力の対価
「――さて、お集まり頂き、感謝する」
私は、防寒具を脱ぎ、いつものローブ二枚重ねに肩布を足した"病毒の王"の正装で、村人達の前に立っていた。
酒場のテーブルをよけて作られた空間に人が集まり、カウンターの中や、廊下の外、二階に続く階段の中程まで、人がみっちり詰まっている。
村人全員ではないが、主要人物は集まっているはずだ。
「……デイジーさん。エイミと、リーズリットの頼みだから集まったが、何事だね?」
私に質問したのは、『カルロおじさん』と呼ばれていたと思うが、外見年齢からして古参のダークエルフだ。
手に持った仮面を顔の横にかざす。
「改めて、自己紹介から始めよう。私は、"病毒の王"」
ざわ……と空気が揺らいだ。
「"第六軍"序列第一位、魔王軍最高幹部。リズの説明に嘘はない。――私は彼女の『職場の上司』であり、結婚相手だ。……しかし、所属や階級など伏せている事はあった。この度、この村に来たのは――」
集まっている人達の喉がごくり、と鳴らされる。
「特に軍務と関係のない、プライベートな旅行だったりする。具体的に言えば、メープルシロップを譲ってほしくて来た」
「……うん?」
ぱちくりと目をしばたたかせる村人達。
視界の端のリズが目をそらし、エイミが口元に乾いた笑いを浮かべた。
カルロおじさんが、リズを見た。
「……リーズリットの嬢ちゃん?」
「真実です。私は彼女の護衛として"第六軍"に配属され……あの戦争を戦いました。後にプロポーズを受け……結婚し、今に至ります。今回は、同僚より、里帰りを兼ねた新婚旅行を提案されましたので」
「あ、ああ……」
特に打ち合わせもしていないが、なめらかにすらすらと述べるリズの言葉遣いは敬語で――私にとっての、いつものリズだ。
一人の知らない青年ダークエルフが、声を上げる。
「……証拠は? あんたが、本物の最高幹部だという証拠は、どこにあるんだ?」
「――証拠?」
私は鼻で笑った。
「強いて言えば、名乗った事が証拠だ。最高幹部を詐称すれば、死罪もあり得る。そんなものを名乗る理由があれば、教えてほしいものだ」
「あ……ああ」
彼が、気圧されたように頷いたのだけを確認して、私は畳みかけた。
「後は、話を聞いてから提案を受けるかどうかを判断してもらいたい。――私の提案はシンプルだ。対価と引き替えに、メープルシロップ製造を手伝おう。樹液の採取から、煮詰めての濃縮まで」
別の所から声が上がる。
「……あん……あなたは無事だったみたいだが、黒妖犬がうろついてる。広範囲を、戦う力を持ってない人間が、夜間に移動するのは無理なんだ。強くても、手が足りないだろう?」
「まず、黒妖犬は問題ない。"病毒の王"の名に懸けて誓おう。……『噂話』ぐらい聞いた事があるのではないか? "病毒の王"は、黒妖犬をはべらせている……というな」
「……ああ。でも、まさか」
「おいで」
片手で、深緑のローブの裾をつまみ、陰から一匹のバーゲストを振り落とす。
するりと黒い犬の形を取り、巻きつくように私を一周し、首をそらせて頭を私のお腹あたりにこすりつけた。
「黒妖犬……!」
ちょっと、夫婦だか恋人だかの二人組の間で、相方さんをかばおうと前に出たか、相方さんの後ろに隠れて盾にしたかで揉めているのが見えたが――気にしない事にする。
私は悪くない。
多分、私とリズが、バーゲスト――クラスの魔獣――と不意に遭遇したのなら、並んで戦闘態勢に入るとは思う。
私とリズ、それにエイミが動じていない事で、混乱はそうひどい物にはならず、こわごわと遠巻きにしている。
そこで、リズが口を開き、安心させにかかった。
「詳細は機密です。……が、目の前のこれが現実です。十四匹の群れは、"病毒の王"様の群れとなりました。それ以上の数がおります。……敵に回したら恐ろしい存在ですが、味方となればどうなるかは、お分かり頂けるかと」
「でも、煮詰めるために魔力炉を動かす人手も――」
「そっちもやってくれるとさ。一人でまかなってみせるそうだ。さすが魔王軍最高幹部――ってとこかね」
エイミがみなまで言わせず、さっくりと説明してくれる。
「採取と、煮詰めの作業自体はいつも通りあなた方にやってもらう事になる。あくまで、護衛と炉の火力維持に足りない人手を補わせて頂くだけだ」
杖が、コン、と鳴らされた。
「……あんたに、何の得があるのだね?」
ショールを羽織り、白髪をひっつめてお団子にしているダークエルフの老婆が、杖を突きながら、しかし、かくしゃくとした足取りで歩み出た。
「ハウエル村長で?」
「名前は聞いてるのかい。そうだよ。私はティフェー村を預かってる、ハウエル・ティフェーだ。あんたの言葉は……魅力的だよ。けど、甘い話に裏があるのは、世の常さ」
皺よりも深く刻み込まれた経験値に裏打ちされた、猛禽のような視線で私を睨み据える。
「私が提示出来る信用材料は、私がリーズリット・フィニスの結婚相手であるというだけだ。――それに、確かに甘い話かもしれないが、タダと言った覚えはない。対価と引き替えに、と言った」
「……その、対価とやらを聞こうか」
「昨年の収穫である、メープルシロップが欲しい。少量だが、保管されていると」
彼女は、ため息をついた。
「……馬鹿にしなさんな。あんたは『力』を持ってる。力には対価を――常識だよ」
「私は魔王軍最高幹部だ。この国の盾であり、守り手。得た『力』を、より良い国になるよう使う義務もある。……こんな名前で呼ばれはしたが、義理も人情もある。幸い、軍規違反という事もない」
私は言葉を切って、じっとハウエル村長の金色の瞳を見つめた。
「あくまでプライベートで、結婚相手の故郷と、その友人の苦境を見過ごすのは心が痛い……そういう理屈では、納得出来ないだろうか?」
「……納得出来なくはないね。本当に、それだけなのかい?」
「それだけだ」
「断ったら?」
「何もしない。……後任の領主に一言頼むぐらいはさせてもらうが、それだけだ。親切の押し売りをするつもりはない」
この村には、この村の生活がある。
手助けをしたいと思う。
けれど、差し伸べた手を取るかどうかは、彼女達が決める事だ。
ハウエル村長は、じっと私を見て、次にリズを見た。
「……あんた、リーズリットを愛してるのかね?」
思わぬ情緒的な問いに、虚を突かれた。
しかし、答えは決まっている。
私は返事の代わりに、リズを手招きした。
「はい?」
リズが招かれるままに私の元へ歩み寄る。
手を取ると、首を傾げながらも、握り返してくれた。
私は、その手を引き寄せるように、あるいは身を寄せるように密着して、そっと頬に口付けて、彼女の耳元にささやいた。
「……愛してるよ、リズ」
リズの頬が赤く染まる。
じーっと抗議の視線を向けていたが、ため息をついて、苦笑した。
そして笑顔に変える。
「……私もですよ、マスター」
周りは――ちょっと目をそらすか、逆に、食い入るように見ているかのどちらかだった。
見世物ではないけど、リズが注目されているのは気分がいい。
今も繋いだ手と、耳の奥に残る声が、私の胸を満たしていた。
カップルがお互いを見たり、見とれた相方の袖を引っ張ったり、靴を踏んだりして注意を引いたり。
雰囲気からまだ若いダークエルフと犬系の獣人の女の子同士が、ちらっと視線を合わせ、少し頬を染めて、目を離した。
……幼馴染み同士かな。
そこでエイミを見ると、彼女は苦笑して、ぱち、ぱち……と手を叩く。
「リズは、いい相手見つけたと思うぜ。……あたしは、賛成だ。人手が足りない事には違いないし、作業自体は大変だけど、安全が保証されてるなら、やる価値はあると思う」
口々にささやきあい……そして、ぱち、ぱち……ぱちぱち……と、拍手が大きくなっていく。
私は、繋いだ手にちょっと力を込め、ちらりとリズを見た。
リズは、その視線を受け止めて、にこっと笑ってくれる。
波が引くように拍手が小さくなっていき、静かになったところで、全ての視線がハウエル村長に注がれた。
村長は、コン、と杖を鳴らす。
「……最近の若いのは、大胆だね」
そして、にっと笑った。
「――提案を受け入れよう。明日の夜から、作業に掛かる。みんな、改めてローテーションを相談しときな。しっかり寝とくんだよ」
気っ風の良さが気持ちいい。
「"病毒の王"さん。長丁場だが、しっかり頼むね」
頷いて、一歩近づき、握手のために手を差し出すと――村長は首を横に振った。
「手は、リーズリットと繋いどきな」
リズが目を見開き……私を見た。
そして、私が一歩分空いた距離を詰めて、もう一度リズの手を取ると、彼女は目を細めて口元に笑みを浮かべてくれた。
多分、私も同じ顔をしているだろう。
また、拍手が湧き起こった。




