独占欲の強いタイプ
作業は明日の夜から、二週間ほどの長丁場となる。
この辺りは自然を相手にしているから、厳密な予定が立てられないのだ。
元々、特に旅行期間を決めていなかったが、レベッカに鳩便で、簡単な事情の説明と、遅くなりそうなので留守を頼むという旨をしたためた手紙を送る。
それが終わると、リズを見た。
寝間着に厚手のショールを羽織ってベッドに腰掛け、暖炉の熾火を眺めている。
暖炉の前には、黒妖犬が一匹丸まって目を閉じていた。
火に照らされた彼女の横顔に、思わず見入ってしまう。
「……あ、終わりました?」
視線に気が付いたリズが、顔を上げてこちらを見る。
「うん」
「お疲れさまでした」
ぼんやりとした、どこか遠くを見るような視線から、笑顔になって……不意に、胸が締め付けられるようだった。
書き物机から立ち上がり、彼女の隣に座る。
ふと、口から言葉がこぼれ落ちた。
「……リズは、私に対して、敬語だね」
「え?」
「エイミとか、村の人とかには。……その、距離が近く見えて」
「子供の頃からの知り合いですから……。軍に所属している時代の方が長いですし、実はもう、敬語じゃない方が違和感を覚えたりしてました」
「そう」
「でも、話し始めると、言葉がするっと出てきて。接し方とか、空気感って、忘れない物かもしれませんね」
「……そう」
私は、忘れてしまった。
そうでなくとも、それを確かめる術もない。
この世界で、私を昔から知っている人間などいない。
そして、私はリズの子供の頃からの知り合いじゃない。
生まれてさえ、いない。
「抱きしめて、いい?」
「構いませんけど……?」
リズが戸惑いながら、軽く手を広げて迎え入れてくれる。
いつものように抱きしめて……。
「マスター、ちょっと痛いです」
「……ごめん」
思わず力が入りすぎてしまい、力を緩めた。
けれど、解放せず、腕の中に彼女を留め置いたままにした。
「どうしたんですか? いつもと、なんだか違いますけど」
「……リズこそ」
彼女にとっては、久しぶりの里帰りだ。
部下や上司……同僚や、まして恋人に見せる面とは、違うと分かっているのに。
むしろ、そういう違う面を見たいからこそ、旅行に来たはずなのに。
「……あの、マスター。もしかして、その」
リズがそっと肩を押しやり、私は抵抗せずに腕の拘束を解いた。
彼女が、私の目をじっと見る。
「やきもちですか?」
「……そう、かも」
思い返してみれば――私の敵は、具体的な人の姿をしていなかった。
自分の立場であり、人間達であり……リズ自身。
誰かにとられるかもしれないとは、思った事がなかった気がする。
「心、狭いね。……でも、凄く……嫌だった。心がざらついて……怖かった」
本当にとられると思ったわけではない。
私は、リズの事が好きだし……リズも、私の事を好きだと信じている。
でも……彼女の心の一番を……そして、なるべく多くを、占めていたかった。
ほんの少しでも、渡したくなかった。
「そういえば、独占欲強いタイプって言ってましたね」
自分の小ささが情けなくなり、うなだれる。
「……ごめんね」
「……いいえ。私こそ、ごめんなさい」
「え?」
「ちょっと浮かれて、調子に乗ってましたね。……みんなに、この人が私の結婚相手だぞーって、自慢したくて。私も、独占欲強いタイプみたいです」
「……私、自慢出来る結婚相手?」
「もちろんですよ」
「……もしかしたら、私がいなかったら、リズはもっといい人と――」
私は、もうそんな選択肢を選べないけれど。
彼女の幸せを願う一方で……そこに自分がいない事を、許せないけれど。
リズが、頬に口を寄せて、キスを――すると見せかけて、ほっぺに噛み付いた。
がじり、と、歯形がつくかつかないかぐらいの弱さで私のほっぺを噛んで離したリズに、意表を突かれる。
「……私のお嫁さんの欠点は、たまに自己評価が低すぎる所ですね」
「……だって。言ってる事とやってる事がおかしい自覚ぐらいあるよ。調子に乗りやすいし、最近みんな優しいから、やりすぎてるような気もするよ」
リズが真顔になる。
「否定はしませんけど」
「実はちょっと、そんな事ないって言ってほしかった」
リズが真顔のまま、私の目をじっと見つめる。
「マスター。私はですね。独占欲強いタイプです」
「……うん」
「――誰にも、渡しません。私も、マスターも」
リズの言葉には、空気が――魂が震えるほどの強さが込められていた。
「気軽に、この国で初めて女同士で、違う種族と結婚の誓いをしたつもりは、ないんですよ」
そして、抱きしめられる。
優しく……強く、ぎゅっと。
もちろん、痛くないぐらいに。
どきどきする心臓の鼓動がゆっくりと落ち着くまで、リズはそうしていた。
そっと身を離し……空いた空間を詰めるように近付いたリズに、あまりに自然に唇を奪われて、また心拍数が上がる。
唇と唇が離れた後、リズの瞳を見つめた。
「……一つ、お願いがあるんだけど」
「いいですよ。旅先の解放感に任せて、聞いてあげます」
「……私に対して、敬語じゃないリズが見たい」
「……そんなのでいいんですか?」
「うん。……そんなのがいい」
リズが苦笑する。
そして、笑みから苦みを消して、にこりとした。
私の手を取る。
「私は、デイジーの事が大好きだよ」
どきりとした。
デイジー・フィニス。
行政上の管理の都合に加え、"病毒の王"だという事を伏せる必要がある時のために、リズと相談して決めた名前だ。
かつて名乗った思い出もあるし、ディジーズと音が似ている事もあり、そこそこ馴染む。
けれど、私にとって大事なのは、デイジーに続く『・フィニス』の方。
これまで、ほとんど呼ばれた事はない。
リズにさえ、こんな風に呼ばれたのは、初めてだった。
「だから、ね? 私を、信じて。あなたが大好きだって言ってくれる私を」
頬が熱くなる。
エイミとの会話を聞いていたせいか、同い年の幼馴染みに言われたみたいで。
「や、やっぱ敬語で」
「ええー?」
リズが悪戯っぽく笑うと、私を抱き寄せながら耳に唇を寄せて、脳に声の劇薬を流し込んだ。
「大好きだよ、デイジー」
……この名前を、好きになれそうだった。
リズが、呼んでくれる名前だから。
「――後、声は出さない方向でお願いしますね」
「え?」
敬語に戻したリズの言葉に、目をしばたたかせる。
理解の追いつかない私に、リズが言葉を続けた。
「……新婚旅行ですし?」
「待ってリズ。さすがに旅先でそんな。お仕事も控えてるし」
迫られてあたふたとする私を、リズがそっと押し倒して、獲物を見つけた猫のように、にーっと口角を上げる。
「……聞かない」
敬語でないリズは、破壊力が高すぎて。
私は、こくんと頷くしか、出来なかった。
――翌朝、リズにあらかじめ防音の術式は使っておいたと言われた。
私が必死に声を押し殺したのは、なんだったのか。




