ひとりきりのグリフォンライダー
「いっ……つう……」
身じろぎした瞬間に、全身が痛んで、私は思わず呻き声を上げた。
「私は……"第三軍"……魔獣師団所属、グリフォンライダーの……アイティース……よし」
軍内では、『落下事故』の際、所属と氏名を聞き、答えられるかどうかで容態を見る。
自分に言うものではないんだが、聞いてくれる奴がいないのだから仕方ない。
まだ、日が暮れていない。
飛び降りた時よりも暗くなっているが、意識を失っていたのは、そんなに長くはなさそうだった。
とりあえず、身動きする度にぎしぎしと軋む枝に引っ掛かっている現状から、細心の注意を払って幹に近い所に移り、太枝にまたがる。
そして、耳を澄まし、鼻を利かせて気配を探った。
周囲に魔獣その他、危険な気配はなし。
食糧から水筒まで、頼りになる荷物は持ち出せなかったし、鞍と運命を共にしていたような気がする。
そもそも、グリフォンと、グリフォンライダーが離ればなれになる事態をあまり想定していないのだ。
乗り手が荷物を背負えば負担になるし……とりあえず、腰のポーチを探る。
ポーチに行動食……という名のおやつを仕込むのが、グリフォンライダーのたしなみだ。
とりあえず、"病毒の王"が、その称号に似つかわしくない笑顔で「遭難した時にチョコレートは必須だから」と言って、渡してくれた高級品のチョコレートを引っ張り出す。
落下の衝撃で"保護"の効果は消失していたが、気温の低さと相まって、薄い金属ケースの中に収められた、四角く固められたチョコは無事だった。
強化術式刻印済みにも関わらず、レンズにひび割れの入ったゴーグルを頭の上に押し上げた。
一つ口に入れ、舌でころ……と転がすと、こんな時だというのに頬が緩む。
さすが高級品。心をとろかすような甘さ!
聞き流していたけど、本当に必須だ。遭難時だからこそ、甘さが嬉しい。栄養価も高いそうだ。
公式に支給してくれると嬉しいんだけども。
とはいえ、グリフォンライダーは金食い虫だ。飛行服から鞍まで装備もオーダーメイド。グリフォンのエサ代やらなにやらも馬鹿にならない。
チョコレートなんて高級品は、期待しない方が良さそうだ。
リストレアのチョコレートは、かつて南の方から持ち込まれた木を『栽培技術の試験』名目で大切に育てて、作られていると聞く。
『南』とは、豊かさの象徴であると同時に、脅威そのものだった。
今はもう――そうでもない。
かつての人間の支配地域への入植の希望者が募られつつある現状、近い未来にチョコレートは、高級品でなくなるかもしれなかった。
まずは失われたガナルカン地方から。そしてその先へ。
その時私達グリフォンライダーは、きっと連絡役を務める事になるだろう。
でもそれは、もう少し先の話。
とりあえず今は、遭難しているという現実と向き合う事にした。
もう一つチョコレートを口に入れて元気を出すと、改めて身体の状態をチェックする。
怪我は、結構な高さから飛び降りて、木に突っ込んだ割にそうひどくはない。打ち身と切り傷がほとんど。
飛行服が所々破れ、ほつれていたが、私も服もこの程度で済んだのは、さすがリズの魔力布製だ。
ただ、右足をくじいたろうか。痛い所だらけだったが、足首に触れると一際鋭い痛みが走った。
なんとか身体強化魔法の助けも借りて、右足を使わずによじよじと木を伝って降りる。
落ち着いて見回すと、鬱蒼と、黒々と、わさわさと木々が生い茂る森……典型的な闇の森の風景が広がっている。
――現在位置、不明。
食糧、チョコと干し肉が少しと、やはり少量の塩と砂糖。
水筒その他、なし。
武器、ナイフが一本。
「はっ……冷静に考えると、結構やべーんだろうなあ」
ひっどい状況に思わず変な笑い声が漏れる。
オマケに。
鼻の頭に、ぽつ、と水滴が当たる。
空気にも、雨の匂いが混じり始めた。
もう初夏だ。最北と山の上ではまだ雪が残るが、それでも雪はもう降らず、雨に溶かされていくだけ。
あたりを見回すと、雨をよけられそうな張り出した岩棚を見つけた。
とりあえず、右足に体重をかけないように注意を払いながら、よたよたとそこへ向かう。
洞窟ではなくただの所々苔むした大きな岩だったが、ひさしのように張り出した岩棚の下は、割と快適だった。
小さいスペースだが、雨は当たらず、座れば頭がつかえる事もない。
座り込んで、雨模様の空を見上げた。
太陽は雲に遮られて、あたりは薄暗い。
「あー……喉渇いたな……」
川がどこにあるか分からない。
出来れば綺麗な泉、少なくとも川を見つけるように、と指導されるが、同時に緊急時の手法も教えられている。
私は、手袋を外すと、立ち上がり、近くの岩のくぼみに溜まった雨水に手を器にして差し入れた。
すくった水を眺めながら、呟くように詠唱する。
「"浄化"」
この魔法にも限界はある。だからなるべく綺麗な水を探すのが鉄則なのだが、それはそれとして、獣人は水を飲まないと死ぬ。
水のない状況では他の要素も甘くはないだろうし、三日もてばいい方だ。
覚悟を決めて口をつける。
ごくごくと飲みたい……のだけど、やはり、こういう安全の確認されていない水を飲む時は、少しずつ飲むように指導されている。
妙な味がしたら吐き出す余裕を持つために……との事。
私は、日常生活用魔法が限度で、回復魔法の類は使えないので、ここで腹を壊しでもしたら、その時点で詰みかねない。
ゆっくりと時間を掛けて飲んだせいもあり、冷たい雨水が喉に……内臓に染み渡っていくようだった。
「っ……はあああ~っ……!」
こんなに美味い水を飲んだのはいつぶりだろう。
子供の頃、森の中を『冒険』していた時に飲んだ湧き水以来かもしれない。
訓練中に、先輩達にしごかれて、ふらふらになった時に飲んだ水も捨てがたいが。
手を振ってなるべく水を切り、ふとももに備えられた、防寒用のディテールでもある大型ポケットで手を拭く。
右だけブーツを脱いで、ポーチから医療用キットを出し、包帯を靴下の上から足首に巻いて、固定して患部を保護する。
そして手袋をはめ直し、岩に背を預けた。
……まもなく、日が暮れる。
もう一つチョコレートを口に含み、腰のナイフを確かめた。
『獣人の誇り高き戦士』が持つには、随分とちゃちな武器だ。
それでもこの最低限の武装だけでグリフォンにまたがって、共に空を飛ぶのがグリフォンライダーの誇りでもある。
リズに仕込まれた事もあり、命を預けるのに不足はない。
口に入れたチョコレートは、大切にしていても、すぐになくなってしまった。
長丁場になった場合に備えて、残りには手を付けない事にする。
両腕で、自分の身体を抱くようにした。
思い起こされるのは、屋敷の庭で、バーゲスト達を枕や毛布の代わりにして昼寝した時の事。
なんだかんだと、暇な時はリーフと一緒に、あいつらとよく遊んだ。
「……あいつら、あったかかったんだなあ」
自分一人の体温が、頼りなくて仕方なかった。
それでも、目を閉じて、身体を休める事に専念する。
不安だ。
……助からないかも、しれない。
それでも。
『あいつ』は――あいつらは、助けに来てくれる。
それだけは、絶対だ。




