EX12. ニンジャの見つけ方
――故郷を、思い出す時がある。
私の郷愁は、断片的な物だ。
私の記憶は、壊れているから。
それでも、結構覚えている事があって、私はそれに助けられてきた。
部下との話のネタに詰まった時とか。
私は、王城に呼ばれ、今はリズとレベッカと共に応接間のソファーに腰掛けて、陛下が来られるのを待っているところだ。
ハーケンとサマルカンドは、迎えと警備を兼ねて部屋の外で待機している。
少し暇。
穏やかな沈黙も嫌いではないが、ふと頭に浮かんだ故郷の断片を、口にした。
「リズ。『忍者』って覚えてる?」
リズが頷く。
「はい。マスターの故郷に伝わる暗殺者の伝承ですね。数々の道具を使い、空を飛び、水を渡り、獣を友とし、近接武器から投擲武器まで幅広く扱う闇の住人と聞きました」
「実はそれ、ほぼ全部フィクションなんだ」
リズが目を見開く。
「……そう……なんですか?」
「うん」
「こんな時に何を言ってるんだお前達は?」
レベッカが冷めた目で見る。
「だって……マスターの故郷の伝承と似てるってなんか嬉しいじゃないですか」
「まあ……気持ちは分からないでもないが」
レベッカがふっと、どことなく寂しげに笑った。
お互いに故郷というものに、縁が薄い同士だ。
「でも、マスターの世界では、そういうのフィクションなんですか? 私は、大体出来ますけど」
「え、出来るの?」
思わぬ方向に話が転がる。
リズが、こともなげに頷いた。
「近接武器から投擲武器まで、大抵の武器の扱いには自信があります。獣を使う部分はちょっと怪しいんですけど……黒妖犬は懐いていますし、グリフォンの背に乗ってなら飛べますし」
「水の上を歩くのは?」
「足場があれば。歩法と体重移動……それに魔法的な軽減も入れれば、浮いた木の枝の上を歩くぐらいしてみせますよ」
確かに今まで水上を戦場にした事はなかったけど。
因幡の白うさぎ、というお話が頭をよぎる。
私は、うさぎを引きずり込む鮫さん役がやりたい。
あるいは、騙くらかされてひどい目にあって身ぐるみ剥がされたうさぎさんに、そっと傷薬とメイド服を差し出したい。
「……今、妙な事を考えませんでした?」
「読心術は出来るみたいだね」
「どくしんじゅつは、唇を読む方しか出来ませんよ……」
唇を読む方の読唇術は、それはそれで高等技術だと思うけど。
リズが、ぽん、と軽く私の腕を叩く。
「――陛下がいらっしゃいました」
間髪入れず、サマルカンドの声が届き、一拍置いて、扉が押し開けられる。
魔王陛下に、扉を開けたサマルカンドとハーケンが続く。
そして最後に入ってきたのは、ティーセットの載ったワゴンを押すメイドさん。
ダークエルフで、黒髪で、黒目。目が合うと、長い黒髪を揺らして、軽く会釈してくれた。
姫カット可愛い。
「お呼びにより、参上いたしました」
私達三人は立ち上がり、陛下へと挨拶する。
「うむ。楽にせよ」
陛下が腰掛けた後、私達も再びソファーに座り直す。
メイドさんが、ワゴンの上でお茶を淹れ、陛下、私、リズ、レベッカの順番にカップを置いていく。
そして白手袋をした手を重ねて、一礼する。
私達は、彼女から意識を外した。
「今回、来てもらったのは他でもない。近衛師団の人員補充の件について――」
「お待ち下さい、陛下」
私は手を挙げて、陛下の話を遮った。
「……なにか?」
陛下が、いぶかしげな表情になる。
私は、こう見えても真面目なので、上司の話はちゃんと聞く。
聞いた上で意見をする事もあるが、私が陛下の話を遮る事はまずない。
「彼女は、席を外さずともよいのですか?」
私は、ワゴンと共に佇む、黒髪のダークエルフメイドさんを指し示した。
「……え」
リズが、目をぱちくりとさせる。
「あれ……席を外したはず、では……」
レベッカが、目を見開いた。
「……驚きました」
黒髪メイドさんが口を開く。
そして、元から半ば閉じられたような目が、一段と細められた。
「これでも、気配を消すのは上手い方である、と自負していたのですが」
「え……あの、先輩? です……か?」
「先輩? ……まさか」
彼女の言う――『先輩』とは、つまり、近衛師団の暗殺者だ。
もう一度見直す。
ストレートな黒髪ロングに、どこを見ているのか一瞬分からなくなるような薄い黒の瞳。
肌の色はダークエルフの中でも暗めだ。
リストレア魔王軍において、一般的なメイド服。
リズは、胸が苦しいという理由でエプロンの胸元を開けるなど、私と相談してデザインを変えた物を着用している。
彼女は胸元まで白布に覆われたノーマルタイプを無改造で着用し、爪先からホワイトブリムに至るまで、一分の隙もない。
すとん、としたエプロンの胸元に親近感を覚えた。
彼女が私をなんとなくといった風に見返しながら、ぼそぼそと呟く。
「……なんか視線が真剣すぎて怖いんだけど本人に言っていいものかな」
「あ、ごめんなさい」
「マスター? 何をいきなり謝ったんですか?」
「え、いや。初対面の人をつい観察しちゃって怖がらせたみたいだから……」
リズがきょとんとする。
「え? いつそんな事を」
「いつって」
話が、妙に噛み合わない。
「これでも、意識を外していたつもりなのですが。……陛下。私より話をさせて頂いても、よろしいでしょうか」
「うむ、任せよう。彼女は近衛師団の暗殺者を束ねる長だ。今回呼んだのは、近衛師団の人員補充の件であり――それは、『裏』の物となる」
陛下が立ち上がる。
「早々に気付かれたのだ。良い機会だから、予定とは違うが直接話すがよい。口はつけておらぬから、茶など飲んで、な」
「はい、陛下。お心遣いありがとうございます」
彼女は丁寧に頭を下げて陛下に礼をした。
陛下が退室し、彼女一人が残る。
先程陛下が腰掛けていたソファー中央にちょこんと座った彼女と目が合った。
黒い瞳が、ぼんやりと私を見返す。
「私と、目が合うのですね」
「人付き合いの基本ですから……お嫌でした?」
「いえ。嫌ではありません。……少し、意外なだけです」
「意外?」
「見つかるとは思っておりませんでした。自分の気配……魔力反応を極限まで削り、意識から『外す』。攻撃動作を取れば完全とは言えませんが、通常の……それこそ、メイドの振りをしている間に気取られるとは。リーズリットならあるいは、とも思っていましたが」
彼女は淡々と言い、一つ息をついてみせた。
「……修行のやり直しでしょうか」
「いや……我々は気付かなかった。マスターだからだろう」
「ええ、先輩は悪くないですよ。マスターだからです」
「やはり黒妖犬の感知能力によるものでしょうか?」
「……いえ、この子達は、特には」
攻撃動作を取っていたなら、多分反応してくれただろうが、ローブの陰に潜むバーゲスト達は大人しいものだ。
「上位死霊としての感覚ですか? エルドリッチ様にも通用したのですが。それとも、常時、他者に気付かれない範囲で周囲の魔力反応を観測しているとでもいうのでしょうか?」
「えと、その……」
言い淀む私。
リズをちら、と見ると、彼女はつん、と顔をそらした。
「どうせ、メイドさんを見ていただけでしょう」
彼女は首を振った。
「そんな馬鹿な事がありますか」
「……そんな馬鹿でごめんなさい……」
常時、他者に気付かれない範囲で周囲のメイドさんを観測している。
ちなみに、対象はおおむねリズだ。
「え?」
彼女が私を見る。
「――余さず、お伝え願えますか?」
「あ、余さず?」
「はい。どのような細かい事でも。私の『意識を外す』技術は、客観的に見ても高いレベルにあるはずです。そして、私は指導教官として部下を教えてきました。――私は、部下の命に責任がある。可能な限りの情報開示を望みます」
近衛師団に、全てを統率する長はいない。それは陛下であるという建前だから。
しかし現実として、近衛騎士達をまとめる長や――彼女のような、暗殺者達の長もいる。
その権限は、最高幹部には及ばずとも、無下には出来ない。
「どうか」
「……笑いません?」
「笑うはずがありましょうか」
真剣な言葉に、観念して白状する。
「あの、見た事のないメイドさんだなって……この応接間で私の対応を任されるようなメイドさんは大体顔見知りだから……。後、さらさらの黒髪ロングが可愛いなとか、体型に親近感を、覚えたり……」
リズとレベッカに、物凄く生温かい目で見られた。
こんな時でなければ、嬉しかったのだけど。
サマルカンドとハーケンには、物凄く温かい目で見られた。
こんな時でなければ、嬉しかったのだけど。




