最高幹部のお手本
リズが、滑らかに言葉を続ける。
「私めに『現実』を教えて下さったのは、"病毒の王"様ですよ? 黒妖犬の調練手法は、厳密には今もって不明ですし、完全に解明される日は――来ないやもしれません。ですが、それはそれ、これはこれ。現実として信頼関係を築けるという事を、あなたが直々に、その『立派な振る舞い』によって教えて下さいました」
そして彼女は獣人達へ視線を向ける。
「自分達が飼い、訓練している魔獣の全てを理解していますか? グリフォンだけを取っても、私達を殺そうと思えば殺せるれっきとした『魔獣』です。ただの猟犬でさえ、不意に牙を剥かれれば人一人、簡単に死にます。それでも、私達はそれを受け入れている。危険と隣り合わせで、それでも信頼関係を築く事が出来る」
そしてリズは振り向いて、私を見てくれた。
目と目が合う。
「……私は、そうしてきました」
彼女の言葉には重みがあった。
さすが、頭おかしい最高幹部に、『いざという時の安全装置』として最終判断を任された状態で仕え続けた副官だ。
メイドとして身の回りの世話を焼きながら――仲良くなって、信頼関係を築き、それでいてなお、いざという時に備えて。
その時が来れば、個人的にどれほど仲良くなっていたとしても――きっとリズは、私を殺した。
私が、この国の敵になれば。
……いざという時が来なくて良かったと、本当に思う。
「それでは、お願いしますね。『いつもやっていらっしゃるように』」
にこりと笑うリズ。
「……ねえ、本当にやらなきゃダメ? ……人前だよ?」
「……このままでは訓練になりません。魔獣種は闇の森の住人にとって、脅威そのものなのです。その認識は魔獣師団であっても……いえ、だからこそ根強い。ゆえに、そのイメージそのものを、一度ぶち壊すようなやり方が、有効かと」
「"病毒の王"のイメージとか……」
一緒にぶち壊すような気がする。
「国家のためです」
彼女の言葉には重みがあった。
さすが、頭おかしい最高幹部に、一番近くで仕え続けた副官だ……。
私は、覚悟を決めた。
こほん、と咳払いして喉を整えると、キリッとした最高幹部らしい態度に戻す。
「――最高幹部として、『お手本』を見せてやろう」
ローブの裾をつまみ、ばさばさと振って、十匹ほどをローブの陰から出した。
私は、魔王軍最高幹部。
そのプライドをもって、プライドの全てを放り捨てる。
私は、満面の笑顔で両手を広げて、バーゲスト達を呼んだ。
「お前達、おいで!」
色々と放り捨てた私。
「ああもう! このもふもふさんめ!」
手近な子に抱きついて、首筋の毛に頬ずりして堪能する私。
「二匹同時とは贅沢を覚えたな? まあ、一番贅沢になったのは私だが!」
二匹同時に寝転がって、お腹を見せたバーゲストの腹毛を撫で倒す私。
「んー……ぬく……もふ……」
何も言わずとも集まってきたバーゲスト達に埋もれてぬくぬくと眠る私。
「……"病毒の王"様。色々おかしくないですか?」
背後の全員の声を代表したような、マリノアの呆れた声。
「おかしくないよ?」
開き直った私。
そしてキリッとした顔と口調に戻す。
「――私に言わせれば、お前達の方がどうかしてる。こんな愛らしい黒犬さん達をモフり放題だぞ? それが命令で、お仕事だぞ?」
「……そんなまっすぐな目で……頭おかしい事……」
マリノアが、黒い瞳に戸惑いを浮かべ、視線を揺らがせる。
「やっていらっしゃいますね、"病毒の王"様」
カトラルさんの声がした。
いつも通り紺の軍服をきっちり着こなし、緩やかなウェーブのかかった黒髪も整えられている。
後ろに、同じく紺の軍服を着たアイティースを伴っていた。
丁度いいと思い、抑制の効いた指揮官然とした彼女を、私はちょいちょいと手招きして誘った。
「カトラルさんも、どう?」
ちょい、とローブの裾をつまみ、浮かせ、そこから這い出るようにバーゲストが次々と出てくる。
「よろしいのですか!?」
彼女の黒い猫耳がぴくっ、とする。
私が頷くのとほとんど同時に、カトラルさんが寄ってきたバーゲスト達に飛びつくように抱きついた。
嫌がる様子もなく受け入れる黒犬さん達が、さらにわらわらと寄ってきて、カトラルさんが半ば埋もれて見えづらくなる。
抑制ゼロの姿だった。
「ほら、カトラル殿はこんなに順応していらっしゃるぞ?」
魔獣師団の面々は、なんとも言えない表情で、それぞれ首を振ったり、目をそらしたりした。
そして口々に言う。
「カトラル様はちょっと特殊だから」
「うん。カトラル様は常軌を逸した動物好きだから」
「否定はしませんが」
バーゲスト達をもふもふしながら、抑制の効いた涼しい顔で、彼女達の言う事を受け流すカトラルさん。
否定しないのか。
私は、埋もれていたバーゲスト達をかきわけて立ち上がり、アイティースの方を見た。
「アイティース。怪我の調子はどう?」
「朝も聞いたろ。軽かったし、ちゃんと回復魔法も掛けてもらったから、もう大丈夫だ。念のため、まだ激しい動きはするなって言われてるけどな」
彼女は笑って答える。
その姿は軍服と相まって、上級士官らしく見えた。
一応、軍服自体は階級とは関係ないし、そもそもリストレアには細かい階級がないのだけど。
魔王軍最高幹部を頂点として、各軍で序列を割り振るというシンプルさは、ある意味で合理的でさえある。
慣習として、軍服を着ているのは指揮官クラスが多い。それと文官だ。
グリフォンライダーの飛行服のように魔力布かつ、オーダーメイドで作られるので、少々高価なのが原因だろうか。
鎧など、戦場の軍装の方に予算が割かれるのは当たり前で、それを脱いでも権威を保つ必要がある指揮官と、その軍装が存在しない文官達に優先的に配備されるのは至極当然の事だ。
「早くリーフに会いたいよ。怪我は大した事なかったって言われてるけどさ」
三日の訓練を終えた後、アイティースも一緒に屋敷に帰る事になっている。
リーフは屋敷で身体を休めているので、再会はその時だ。
いずれ、配置換えもあるだろう。
それまではもう少し、ラトゥースには我慢してもらおう。
そこでアイティースが、すまなさそうな顔でリズを見た。
「……あ、リズ。その、飛行服……悪かったな。ボロボロにしちまって」
「いいえ。大事なのはあなたですよ、アイティース。それに、あれぐらいならほつれた所の魔力を織り直せば、元に戻ります」
リズが優しく返し、アイティースがほっとした顔になる。
そして、今もペアと付かず離れずの、ぎこちない距離を保っているマリノア達へ向き直った。
「みんなもありがとな。……探してくれて」
はにかむアイティースに、全員が笑って、黙って頷いて応える。
確かな連帯感を感じさせるやりとりだった。
アイティースが私に向き直り、何気なく聞いた。
「なあ。バーゲストとの連携訓練――って、何やってるんだ?」
「二人が来たのは、丁度『お手本』を見せてたところだよ」
手に顔をこすりつけてきた一匹の首元の毛に指を差し込み、手の甲で撫でる。
アイティースが戸惑い顔になった。
「え? これ、訓練の合間の息抜きじゃなかったのか」
そして数匹のバーゲストにまとわりつかれている私をじっと見る。
「……いつもと変わらなく見えるけどよ。私の目がおかしいのか?」
「おかしくないよ」
なお、そう言うかどうかは、人による。




