受験番号十七番
この試験を考案した奴は、頭がおかしい。
それが、私――『受験番号十七番』の、試験に対する感想だった。
『17』と書かれたワッペンを、身体の動きを妨げないために肌の露出度が高い、黒レザーの暗殺者装束の腰のあたりに付けている。
近衛師団のスカウトが来た時は、素直に嬉しかった。
"第三軍"では、斥候として偵察任務に携わる事の多い私の『地味な仕事』を見てくれて、それを評価してくれたという事だ。
……ただし、試験で一定の成果を見せる、という条件付き。
"第三軍"では、暗殺者になる者は少ない。どうしても、戦士に憧れる者が多いからだ。
それでも、ある意味獣人、特に私のような猫系の獣人達は、全員が暗殺者の素質を持つと言えるかもしれない。
暗殺者は猫を見習え、と常々言われる。
足音を立てず素早く動き、夜の闇を苦にせず、鋭い爪を隠し持て、と。
でも『これ』は。
限界まで魔力反応を抑え、そろ……と木の陰から様子を窺う。
『試験会場』である屋敷の玄関扉の前に、『歩哨』が一人、月の光に照らされて立っている。
今回は『試験』……演習だ。
戦闘が目的ではないが、戦闘も許可されている。――目的さえ果たせるのならば、正面突破してもよい、と。
さすがにそれを信じた奴はいないだろう。武器を持って正面から殴り込む――それはどんな暗殺者だ、と。
対人用の武装は、提示された木製の物から自由に選ぶ形式だ。
そして、木製の武器の刃部分を当てさえすれば、その時点で行動不能扱いで試験から脱落する。
しかも一度当てさえすればいいのは、攻撃側の特権であり、防御側は通常の演習時と同じく、行動不能またはギブアップを引き出さねばならない。
万が一にも死者を出さないため、という言葉で以上のルールを説明された時、ほっとした空気が流れた。
罠だった。
今回は戦闘がメインではない。
そう自分に言い聞かせて、私は震えそうな身体と精神を律した。
改めて、歩哨の姿を観察する。
鎖鎧に、所属を示す紋章の縫い込まれたサーコート。
腰には鞘に収まった長剣。
板金鎧を着込むための肉を持たない、骸骨らしい武装をした死霊騎士だ。
スケルトンは、いつも使っているナイフでは相手にしたくない。関節技に持ち込んで、関節……というか骨をへし折って機動力を奪って、逃げた方がいいだろう。
ただ、今回の演習ルールなら、そっと忍び寄って刃部分を押し当てればそれで『倒した』扱いになる。
なるべく見つからず侵入したいが、警戒網の穴をどこかで見つけるか、作る必要がある。
そのためなら歩哨の一人ぐらい、強行突破する事を考慮に入れただろう。
その歩哨のサーコートに、でかでかと"短剣をくわえた蛇"が刺繍されていなければ、だが。
頭おかしい。
場所は教えられていない。ここまで連れてこられた荷馬車は御者台と客車が分かれたタイプだった。
当然、窓からは外が見えないようにされていて、極力、事前情報を与えないつもりなのだろう。
ただ、ここがどこなのか、分かった。
分かってしまった。
ここは『あの』"病毒の王"の屋敷だ。
"第六軍"と言えば、酒席の鉄板ネタだ。
特に屋敷絡みの話は。
"第三軍"の狩りにも、時折"第六軍"の者が参加する。
なんでも自分の食い扶持はなるべく自分で稼げとのお達しが出ているらしい。
狩りの際の戦いっぷりは、まさしく英雄だ。
身体能力が桁違いだし、動きに全く無駄がない。
肉に毛皮、それに骨や牙など、食糧や素材になる部位をなるべく傷付けないように命令されていると聞いた時は――何を言っているのか、少し分からなかった。
それはもちろん、肉や毛皮は大事。
ただ、相手は魔獣なのだ。
魔獣と一口に言っても様々で、ピンキリで――しかし、"第三軍"の狩りの獲物に選ばれるような魔獣は、大抵が自分達より強い。
圧倒的に体格で勝り、筋力は言うに及ばず。
チームを組んで、動きでカバー出来ねば、死ぬ。
"第三軍"の狩りは、食糧や防寒具の素材の供給源である前に、生活圏の確保のためであり、そして何より、訓練のためなのだ。
どうして肉や毛皮の事まで気遣えるというのか。
それでも、あの者達ならば、それぐらいはやるだろう。出来るだろう。
"病毒の騎士団"。
たった四百人かそこらで、あのイトリアで先陣を切り――囲まれ、それでいて、最後まで歩みを止めず、敵陣をぶち抜いた。
狩りの後の酒席にも大抵参加し、飲み食いはしないが良い機会との事で色々な話をする。
なんでもこれは、戦後は各軍の交流をより増やすという魔王陛下の――つまり国家としての――方針なのだとか。
"病毒の騎士団"の騎士達は、仰々しい名前と凄絶な戦果に似合わず、皆、淡々とイトリアでの事を話す。
それを目の当たりにして、常日頃何かと威張り散らす『イトリア帰り』達が、肩身が狭そうに縮こまるのを見るのは、少し気持ちが良かった。
"第六軍"と合同の狩りから大人しくなったと、評判だ。
あの英雄達の淡々とした語り口で語られる、何の誇張もない戦場語りを聞いた後では、何人倒したとか、そういう自慢話がいかに馬鹿らしいか。
……彼らが楽しそうに語るのは、屋敷の住人の事。
そして、自分達の主の事。
……庭に神話級の死霊騎士と黒妖犬が警備に立つ屋敷が、他にあるはずがない。
黒妖犬は、見える範囲では死霊騎士のそばにいる一匹しかおらず、これは温情だろう。
――噂では、屋敷の庭には常時数十匹が放し飼いにされていると聞く。
庭を巡回して、バーゲストの数が少ないなと思ったら、大抵そういう時は屋敷の主が庭に出ていて、遊んだり、埋もれるようにして寝ているのだとか。
"病毒の王"の特異性を語ると言うより、職場のほのぼのネタを語る雰囲気なのは、何故だろう。
後で、改めて仲間内の話題になった時は、"第六軍"の本拠地、"病毒の王"の屋敷は、とても怖い場所という事で意見が一致した。
最近、"第三軍"本拠地に詰める魔獣師団に黒妖犬が組み込まれたと伝え聞く。
本拠地詰めでなくてよかった、と思った物だが、何の因果か、『本家本元』に来てしまった。
私は、戦闘を選択肢から捨てた。
魔力反応を限界まで抑え、音を立てないように、そして目視で見つからないように、そっと庭を移動する。――匍匐前進で。
一刻も早く死霊騎士達の視界から外れたいという、はやる心を押さえ込み、腹ばいのまま、庭を移動する。
はいつくばるのは、慣れている。足跡を読み、臭いを嗅ぎ、微かな痕跡を逃さぬために――地面に伏せるのはいつもの事だ。
所々に罠がある。
落とし穴や、糸の先に鈴といった、シンプルな警報装置は見る人が見れば笑うだろうが、魔力反応がないという一点で馬鹿にしたものではない。
落とし穴の中に何が仕込まれているかは想像したくもないが、警報装置は、引っ掛かれば――死霊騎士や黒妖犬が飛んでくるという寸法だ。
なんて恐ろしい罠を。
さらに、触れたら、やはりどうにかなるのだろう魔力的なトラップを感知する。
仕掛けた奴はいい腕だ。罠だらけという事を前提にしなければ気付けないだろう。――ご丁寧に、草に偽装されている……と言うより、白い花をつけた野の草が、触れたらどうにかなる罠に変えられていた。
警報装置だと、信じたい。
が、ここは『あの』"病毒の王"の屋敷。
致死性の罠が仕掛けられているという前提で、寿命が縮む思いをしながら進む。
ふと、一番から十六番――自分の前の候補者達も、こんな風に匍匐前進しただろうか、という思いが頭をよぎった。
罠があるとさえ分かれば、匍匐前進で進めるような間隔で罠が仕掛けられているから、自分の選択は今、『正しい』のだろう。
そろそろと館の裏に回り込み、意識を研ぎ澄ませながら、窓ガラスの向こうの廊下の気配を探る。
――ふと、背後から視線を感じて、ゆっくりと振り向いた。
……何も、ない。
見られているような気配を感じたのは、ただの気のせいだったのかと、私は小首を傾げた。
塀の上にメイドが三人いるが、それだけだ。
"病毒の王"は副官にメイド服を着せ、メイドの仕事も兼任させ、結婚までしたと聞く。
夫婦仲は良好だと、"病毒の騎士団"の騎士も話していた。
何も、おかしな所はない。




