EX15. ご禁制の、あるいは流通の制限された品
この世界においても、流通の制限されている品がある。
希少動物の毛皮。
採れる量が少ない高級食材。
危険な薬物。
そういった品は、販売や購入に許可証が必要であったり、国家の名においてのみ売買されていたり、所持自体が禁止されていたりする。
「ではマスター。この『ご禁制の品』をどのように入手し、どうするつもりだったのかをお聞きしましょう。事と次第によっては、マスターでも……」
なので、私がこっそり入手した品を、私から話を持ちかける前にリズに見つかった今、就寝前のくつろぎタイムは、査問の様相を呈している。
一日の業務が終わり、入浴前に真面目な顔で話があると切り出され――何かと思えば。
しかし私は、落ち着いて首を横に振った。
「リズ。これは『流通に制限が掛かっている品』だ。間違えてはいけない」
一応隠してはいたけれど、自室のクローゼットの中に、梱包材入りの木箱に入れて置いていただけだ。
事実上の共有スペースに、見慣れない箱があれば開けてみたくなるのが人情。
現在もリズは私の副官であり、護衛でもあるので、怪しい箱のチェックはお仕事でもある。
「同じような物です」
「似てはいる。しかし、持っているだけで罪になるかどうかは、大きな違いだ」
「――で? どうしたんです……『こんなもの』」
リズがじとーっとした湿度高めの視線を送るのは、机に置かれた、お洒落な化粧液とか入ってそうな小瓶。同じ物が二本ある。
中身は、赤黒い液体だ。
ドラゴンの血。
人間達が何度か使用した、仮称"竜の血"ポーションの材料となるという事で、流通制限が強化されている。
非常に高い――狂ったレベルの――再生能力を付与する代わりに、寿命をガリガリと削る、正真正銘の危険薬物。
最終決戦でも僅かに運用されたらしい。
ドラゴンを擁するリストレアにおいては、供給の問題はなんとかなる。
しかし、薬物に頼るという発想自体がないし、長命種の命を使い捨てるような戦術を取ろうという気もない。
とりあえず名誉と誇りを脇に置いたとしても、人的資源は貴重なのだ。
「リタル様にお願いして、ちょっと血を分けてもらいました」
とはいえ、竜の血自体は、滋養強壮に血管の拡張効果があり、医療現場でも厳重な管理の下使われている。
薬と毒は紙一重。何事も、バランスが大事という事だ。
「何に使おうというのですか?」
私はちょっと目をそらした。
「……夜の生活のスパイスに」
「……もう一回言って下さい」
「夜の生活のスパイスに……」
繰り返すと恥ずかしくなってきて、頬が熱くなり、声が上ずって、かすれた。
しかしリズは真顔で、もう一度繰り返しを要求した。
「もう一回言って下さい」
「夜の……ごめん。もうやめて」
いつか『精力増強』という言葉を何回も言わせたのを、根に持っていたらしい。
リズの耳が、ちょっと下がる。
「……その、私に何か、ご不満でも?」
「不満があるわけじゃない。ただ、個人的に部下のメイドさんに使ってみたいなって思ったのを思い出したら、つい」
当時はガチの危険薬物の材料として使われ、その恩恵を受けた相手に殺されるところだったけども。
リズが、目をぱちくりさせた。
「……え、あれ、本気……だったんですか?」
「うん、まあ。私は気持ちを大切にしたいタイプだけど。『そういう』魔法とかお薬があったら使いたくなる気持ちもあった。だって、リズはガード固いし思わせぶりだったし……」
「思わせぶりとかは、マスターにこそ言いたいですけど」
「だって、ほのめかすぐらいしか出来なかったもの」
「……まあ、それは」
私がリズに恋愛感情を抱いたのがいつ頃だったのかは、今となっては定かではない。
最初からだったような気もするけれど、その頃に恋人同士になりたかったか、告白したかったのかというと、少し違った気もする。
ただ、上官と部下としての時間を重ねていくうちに、私にとって彼女が、本当に大切な存在になっていった。
実際、職場恋愛はリストレアでも鉄板だ。
……ただ、私の場合事情が色々と複雑な上に、階級が高すぎた。
もしかしたら、『命令』でも、リズは聞いてくれたかもしれないけれど。
……私は、この子の心が、欲しかったのだ。
魔法も、薬物も、階級も使う事なく。
私自身を、好きになってほしかった。
違う種族で、女同士で。……それでも。
自分が、可愛い子にメイド服着せたくなるちょっとアレな性癖持ちでも。
さらにめんどくさい事に、私はメイドさんの出てくる恋愛物は好きだったけど、決して、いわゆる夜のお相手をするために雇われている『メイド』が好きだったわけではなかった。
そっちが好きなら、階級を盾にして『命令』していたかもしれない。
屈服させ、征服し、縛り付ければいいのなら。
……実際やっていたら、どこかでリズや陛下の信頼を損なって、『処分』されていたような気もするけど。
今もリズが着てくれているメイド服は……一応、彼女が自分の意志で着てくれているものだ。
もう、囮としての意味はない。"第六軍"にただ一人いるメイドが、副官で、暗殺者で……伴侶だと、知れ渡っている。
私が喜ぶから。それだけなのだ。
「それで? このリタル様の血を、どうしようっていうんですか?」
「――リズが、選んでいいよ。一つは、使わない。一つは、リズだけ。一つは、私だけ。最後の一つは……ね?」
リズが小瓶を一つ取る。
「……つまりこうですね」
リズは、瓶の蓋を親指で弾くと、ぐいっと一瓶を空け、ごくりと喉を鳴らす。
思い切りがいい。
そしてもう一瓶を同じく素早く開け、くいっと。
「待ってリズ! それ一人ひとび――んっ!?」
ぐいっ、とリズが椅子に座ったままの私の唇を唇で塞いで、口内に含んだ血を、私の喉に送り込んでくる。
どくん、と心臓が跳ねた。
――あつい。
「……マスター、あんま変わりませんね」
「いや、効いて……るよ? り、りずは?」
呂律が回らない。
熱に浮かされたように。
視界が赤く――ピンク色に染まる。
「私は、やっぱり効きが悪いですね。薬も毒も、結局は分け方次第ですから。……ていうか、マスターこそなんで上位のつく死霊なのに、この程度の薬が効いてるんです」
「ぐ、ぐれーたぁーだから……そういうの調整……きく……」
懸命に立ち上がろうとするが、腰が抜けたようで椅子からお尻を離す事すら叶わなかった。
「そうですか。……もしかして、意図的に耐性ゼロにしました?」
「う、ん……」
その方が効きがいいと思って、あらかじめそうしていた。
「……普通の人間でも、何割かは耐性あるんですよ。それを考慮した分量のはずですから……道理で、効きがいいはずです」
「そ、なの……?」
「ええ。でも、致死性ではないから、ですかね。私も……割といい気分です」
微笑むリズ。
ちょっと見えた歯が、血で赤く濡れていて、どうしようもなく淫靡だった。
「マスター、力入ります?」
「あ、あんま入んにゃい……」
椅子の背もたれと、肘掛けに助けられて、かろうじて椅子に腰掛けられている。
本当にくてっとして、自分の全身が軟体動物か何かに変わったようだった。
なまじ肉体機能を実装しているだけに、それに引っ張られる。
リズが私の顎に人差し指をかけて、くい、と持ち上げて、瞳を覗き込んだ。
彼女の金色の瞳に、私の姿が映り込む。
「――つまり、私が好きなようにしてよろしいのですね?」
「よ、よろしくな――んん――っ!?」
リズが、反論を強引に唇で封じた。
与えられた息継ぎの時間ごとに、反論を試みる。
「い、いまだめ。んっ……いまきすしたら……んん」
必死に呂律の回らない舌と、力の入らない手でリズを押しとどめようとするが、何倍にも増幅された快感が私の脳をとろかしていく。
「よろしいですね?」
「ふぁい……い、や。だめ」
ギリギリで、理性を取り戻して、持ち直した。
色々もたない。
ダメだこれ。
「……リタル様にお礼を言わねばなりませんね」
微笑む彼女の歯は、もう血に濡れていない。
けれど、首の太い血管を探るように、私の首筋に顔を埋めた。
肌にちろちろと舌先が触れる度に、びくんと背筋に電流が走り、肩が震え、頼りない指先で彼女の肩を押さえて、押し戻して――いるつもりなのだけど、添える程度にしかなっていない。
「だ、だからだめ」
「ダメって言葉はいいって意味だと教えて下さったのは、マスターですよ?」
そして首筋に軽く音を立てて口付けられる。
そういえば、そんな事も言ったけど。
「そ、それ夜の話っ」
リズが私の頬に軽く口付けた後、身体を離し、不思議そうに首を傾げる。
「……つまり今ですよね?」
「しまっ……」
私は――何を教えたのだったか。
この、自分を律し、鍛える事が趣味のような、学習能力に優れた娘に。
私の事を好きな女の子に。
――何を、教えた?




