百合のつぼみ
夜なのに、あたりは木々の隙間を縫うように差し込む月光が雪面に反射して、明るかった。
私はせっせと、さらりとした樹液……メープルウォーターが入った金属のバケツを、ソリに積み込んでいく。
似たようなソリはいくつかあり、骸骨馬も貸し出している。
牽引用に使われる、トナカイに似た家畜もいるが、今、目の前のソリに獣は繋がれていない。
「第一陣、戻るよ! ――リズ。後はよろしく」
「はい」
同じくバケツ運び役兼護衛であるリズに声をかけた。
護衛はリズだけではなく、バーゲスト達も、森の中に散っている。
大きく輪を描くように採集範囲を囲み、文字通り、目を光らせていた。
木々の間にちらちらと光る、鬼火のような赤い眼光に最初は怯えていた村人達も、すぐに慣れた。
ひとは、結構ありえない状況にも慣れるものだ。
「よい、せっ」
私がソリに急遽追加された引き棒を握り込み、力を入れて一歩を踏み出すと、ギシリ、とソリが軋み、ゆっくりと動き出す。
「気を付けて下さいね」
「大丈夫だよ」
「いえ、メープルウォーターの方を」
真顔のリズ。
「……はい」
確かに、私に気を付ける所とかなかった。
しかしリズは笑った。
「冗談ですよ。大丈夫だと思いますけど、気を付けて下さいね」
「はいはーい。イチャイチャは後でなー」
パンパン、と手を叩くエイミ。
慣れるのは無理な気がするとか言ってたのは、なんだったのか。
村まで戻ると、監督役の大人と、成人前の子供達が出迎えてくれる。
「お帰りなさい。どうですか」
「順調みたい。第一陣だよ」
「よかった。――みんな、一人一つずつ、ゆっくりでいい」
一応簡易ロック機構のついたフタもあるけれど、バケツは結構重い。
特に小さな子達は、よたよたとしながら煮詰め小屋まで運んでいく。
はらはらするし、全部やってしまいたくなるけど……これは、この子達に与えられた『仕事』だ。
私が取ってはいけない。
とはいえ、私もバケツを両方の手に一つずつ持って運ぶ手伝いぐらいはする。
隣を歩く子供達の一人――ダークエルフの娘が、私を見上げて、口を開いた。
「……お姉さん、偉い人なんですよね?」
「まあ、一応ね」
厚着で、フードはエルフ耳ごと隠す大型で、端に毛皮がついたもこもこタイプ。
フードで髪型までは分からないが、ダークエルフに多い銀髪に、金の瞳は、リズやブリジットが子供の時はこんな風だったろうか、と思わせる。
日本で言えば、中学生ぐらいだろうか? 身内で言うと、レベッカよりも、少し背が高い。
「偉い人がやる仕事じゃありませんよ」
「いや、普段も意外と地味だよ?」
実際の所、私の仕事は書類仕事が多い。
それはもちろん、戦時中は部下の命を預かり……私の命令は、敵を殺すための物だった。
その決断の重さが、『偉い人』の階級の重みだ。
「それに、どんなお仕事も大事だよ」
「そういう物ですか?」
「そういう物だよ」
職業に貴賎はない――という言葉を、私が信じているかは、微妙な所だ。
少なくとも、優先順位も、それに支払われるべき対価の差も存在している。
ただ、その上で、自分がやれる事を、したい事をして……それぞれが違って、パズルのように組み合わさって、綺麗な絵を描くのが、健全な社会というやつだ。
リストレア魔王軍は――その種族特性による補い合いを、徹底的に戦うために利用する組織だ。
……けれど、この国を守ってきたのは軍人かもしれないが、支えてきたのは、この村の人達のような一人一人だ。
私達は、何を守るべきなのか。
それを、知っている。
バケツを置いた後、軽くジェスチャーで促され、少しかがむと、耳に口を寄せてささやかれた。
「……また後で、お話いいですか?」
そしてちらりと見る方を、私も見る。
犬系獣人の女の子。垂れ耳が少し見えていて、バーゲストに近い黒毛だ。
二人共、集会場にいたのを覚えている。
「いいよ」
何を守るべきなのか。
知っている。
女の子の笑顔とかだ。
丁度十日で、採集が切り上げられた。
一週間から二週間ほどと幅がある中で、それなりに順調に行ったと見る事も出来るだろう。
昼夜逆転の生活だけど、私は特に問題ない。
リズも、夜ではなく朝方から昼間にかけて私と寝て、体調を崩した様子はない。
彼女なら、地球で海外旅行しても、時差ボケとは無縁でいられそうだ。
集められた樹液が巨大な鍋に集められ、魔力炉の起動準備が進められている中、私はダークエルフの女の子と、煮詰め小屋の脇にいた。
遠くから見られているが、軽く妨害も入れているので、声は聞こえないだろう。
彼女は、躊躇いがちに切り出した。
「あの……相談が、あるんですけども」
「獣人の娘との事かな?」
「っ……分かるんですか?」
「なんとなく」
わざわざ最高幹部に相談したいというのは、尋常ではない。
しかし、この歳で、軍の率い方や、部下とのコミュニケーション手段を聞きたいはずもない。
「私は、リーズリットさんの事は知らないんですけど……お二人は、ご夫婦なんですよね」
「うん」
「……仲、いいんですよね」
「夫婦仲は良好だよ」
『就寝時間』……と、言っていいのか分からない、宿のベッドで過ごす時間が、頭をよぎった。
お仕事のためにしっかり寝る必要があるので、控えめだけど。
「女の子同士って、男の子相手とは、何か、違いますか?」
「私、違いは言えないよ。男の人と付き合った事ないからね」
そして、リズ以外の女の子と付き合った事もない。
「……『好き』って、なんですか?」
難しい質問だ。
けれど――答えを出してしまえば、これほど簡単な質問もない。
「……一緒にいたい、って事かな」
彼女は、納得がいかないようだった。
私の答えは……通り一遍にすぎるとも聞こえるのだろう。
「友達とは、違うんですか?」
「それは、君が決める事だね」
彼女は、寒さで紅潮した頬を、さらに赤く染めて声を上げた。
「はぐらかさないでっ――」
「はぐらかしてないよ」
私は、彼女の手を取って、両手で包み込んだ。
「……誰もが納得する答えなんて、ないんだよ。自分の気持ちは、自分にしか分からない。相手がどう思ってるかだって、行動して、言葉にしてみなきゃ分からない。……そういうものなんだ」
好きという気持ちに、唯一絶対の正解があれば。
私達は、きっとこんなに苦しまなくてよかった。
……私達は、きっとこんなに深く繋がる事もなかった。
「私に手を握られて、どう思う?」
ちらりと、獣人の子の方を見る。
ダークエルフの子は、軽く首を横に振った。
「別にどうも……」
分かっちゃいたけど、地味に傷付く。
しかし、それはおくびにも出さず、私は言葉を続けた。
「じゃあ、あの子にされたら?」
彼女は、うつむいた。
頬が赤いのは……やっぱり寒いせいだけではないと思う。
「そんな風に、一つ一つ考えてみて。その上で、どうしたいか。……どうなりたいのか、自分の気持ちを探してみて」
「自分の……気持ち……」
私は手を離した。
遠くから、私を見ているリズに軽く手を振る。
彼女はめざとく気付いて、振り返してくれた。
「……私はね。彼女と、ずっと一緒にいたかった。……誰にも渡したくなかった」
どこか破滅的な独占願望。
暗く、退廃的な『愛し方』も――その『選択肢』は多分、私の中にある。
でも、私がそれを選ぶ事はないだろう。
少なくとも、今の私には必要ないものだ。
「……恋人としての好きと、友達としての好きの違いは、多分そこかな」
寝取られ属性とか、そういう話は情操教育上、しない事にする。
私には、縁遠い物だ。
もしリズが目覚めたら……夫婦会議で。
「……それで、ね。どこかで、自分の気持ちを伝えるべきだと思う。……いい方になるって保証は、出来ないけど」
人の気持ちを操る事は、出来ない。
それこそ魔法でも使わなければ――でもそれは、そんなものは、私が欲しいような『気持ち』ではない。
そんなものでも、欲しいと思う瞬間があったかもしれないけれど。
今の私達には、必要ないものだ。
「ありがとうございます。……自分で、考えます」
「うん。頑張って。後、ね」
ちょいちょいと手招きする。
寄ってきた彼女の長いダークエルフの耳に口を寄せた。
視線は獣人の子に向ける。
「……脈はあると思う」
そうでなければ、私が手を握ったり、耳元に口を近付けたりする時に、不安げな様子を見せる事はないだろう。
仮面に搭載されていたのと同等か、それを上回る遠視能力が、今の私には備わっている。
……"病毒の王"に友人が何かされないか不安なのでなければ、だが。
「――だと、いいんですけど」
彼女は、にこりと笑った。
ダークエルフの子が獣人の子の元へ走って行くのと、入れ違いのようにしてリズが寄ってくる。
「何を話していたのですか?」
「秘密。個人的な相談だから」
「マスター……子供に好かれるんですね。意外でした。コツとかあるんですか?」
「子供扱いしない事かな?」
「なるほど……」
リズが頷く。
そして首を傾げた。
「レベッカは?」
「あれは妹扱い」




