折れた剣
「中に二人いる。……おそらく、そいつらだ」
「やるぞ」
ぞわりと、恐怖が背中を這い回る。
リズに視線をやると、彼女の目から、再び光が消えていた。
格闘戦用のナイフを構える。
「排除して参ります」
「リズ。逃げよう」
リズが、首を振った。
「お互いが、お互いの魔力反応を認識した。今の私では逃げる余裕がありません。しかし、マスター。包囲が解けた今、あなただけでもお逃げ下さい」
「馬鹿を言え。一人で逃げられるか。後、正直に言って逃げるのも無理」
放置している傷跡からは、今も血が流れ出していて、意識を手放したくなる。
「大体、それで戦えるの?」
リズは既に肩で息をしていた。
戦闘中は終始余裕のように見せていたが、怪我をした状態で相当無理をしていたのだろう。
加えて、暗殺者たる彼女が魔力反応を、この距離で『相手に』認識されている時点で、既にリズの戦闘能力は頼りに出来ない。
「時間稼ぎには、なります」
「それはダメ」
「では、どうしろと?」
二人の敵は玄関の方に回ったらしい。
「私に考えがある」
リズの長い耳に、口を寄せた。
「――お前達は?」
少しして、扉を開けて入り込んだ二人組が、厳しい声で尋ねた。
青い鎧を着た一人は栗色の髪を短く刈り込んで実直そう。赤い鎧を着た方は金髪の若者だ。
倒れている白騎士の全身鎧に比べれば随分と軽装だが、余程良い鎧でなければ、魔法の武器や攻撃魔法を防ぎきれるものでもないから、最低限胴体を守る事を期待した軽装は、合理的な選択肢だ。
良い鎧にしても、重さや強化術式への魔力配分など気を遣う点が多く、鎧を着ない者も多いのだとはリズ談。
「"病毒の王"様よりこの館を預かった者……動くな! 一歩でも進めば、この女の命はない」
リズが大型ナイフを私の首筋に突きつけた。
「た、助けて……」
精一杯のか細い震え声。
豪華なフード付きローブと肩布は外して、薄緑色のローブだけ。
「……彼女は?」
「人質です。"病毒の王"様の慰み者ですよ」
本人だけど。
これが私の作戦。
名付けて『"病毒の王"本人を人質にしているとはまさか思うまい』作戦だ。
とても頭の悪い作戦名だが、とても頭の悪い急ごしらえの作戦なので仕方ない。
「貴様等……」
「待て」
ずい、と足を踏み出そうとした赤い青年騎士を、青い壮年騎士が押し留めた。
危ない事するなあ。
一歩踏み出した時点で人質の命がないと言っている相手に踏み出そうとするとか。
こういう時、人質は基本的に無視するのが一番なのだが、そこまで合理的かどうかが気になるところ。
ヒューマニズムに期待したいが、そんなものが幻想だと思っている立場としては、絶賛綱渡り中。
「"病毒の王"はどこだ」
「それをお教えするほど、私の口は軽くない」
ここにいますよ。
「……俺達の、仲間は」
「私達の仲間と相討ちになったようですね。私は彼女の安全を確保していたら逃げ遅れました」
大きな嘘は、ついていない。
相討ちと言うにはちょっと厳しいが、サマルカンドが身を挺して時間を稼いだからなんとかなったというのも、嘘ではないのだ。
「私も追う力はない。見逃して差し上げます。さっさとここから離れなさい」
いつも部下として、副官として振る舞っているので、居丈高なリズは新鮮。
とか、適当な事でも考えていないと、意識を失いそうだった。
雪山で憎い相手の事を考えるのに似ているかもしれない。
「……人質を放せ。連れていく」
「呑めない要求ですね。私の安全を保証するものがなくなります」
リズがナイフをひたり……と私の頬に当てる。
信頼しているので怖くはないが、冷たさで体が震えた。
「大体、お荷物を背負い込む余裕があるとでも?」
「それでもだ。俺達は、人間を救うためにここにいる。たとえ一人でも、切り捨てられるものか。それが、助けを求める力なき女性なら、なおさらだ」
立派だなあ。
でもその信念は捨てて下さい。頼むから。
「……メイド一人、殺さないでおいてやってもいい。だが、人質を放せ」
「言ったでしょう。出来ません」
「俺達は騎士だ。約束は、守る」
リズが迷うのが伝わってくる。
私もリズも、騎士という言葉を素直に信じられない程度には現実というものを知っている。
しかし、今この場で押し問答を続ければ、私達が失血死するのが先かも。
向こうは攻撃目標がいなかった時点で逃げに徹すると思ったのだが、まさかこんなに高潔なお方達だったとは。
全く、ありがたくて涙が出る。
こんな人達がいてさえ、人間は、戦争を続けてきたのだ。
「――待て。気配がする」
「援軍か? ちっ……」
「――お前達は周りを固めろ」
男性の声。落ち着いて通る、この、声は。
「俺一人でいい。ここは、おっかねえぞ」
私は演技を崩さないように気を付けながら、窓の外を見た。
満月をバックに、塀の上、鉄柵の細い隙間にふわりと降り立ったのは、狼顔の獣人――獣人軍の長、"折れ牙"のラトゥースだった。
「よう、メイドの嬢ちゃん。面白い事になってるじゃねえか」
豪快に笑うラトゥース。
「嬢ちゃん、少しどきな」
言われたとおり、リズが私を拘束したまま、脇にどいた。
ラトゥースが、鉄柵を蹴って、二階の窓へと飛び込んで来た。窓枠に触れる事すらない、生命力と躍動感に溢れた動きだ。
濃紺のコートがばさりとはためき、狼の脚が絨毯を半ば引き裂くように踏みしめて着地した。
「――名を名乗れ!」
「"折れ牙"のラトゥースだ」
ラトゥースが、両腰の剣を抜いた。
右手に小剣、左手に短剣。
右手の小剣は、柄と鍔に多少刻印がされている他は、無骨で実用重視の普及品といった風情の品だ。
左手の短剣は、質感が骨に似ていた。刃の粗いノコギリのようでもある。
「二人同時でもいいぜ。かかってきな」
「……一騎打ちを挑ませて頂こう。そちらの部下が手出しされぬ事を、誓うのならば。また、人質を使わぬならば」
赤い方が、盾と剣を構えた。
「いいぜ。メイドの嬢ちゃん、俺が死ぬまではその『人質』を使うな」
「承知しました。ですが、お気を付け下さい。三人の内一人は、脳を破壊しても動きました」
「あ? なんだそりゃ。で、殺したら死ぬのか?」
「再生限界は不明ですが、一応殺せば死にます」
「ならいい。――お前らも、聞いたな? 何があろうと、俺が死ぬまでは手出しすんな」
ラトゥースが塀の向こう、屋根の上にも見え隠れする部下の獣人に念押しする。
「俺を殺した後の事は知らねえ。悪いがな」
「一人でも多く、魔族を道連れにするまで」
「あいにくだが、それは無理だな」
ラトゥースが、牙を剥き出しにするようにして笑う。
「俺で、終わりだ」
お互いに武器を構え、一歩を踏み出して向き合う。
「行くぜ」
「いつでも」
短く一声かわすと、お互い同時に動いた。
ラトゥースの動きは、速かった。
相手が突き出した長剣を左の短剣で受け流しつつ、鋸刃に挟み込んでへし折り、盾をかいくぐって、喉元に右の小剣を埋め込む。
言葉にするとそれだけ。たったそれだけで、手練れだろう戦士が一人死んだ。
緑の光は、ない。
「……っ!」
「さあ、本当に一騎打ちになったな」
ぴっ、と右の小剣の血を振るい飛ばす。
青い騎士が剣と盾を、左右それぞれの手に持ち替えた。
「お? 知ってたのか」
「……見て、思い出した。"牙砕き"。その短剣は、接触した武器の強度を下げるのだと……そして、それを使う獣人軍の戦士が"折れ牙"だと」
「名乗った時点で思い出されねえようじゃ、俺もまだまだって事だな。これでも、最高幹部なんだが。"病毒の王"は、はるばる暗殺しに来るぐらい有名だってのによ」
ちらりと私の方を見るラトゥース。
今の私は最高幹部じゃなくてただの人質です。
だからこっち見ないで。
「盾は剣のようにはいくまい」
「そうだな」
ラトゥースがまた、牙を剥き出しにして笑った。
そして二刀を構える。
「こっちから、行くぜ」
とん、と軽く地面を蹴って、飛ぶように駆ける。左右を持ち替えたりもせず、左の短剣は相手の盾に、右の小剣は剣と噛み合って火花を散らした。
そして、組み合って相手の動きを止めた瞬間、首筋に狼の牙で食らい付く。
「……が……」
ごきり。肉を噛み裂く音に混じって、首の骨が折れる音が聞こえた。
そのまま、血の泡を吐いて、絶命する。
ラトゥースが閉じた顎を開けると、ずるりと倒れた。
緑の光は、やはり光らない。
「……俺の二つ名の由来はよ、こうやって噛み付いた時に、牙をよく折っちまった事からなんだけどな……」
ぺっ、と血と肉片、それに骨片を吐き出すラトゥース。
そしてこちらを見た。
リズが、私の首に押し当てたままだったナイフを下ろす。
「よう、耳なし。ひでえ有様だな」
ラトゥースが、まだ生々しい鮮やかな赤色をした血に濡れた口元を、やはり血に濡れた牙を剥き出しにして笑った。
「うん……」
「助けてやったってのに、あんまり嬉しそうな口振りじゃねえな、ええ? おい」
「それが……ね? 血、流しすぎたみたい……」
私が言った言葉とほぼ同時に、リズの手から、ナイフが滑り落ちて絨毯の上に落ちる。
すーっと、目の前が暗くなっていく。
安心したら、立っていられなくなって。
ずるずると、リズと二人して、お互いを支え合うようにしながらへたり込んだ。
「あっ、おい!? ――治癒術者呼んでこい! こっちだ、重傷のやつが二人いる! トラップに引っ掛かるんじゃねえぞ!」
瞼が重くて。支えきれなくなって。
ラトゥースの慌てた叫び声を聞きながら、目を閉じた。