乗り手のいない鞍
「おい、アイティースが行方不明って、どういうこった!?」
太陽が沈もうとしている、夕暮れ時。
"闇の森"、獣人軍駐屯地――その中でも最大の所へ私は来ている。
仮面は抜きで、しかし杖も持った"病毒の王"の正装で、リズとレベッカ、サマルカンドとハーケン、さらに屋敷詰めの死霊騎士達全員を引き連れるという物々しさ。
骸骨馬を全力で駆けさせての強行軍だ。
来訪の知らせを受け、出迎えて私の顔を見るなり叫び声を上げたラトゥースへ、私は聞き返した。
「むしろ私が聞きたい。リーフだけが、傷だらけで屋敷に帰ってきた。――鞍が、何かに引き裂かれたような状態で、だ」
「リーフが……? 容態は?」
「王城から人員を派遣してもらっている。命に別状はない。……おそらくは空を飛ぶ魔獣に襲われたようだ、と」
「んだと……? 他には」
「だから、むしろ私が聞きたい。――礼儀は、今はいらないな?」
「おう。お前んとこのバーゲストに食わせとけ」
頷くラトゥース。
「じゃあ、任務内容、及び飛行ルートの開示を要求する。捜索範囲の決定と、捜索部隊の編成を、可能な限り迅速に。こっちには死霊騎士達と――私がいる。魔獣の生息地だろうがなんだろうが、捜索範囲に含めていい」
「分かった、助かる」
ラトゥースが頷いた。
そして私をじっと見る。
「……なにか?」
「いや……お前、味方にすると頼もしいな」
「ありがと。じゃあ、カトラルさんを呼んで」
「飛行ルートは……ここから、ここまでですね」
ゆるくウェーブのかかった黒髪に黒毛の猫耳。紺色の軍服を、きっちりと着こなしている。
"第三軍"の魔獣師団を率いるカトラルさんが、すっと指を動かして、飛行ルートを指し示した。
コテージのような会議場の板壁に直接貼られた、大陸北部――"闇の森"――のみ記載された大地図に、ピンを刺していく。
「現時点で、アイティースからも、他の駐屯地からの連絡もなし。とはいえ、鳩便では限界がありますし、伝令が出発したとして、まだ届かないでしょう。――最悪の事態……その一歩手前を想定して、動くという事でよろしいですか?」
「最悪の一歩手前の事態……ってのは、具体的には、どんなんだ」
私と並んで丸椅子に腰掛けているラトゥースが、自分の膝にがしりと手を置いて、カトラルさんを睨み付けた。
「アイティースは生きていて、しかし怪我をして動けず、一刻も早い救助を必要としている……そういう事態です」
最悪は――もう死んでいる。
「……いいだろう。そいつで頼む」
ラトゥースが頷いた。
「まずは飛行ルート沿いを当たります。……ただし、外れていた場合、皆目見当が付きません。徐々に広げていくという事になるでしょう……」
地球の航空機事故でも同じだ。フライトプランにフライトコース……事故時には当てにならない。
私は手を挙げた。
「どうぞ、"病毒の王"様」
「アイティースへの連絡方法は?」
「ありません。のろしなどを上げてくれればいいですが……限界もありますしね。それに、この森では火を恐れる獣の方が少ない。諸々を勘定に入れれば……彼女からの連絡は、期待しない方がいいでしょう」
「地上の捜索は? カトラルさんは……追跡者だよね」
「最初の痕跡を見つけねば、それも……無理ですね。……広すぎるんです。グリフォンによる輸送コースですから」
顔を伏せるカトラルさん。
私も歯噛みした。
分かってはいたけれど……この国は、広すぎる。
「魔獣の生息域は、どこからどこまで?」
「駐屯地と交易路以外、全部です。『獣人の生息域』として保持している、僅かな領域があるというだけで、他は……一人で迷い込めば、どうなるか」
アイティースは、軍人だ。
"第三軍"の誇り高き獣人の戦士として、今でも訓練を欠かしていない。
それでも、彼女はあくまで"グリフォンライダー"であり……素の戦闘能力は必要とされない。
そもそも武装も最小限のはず。
もしも、既に運悪く魔獣に遭遇していれば――
「捜索となれば、人海戦術という事になるでしょう。……一人を救うために、それだけのリソースを割かねばなりません。それは……より多くの命を救えるはずの労働力であり、資金です」
あえて冷たい言い方をするカトラルさんに、ラトゥースは立ち上がり、歯を剥き出しにして笑った。
「分かってんだろ、カトラル。――俺は、俺の部下を一人だって見捨てる気はねえぞ。あいつは、グリフォンライダーとして自分の仕事をしてる。事故の時に救助も出せねえで、報いる事が出来るもんかよ」
「……はい、ラトゥース様」
満足げに頷くカトラルさん。
「"病毒の王"様も、同じご意見ですか?」
「おおむね。……付け加えるなら、個人的にでもやらせてもらう」
アイティースは私の友人だ。
……エイティースの事もある。
彼女の双子の弟は、私が命じた任務を果たす中で死んだ。
その姉を、職務中の事故なんかで失わせてなるものか。
「ありがとうございます。……どれだけのリソースを、割けますか?」
「私の――"第六軍"の全力を」
そして、私はちらりと背後に控えている、連れてきた全員を見た。
「――皆、異論は?」
「ありません」
「ない」
リズとレベッカが端的に答えた。
「彼女の魔力反応は把握しております。お任せ下さい」
「探す相手が生者なれば、我らの嗅覚も役に立とう」
サマルカンドとハーケンがそれぞれの意見を述べる。
「共にリズ殿と訓練した戦友を見捨てられるはずもない」
「我らが望んだ平和な世にあっては、我らの力は過剰やもしれぬがな。お命じになられよ、我らが主。力で解決出来る事ならば、そうしてみせよう」
死霊騎士達も思い思いに頷く。
ラトゥースは、背後に控える獣人達を見やって、にっと笑った。
「――うちは聞いた事、なかったな。『異論は』?」
一斉に上がった軽い笑い声が、返事の代わりだった。
そこにあるのは、絶対的な信頼だ。
「決まりだ。カトラル。お前が指揮を執れ。"第三軍"、"第六軍"、合同で事に当たる。――いいな?」
ラトゥースが、後半は私に向けて言う。
頷いた。
「もちろん」
「分かりました。僭越ながら指揮を執らせて頂きます」
カトラルさんが一礼して頷いた。
「それでは、"病毒の王"様に、一働きしてもらいましょうか」
私は頷いて、アイティースの事を思った。
彼女は今、どうしているだろう。




