ニンジャ・ルーティーン・ハート
試験の翌日。
私はリズとレベッカと共に、午後のお茶の時間を談話室で過ごしていた。
試験自体はスムーズに終わり、午前中に反省会も終わった。
『合格者』は十二名。十人は残ってほしいという事だったから、上々だろう。
結局、正面突破出来た者はいなかった。
試験を受けた候補者は"第二軍"、"第三軍"、"第四軍"所属で、スカウトを受けるという事はそれなりに戦闘能力もあるはずで、『当たり判定』に成功した時点で勝利というルールならあるいは、と思っていたけれど。
難易度調整に課題は残るが、まあ戦闘能力よりも、隠密能力と生存能力を重視する方針としては悪くなかったのではないか。
候補者には悪いが、こういうのは回数を重ねていくうちに洗練されていくものだ。
生き残れば、やり直しの機会がある。
生きてさえいれば。
訓練、そして試験とは、そのための予行演習にすぎない。
いつか命を懸けて、自分の全てが試される時が来る。
その時、昨日の経験が少しでも生きれば、言う事はない。
シノさんなら、十二名の合格者を『大切に』扱ってくれるだろう。
どんな状況でも、生き延びられるように。
「忍者みたいな人だったねえ。姫カットでお姫様みたいでもあったけど」
私はソファーで、膝に頭を乗せたバーゲストの耳を軽く弄りながら口を開いた。
耳がぴょこぴょこと動き、尻尾が緩く振られる。
シノさんのように、バーゲスト達に対して初対面で身構えない人は珍しかった。
試験の前などのふれあいタイムでは動じる事もなく、寄ってきた子の頭や首筋を撫でていた。
この子達の感知能力を掻い潜れるのも正直どうかしているが、懐かれていたので、悪い人ではないのだろう。
――あの人は、多分誰かを殺すのに悪意を必要としないだろうけど。
リズが聞いた。
「姫カットってなんです?」
「ああいう髪型かな。前髪ぱっつんしたの。私の故郷では昔のお姫様がそういう髪型だったりして、そう呼ばれてるんだよ。お洒落さんだよね」
「お洒落……?」
リズが首を捻る。
「先輩は、その……自分の身だしなみに頓着しませんので。あの髪型は、ハサミで、こう」
リズが指で作ったチョキを、自分の前髪に当てる。
真横に。
……豪快さゆえの髪型選択が、高貴に見えるというのも中々不思議な物だ。
「ちなみに、リズは?」
「ナイフで、こう」
リズが手刀を、自分の髪に当てて、さっさっ、と縦に振って見せた。
シノさんと、あまり変わらない気がする。
私は『生前』は、立場上外出も推奨されず、散髪出来る人を招くのもそれはそれで機密保持に問題があったので、鏡を見ながら、自分で前髪を整える程度だった。
後は、たまに先端を短くするぐらい。
ロングヘアというのは、形を維持するだけなら楽な部類だ。
しかし髪質を考慮すると、途端に難易度が上がる。
多分、この国のお風呂がウーズ風呂でなければ、投げ出していただろう。
まあ髪もお肌も、うちで一番レベッカがさらさらでもちもちだけども。
多分『生前』の年齢ゆえ、だろう。
「リズの手の仕草で思い出したけど」
「はい」
「忍者の話に『印』ってのがあって」
「印……? ハンコですか?」
「それじゃなくてね。指で結ぶの。例えばこうやって」
握り拳に人差し指だけを立て、それを重ねてみせる。
九字の印など、名前を知っている物もあるが、細かくは覚えていない。
悲しいかな、この世界では地球の知識は文献で調べたり、他の人に聞くわけにいかない。
私が覚えていなければ、それまでだ。
リズが小首を傾げる。
「それにどのような意味が?」
「真面目に言うなら、精神統一の動作というのが定説かな。特定の動作をする事で平常心を取り戻す『ルーティーン』と呼ばれる物だったと言われている。でも、別の解釈もあってね。例えば、特定の印を結べば姿を消す事さえ出来たと伝えられているんだ」
黙って聞いていたレベッカが口を挟む。
「魔法の起動鍵のようなものか? 慣れた呪文なら詠唱ではなく動作で起動するのも、熟練の魔法使いにとっては、容易な話だ」
「ああ……私が目を閉じて開く動作でも、"最適化"出来るのと同じですね」
リズが頷く。
精神魔法は身体強化魔法と同じく本人が自分に向けて使うので、詠唱を必要としない事も多い。
しかし、通常は発動に際して瞑想に近い精神統一が必要で、タイムラグがある。
リズの言う、一動作での感情のスイッチングはかなり高度だ。
「それで? この長い話が、どう繋がるんだ?」
私は軽くバーゲストの首筋をぽんと叩いて、立ち上がる。
「この印を結んでみてほしい」
親指を除く四本の指を、爪と爪を合わせるようにした。
そして、親指の腹と腹をくっつけるようにして曲げる。
それを、胸の前に持ってきて見本にする。
二人も立ち上がり、私のやってみせた『印』を結んだ。
「ふむ……こうか?」
「こう……ですかね?」
「うん、二人共、並んで」
私は印をほどくと、手でちょいちょいと二人を促して並ばせる。
「……それで、この印にはどんな効果が?」
知識欲にあふれたレベッカの言葉に、私は笑顔で応えた。
「二人共すっごく可愛いよ!」
「……なあ。もしかして、意味ないのか?」
「ないみたいですね」
「意味はあるよ。可愛い女の子が指で作るハートマークって可愛いっていうかもう尊いよね」
両手で作るハートマーク。
心の印――と言うと、少し忍者っぽいが。
これは、全く忍者とは関係ない。
「……つまり意味はないんだな」
「これやっぱりただのハートなんですね」
呆れ顔になるレベッカとリズ。
しかし、それを聞いても崩さないでいてくれる。
「薄々茶番だって気付いててもやってくれるの嬉しいよ、二人共」
「…………」
「……もう」
二人が、少し頬を赤く染めて、微笑んだ。
「……ありがとね、二人共」
しばし、エルフ耳の美少女二人が、自分のためだけに指で作ってくれるハートマークを堪能した私は、満ち足りた気分だった。
リズとレベッカが手を下ろすと顔を見合わせ、苦笑する。
そしてリズが笑顔を私に向けた。
「では、マスターにも要求します」
「え?」
ちょっと何を言われたのか分からない。
「マスターも。私達二人に。オーケー?」
「なんでカタコト。……改まってやるの恥ずかしいよ」
「させといて何を言う」
レベッカの言葉は正論すぎた。
「ええー……でもだって、ほら……場の雰囲気が、もうなんか違うじゃない」
「違いませんよ。ほら、早く」
「ああ、そうだな。さっきやって見せてくれただろう」
あくまで笑顔で詰め寄る二人。
あまりの孤立無援さに、思わず足下のバーゲストを見てしまうが、我関せずとばかり、私の足下にまとわりつくように鼻面をこすりつけてきた。可愛い。
しかし頼りにならない。
二人に視線を向けると、笑顔で圧を掛けてくる。
「うう……」
観念して、胸元で指を合わせてハートマークを作る。
柄にもない事をやらされているという自覚があるので、頬がじわーっと熱くなっていく。
「笑顔固いですよ。私はマスターのいい笑顔が見たいです」
「ほらお姉ちゃん。表情柔らかくして」
リズからの笑顔が見たい発言も、レベッカからのお姉ちゃん呼びも嬉しい。
でもなんか違う。
やけくそ気味に笑顔を作ると、二人が満足げに頷いて笑顔を返してくれるのが嬉しくて、精一杯その笑顔をキープする。
しかし、一向に終わってもいいというお許しが出ない。
「……もう、これぐらいでいいかな?」
「もうちょっとお願いします」
「もう少し」
息がぴったりだ。
一体何が楽しいのか。
……私が楽しいのと、同じ理由なのだろうか?
とりあえず、この印はいざという時のために覚えておく事に決めた。
そしてふと、リズが読唇術が出来ると言っていたのを思い出して、印を崩さずに、声を出さずに唇を動かした。
だいすきだよ、と。
リズが目をぱちくりさせ、そしてマフラーの先端がひらひらと慌ただしく動く。
そして、はにかみながら、さっき崩した『心の印』を、もう一度私に向けて結んで見せてくれた。
ちゃんと伝わったらしい。
「……何を言ったのか、私にも大体分かったよ」
レベッカが一つ息をつき、寄ってきたバーゲストの首元に手を添える。
彼女は小柄なので、抱き寄せると埋もれ気味だ。
「お前達のご主人様達は、仲がいいな?」
リズのマフラーがぴこっとして、バーゲストの尻尾がぶんぶんと振られた。
後日。
リズを連れて陛下の元に『採用試験』の報告に上がり、その帰り道、廊下でワゴンとすれ違った。
すれ違いざまにぽそり、と呟かれた言葉。
「ごきげんよう」
はっとして、声のした方に視線を向けると、ワゴンを押しているメイドは、シノさんだった。
最初に見た時と同じ、黒髪を下ろした姿だ。
目が合う。
何かを言おうとして、言葉を探して――彼女がすっと唇に手を当てた事で、私は何も言わずに口を閉じた。
しーっ、という、沈黙の意志を伝えるための指の形。
言葉は、要らなかった。
……彼女の、目がいつもよりほんの少し細められ、口元がいつもよりほんの少しだけ緩められている……その表情を笑顔と見るのは、私の願望だろうか。
私は、小さく手を振って見せる。
ぺこりと一礼して、そしてワゴンを押しているのに音も立てずに歩み去って行くシノさん。
彼女の後ろ姿を黙って見送る。
やっぱり、忍者みたいな人だな。
リズが、足を止めた私の顔を覗き込んだ。
「どうかしました?」
「……なんでもない、よ」
王城の廊下で、部署は違えど、同じ軍で働く同僚とすれ違って、挨拶をした。
ただ、それだけの話だ。




