ。
「ドラゴンの血怖い……何あの効果……魔法……?」
「魔法の一種かもですねえ。まあ、魔力はあらゆるものが持っていますが、リタル様の物となれば……実は私にも、結構効いてたのかもしれませんね」
確かに、いつもより積極的だったような気もするけど。
顔から手を離し、リズを見る。
「なんかごめん……すっごいひどい所見せたような気がする……」
防音の術式が機能したと信じたい。
「いいえ? ……でもマスター、羞恥心とかあったんですね?」
なんて言いぐさ。
「私にだって恥ずかしいって感情ぐらいある! ……特にリズ相手には」
リズが笑いながら、まだベッドの上にいる私の所へ寄ってきて、ベッドの縁へ腰掛ける。
「恥ずかしがらなくていいじゃないですか。……その、夫婦なんですし」
夫婦という言葉を、照れ照れとしたはにかみ顔で言うリズは可愛い。
けれど、昨日の夜を思い出すと、リズの恥じらいポイントがちょっと分からなくなる。
あまつさえ。
「……私からも、また今度、リタル様にお願いしてみましょうかね」
などと言うのだ。
「え、あの。さすがに二回目はちょっと」
「……嫌、でした?」
リズの耳がちょっと下がる。
「はしたなかった……ですか?」
「い、いや。そんなリズも好き!」
本心だ。
ちょっと、レベルアップの仕方がおかしい気はするけど。
方向性は、その。
……意外性はあるけど、好き。
「それはようございました」
彼女の長い耳が上がり、マフラーがぴこりと揺れる。
リズがくすりと笑った。
「刺激的な、『スパイス』でしたね」
「……うん」
予想より、かなり刺激的だったけども。
やっぱり、ちょっとだけ。
もう一回、お願いしたい気もした。




