姉妹の思い出
私は、両手の指でフレームを作って、義姉の凜々しい姿を心に焼き付けるのに忙しかった。
ブリジットも意外とノリがよく、私の要望に応えて、キリッとした顔で剣を構えたり、長剣の柄頭に手を置いて遠くを物憂げな表情で見たりと、ポーズを取ってくれる。
全力で、心の底から褒めちぎる。
「ブリジットお義姉ちゃん、すっごく鎧姿似合う! めっちゃ格好いい! 凜々しい! 可愛い!」
「そ、そうか?」
照れつつも、まんざらではなさそうなブリジット。
「ベッドに座ってみようか」
「ああ。……汚れるかもしれないが」
「今は気にしないで。後で綺麗にする」
「そうか」
ブリジットがベッドに腰掛けて、ポーズを変えて『撮影』していく。
基本的には記憶へ刻み込んでいく形だが、後でブロマイドよろしく『出力』もする予定だ。かなり高価だが、こんな時に使わずしていつ使うというのか。
「足、ベッドに上げてみよっか?」
「いいのか」
「うん」
彼女がベッドに腰掛けて、片足をベッドの端に乗せる。
剣帯から外した、鞘に収めたままの長剣を床に突いて、柄頭を籠手で覆うように支え、籠手に頬を押し当てた。
小首を傾げたようになり、金色の瞳が細められ、口元が緩められる。
そして、口が開かれて、言葉が紡がれる。
「……馬鹿みたい、だな」
「え」
さあっと血の気が引く。
私は上位死霊としていつもは擬似的だが、忠実に人間としての機能を再現しているため、こんな時に青ざめる事も出来る。出来てしまう。
調子に乗りすぎただろうか。
私がどんな表情になったのか分からないが、ブリジットがフォローを入れる。
「いい意味だぞ?」
「い、いい意味の馬鹿みたいって?」
とりあえず罵られたのではないらしい。
それにしてもドキッとした。……色んな意味で。
「……私には、こんな風に日常を楽しもうという発想がないからな」
そうでしょうとも。
「何のために戦っているのか、分からなくなっていたのかも、しれないな。私が、魔王軍最高幹部として、そして暗黒騎士団長として背負ったのは……きっと私の手には余る代物だった、から」
私より遙かに多い部下の命を預かり……そして、私と同様に、部下に死の可能性のある任務を命じた。
彼女は逃げなかった。最高指揮官ゆえ常にではないが、必要とあらば最前線に立ち、命を張った。
そして、多くが、リタルサイドとイトリアで果て、帰らなかった。
誰の手に、収まるものか。
それは、人一人が負える責任ではない。
けれど彼女は、その覚悟を持ち続けた。
「だから、嬉しいんだ。お前が馬鹿みたいな事を言って、甘えてくれるのが。もう、そんな風にしてもいいんだって、思えるのが」
地味に、いい意味だとしても馬鹿だって罵られているのに、彼女の言葉の響きが甘くて、彼女の笑顔が柔らかくて。
一本の剣のように研ぎ澄まされた姿しか知らない者にとっては、こんな彼女の姿は想像も出来ないだろう。
――『ブリングジット・フィニス』しか知らない者にとっては。
ブリジットは、にこりと笑った。
「なんでも言ってくれ。今日は、お前のたわむれに付き合うよ」
なんでも。
「じゃあ、ちょっと脱いでみよっか」
「え?」
「胴鎧外して」
「あ、ああ。そういう意味か」
ブリジットが長剣を鞘ごとベッドに立てかけ、まだ短剣の下がった剣帯もベッドの上に丁寧に置いた。
さらに"第二軍"紋章の刻まれた留め具を外してマントを脱いで、するりと床に落とす。
胴鎧右側面に二つある革ベルトの留め具を解放し、胴鎧を外すと、綿の縫い込まれた鎧下が現れる。色は、深紅の甲冑よりも淡い薄紅色だ。
一応知識としては知っていたが、うちの"第六軍"騎士達は、皆、着込んでいなかった。
鎖鎧が肌に食い込んで困るとか、衝撃を吸収するためにとか、そういう概念が薄かったためだ。
彼女はマントを拾ってベッドに放り、前垂れも付いた胴鎧をそっとベッドの上に置いた。
装備の扱いが丁寧なのはさすが。
「おおレア感。半脱ぎ姿も可愛いよ」
「そういうものか?」
「間違いなく」
鎧の基本は、一分の隙なく全身を守る事。
次に、大事な所を守る事だ。
特に胴鎧だけを外す『着こなし』など、通常は有り得ない。
「次はどこ外せる?」
「順番から言えば籠手かな……普通は最初に外すんだが」
「ちなみになんで?」
「繊細な作業しにくいから」
「ああなるほど」
少し鎧が身近になる。
そりゃ確かに、普通はコートを脱ぐ前に手袋を外すものだ。
「じゃあ取ってみよっか」
「両方?」
「あ、うーん……そうだね、片方ずつ」
どんな風に外すのかと思いきや、意外と普通に、もう片方の手で引っ張って外していく。
長手袋を脱ぐ時と、そう違いはなかった。
最後にするりと抜かれ、鎧下と、素手が現れた時、その、妙に生っぽいなまめかしさにどきりとする。
ブリジットとはお風呂で裸の付き合いをした事も幾度となくあるし、そうでなくとも素手は当たり前に見ている――見ていいものなのに。
甲殻類のような深紅の甲冑で全身を装甲し、凜とした姿で背筋を伸ばして立ち、良く通る声で全軍を鼓舞する、ポニーテールがよく似合うダークエルフの女騎士。
――あ、捕まえたら、いたぶりたくなるの分かる。
私は、"悪い魔法使い"を名乗りながら、内心でフィクションの悪役を馬鹿にしていた。
何を甘い事を言っているのかと。
必要なのは合理的精神だと。
敵の重要人物を捕まえたら殺せ。
情報を吐かせるのは自白剤がないなら諦めろ。
常に安全を優先しろと教わらなかったのか?
……教わらなかったんだろうなあ(諦め)。
製作陣の『神の見えざる手』を感じる事が、しばしばあった。
悪役があまりにも腑抜けた躊躇いを見せた挙げ句、悪役に囚われていたヒロインが自力で脱出したり。
何故か防衛設備が貧弱だったり。
防衛設備は充実しているのに防衛側の人員の品質がクソだったりして、捕虜を奪い返される展開を、私は沢山見てきた。
例えば妹と一緒に映画でそんな展開を見ると、内心でため息をつきながら、しかし、純真な瞳で主人公達が活躍している事を喜ぶ妹にそんな事は言えず……。
ちょっぴり冷めた気持ちを持てあましつつも、役者の演技や個々のシーンの演出に目を向ける事で、そこから目を背けるのが常だった。
ごめん妹。お姉ちゃんが間違っていたよ。
悪役さんにも心があったんだね。
そして蘇る、懐かしい思い出。
ご飯もお風呂も歯磨きも終え、お布団と毛布に囲まれて、映画が終わったらそのまま寝ていいようにした、姉妹二人きりのレンタル映画鑑賞会。
私の開いた足の間に座り、甘えるようにもたれかかった妹が私の胸に背を預け、はにかんで言うのだ。――「お姉ちゃん、もたれやすくて好き」と。
可愛い妹よ。お姉ちゃんにも心があるんだ。
普段はもう、色々と諦めているけど、そのもたれやすさが何によって生まれているか――いや、『何がない事によって』生まれているかを考えてくれないと、傷付いてしまうよ。
しかし言った直後、私がどんな表情になったのか分からないが、うろたえて「ご、ごめんお姉ちゃん。でも、お姉ちゃんみたいな人が好きって人もきっと……」と私の身体の一部分から不自然なまでに目をそらしながら、フォローしてくれたのだ。
気遣い出来る子に育ってくれて嬉しいけれど、少しだけ、『傷口に塩を塗る』ということわざの意味を教えたくなった。
自分より『脅威』の大きい妹へ対して、女心とマナーに関する緊急勉強会を開く代わりに、気持ちを切り替えてリモコンを操作して、上映会を始めた。
そして、頭を撫でたのだ。
撫でられながら、ほっと安心したように笑みを浮かべる妹。
肩口までの黒髪に、黒の瞳。――私と同じ色。
名前さえ思い出せない、けれど、私にとってかけがえのない存在だった、血を分けた可愛い妹。
……もしかしたら、私と同じような姿に、成長しているのだろうか。
そして、上位死霊になった私の外見年齢を追い抜いて……私の知らない所で、私の関われない人生を生きて、死んでいく。
私は帰る方法を探さない事を選んだ。
どうもいくつも世界は存在しているらしく、ピンポイントでの世界間移動なんて離れ技が出来る気がしなかったし、出来たとして……それまでの『研究』と『実験』が危険極まる物しか、思いつかなかったからだ。
故郷を懐かしく思う気持ちは、ある。
でも、私にはもう、まともな記憶さえないのだ。
そして、私は自分と同じ種族を殺した。――殺し尽くした。
そして何より、私はこの世界で、私みたいな人を好きって言ってくれる人を、見つけたから。
今の私に出来るのは。
ただ、あの子の幸せを願うだけだ。




