不死生物の天敵
私は、村から少し離れたところで、着込んだコートの下のいつもの深緑のローブの裾をつまみ、ローブの陰からバーゲストを振り落とした。
指示しない限り数はバーゲスト達の気分次第だが、今日は三匹。
首筋から頭にかけて軽く撫でて、引き連れるようにして、雪深い森の中を散歩と洒落込む。
いつもと違う景色の中を、いつものようにバーゲスト達と歩いていると、心が落ち着いてきた。
どうしてあんなに嫌な気分になったのか、分からないぐらいだ。
一匹のバーゲストが、私のふとももあたりに身体を強く押しつけてくる。
「……なあに? そんな元気なさそうに見えた?」
笑いながら、頭をガシガシと撫で、雪に膝を突いてしゃがみこんで抱きしめた。
「これ以上遠くに行くのもなんだし……遊ぼっか」
するりと寄ってくる子達を、両脇の下に一匹ずつ抱え込んで、顎裏を軽く掻いてやる。
ごろん、と残る一匹が転がってお腹を見せ、私を上目遣いで見やった。
焦げ茶の瞳が、じっと私を――期待を込めて――見つめる。
この誘惑に抗える者がいるだろうか。
「順番ね」
未だに『個体差』があるのかないのか、私にもよく分からない。
しかし、実にバリエーション豊かにスキンシップを催促してくる。
一通り揉み倒した後、毛に付いた雪を払う。
ゆっくりと、毛の流れを整えるように撫でながら、そっと頬を寄せた。
「……ありがとね」
そこで、バーゲスト達の全身が緊張した。
命令していないのに、さらに七匹がローブの陰より滑り落ちて、伸び上がるように黒い犬の形を取った。
毛先が白く淡く輝いて、ゆらり、と揺れる。
瞳に、真紅の光が灯り、歯を剥き出しにして、低く唸る。
私も立ち上がると、バーゲスト達が私を一糸乱れぬ動きで取り囲んだ。
私達は、完全に囲まれている。
護符の動作をチェックし、全身を戦闘に適応させつつ、いつでも残りの黒妖犬達を出せるようにしながら、私は笑った。
「……なんともまあ、熱烈なお誘いだ事で」
「……リズ! はやっ……すぎ……」
「エイミでも、置いてくよ」
「二人じゃ、無理だ……!」
「私一人でいい」
リズは、常日頃過ごし、雪を歩くのに慣れている土地の者よりも軽やかな動きで、雪に足を取られる事なく移動していた。
弓を背負ったエイミが怒鳴る。
「一人で何が出来るって!?」
「――私は、こう見えても元近衛師団だよ」
「……は?」
「一人でなんとかしなきゃいけない場面なんて、いくらでもあった。自分より多い数の敵も、自分より強い相手も、全部、殺してきた」
「お前……軍で、何して……」
「……話したら、心配するでしょ」
「当たり前だろ! 友達なんだから!」
「……ありがと。でも、私もそう。……あの人は、私にとって、そういう大切な人なの」
「ああ、もうっ……」
少し息を切らしながらも、追いついて見せる。
酔いはもう、覚めていた。
「突っ込むなよ」
「それ以外の方法があればね」
「……まっすぐ行こうとするの、変わらねえな」
エイミの焦げ茶の瞳を、リズの金の瞳がまっすぐに見つめた。
「最短距離以外のルートが、必要?」
「……必要だと思う」
「ま、それはさておき」
リズはさらりと流し、足跡を追う作業に戻る。
女一人分の足跡の周りに、突然他の足跡が混ざった。
「犬の足跡……! やつらだ!」
「いや、これは違……ん? エイミ。聞いてなかったけど、『不死生物の天敵の魔獣』って何?」
「……あ? 言ってなかったか?」
「言ってない」
「聞かずに来たのか?」
「聞いても、これ以上の装備は出来ないし」
「勝てない場合は?」
「あの人と一緒に死ぬ」
何の躊躇いもなく断言したリズを見て、エイミがため息をついた。
「……お前の愛は、重いと思う」
「否定はしないけど、あの人の方が重いから大丈夫」
「……ええ? それは色々やばいんじゃ」
「そう? ……普通だよ。意外と」
「そんなもんか?」
リズが頷く。
「うん、一周回ってね」
「……普通一周回らないと思うんだ」
「そう? たまに嫉妬に狂って刃傷沙汰とか聞くじゃない」
「それはそうかもだが」
「それで……このあたりに出没する魔獣の種類は、なんだって?」
「……気、抜いてないか?」
「予想が外れたら入れ直す」
エイミは、真剣な表情を崩さず、重々しくその名を告げた。
「黒妖犬だ」
「うん、知ってた。――念のために聞くけど、今日初めてじゃないんだよね?」
「ああ。一月前ぐらいから、うろついてるんだ。正確な数は不明だが、十二匹は確実に……だから、なんであからさまに気ぃ抜いてるんだよ!」
肩の力を抜き、どこか呆れた様子でため息をつくリズの真剣味のない姿に、エイミが叫ぶ。
「エイミは、知らない? "イトリア平原の戦い"で、"第六軍"指揮下で投入された黒妖犬の事を」
「……ちらっと見た。あれは……やべえ。あいつらは決戦後、行方知れずだって……きっと生き残りだ」
リズが、笑い飛ばした。
「それはない」
「なんで断言出来るんだよ」
「……その子達の『行方』を、知ってるもの」
「は?」
「エイミには、言った事なかったね。私の軍籍」
「……おう。さっき、近衛師団だって」
「元、ね」
彼女は、友人に見せた事のない、薄い笑みを浮かべた。
「私は"第六軍"、序列第二位、"薄暗がりの刃"リーズリット・フィニス」
「……"第六……軍"? 序列第二位? ――"薄暗がりの刃"?」
エイミが、呆けたように呟く。
リズが、頷いた。
「じゃあ、あいつは……」
もう一度、リズが頷く。
「あの人は"第六軍"、序列第一位、"病毒の王"。魔王軍最高幹部だよ」
「……部下のメイドと結婚したって」
「うん、私だね」
「何がどうなったら近衛師団指折りの暗殺者がメイドに」
リズが口元に手を当てて少し考える様子を見せる。
「……色々あって?」
ややあって出てきた言葉を聞いたエイミが、ため息をつく。
「便利な言葉だよな……」
二人並んで、足跡を辿るのに戻る。
「……で、今のマジ?」
「幼馴染みを信じなさい」




