メープルシロップを求めて
「寒い! ような……寒くない……ような……」
私とリズは、一頭の馬に二人乗りしていた。
深い雪の中を『馬体の軽さ』に助けられながら、深い雪の中をゆっくりと進んでいく。
あたりは一面の銀世界。
ただし、視界は黒々とした森にさえぎられて、『一面』が少々狭い。
馬は、骸骨馬。
生前は重装騎兵用の馬だったとの事で、道理で骨格がしっかりしている。
人形のようなものかと思っていたら、歴とした不死生物で、馴染んでみれば人なつっこく、気のいいやつだ。
二人乗りの後ろの方であるリズが、私のお腹に回している手に込めた力を強め、より密着した。
いつものローブの上から着ている、分厚い毛皮の防寒具越しに、もふり、とリズを感じる。
私が少し服装を変えているように、彼女もメイド服ではなく、狩人風の服に防寒具を足した、動きやすい恰好だ。
「マスター。もうちょっと発熱して下さい。私は寒いです」
「うー、魔力がガリガリ減る……」
私は現在、リズの湯たんぽ代わりだ。
馬に身体強化魔法を外掛けした上で魔力供給ラインを通し、さらにリズのために自分の体温を強制的に上げている。
人間としての感覚を純粋に適用こそしていないが、気温や風の強さが分からないのは危険なので、一応普通の感覚器官も使用している。
その上で、ある程度それを無視し、無茶をしているので、寒いのだか暑いのだか、段々分からなくなってくる。
……あまりこの身体に甘えれば、私は人間としての感覚を失うだろう。
その後、不死生物としての感覚に馴染みきれるかは、分からない。
なまじ『高性能』な分、精神が壊れたらあっさり逝ってしまう可能性もある。
でも、私にはリズがいる。
今、私の背中に身を寄せている彼女がいれば、私は『私』という存在を、無条件に肯定出来る。
リズが、少し心配そうに聞いた。
「……ちなみに魔力残量は?」
「この程度なら、雪が溶けるまででも問題ない」
「頭おかしいですね」
「暦の上では春だとしても、まだ雪の深い日程で旅行を計画したレベッカにこそ言いたいな」
「受けたのはマスターでしょうに」
「リズも頷いたよね」
「それは、まあ。マスターがいますから」
そして、フード越しにすり……と頬を寄せるリズ。
あったかくなった気がする。
先導させていたバーゲストが戻ってきた。
「もう少しだよ」
「……ティフェー村……『第四特定作物栽培村』」
ぽつりと呟くリズ。
「……リズの生まれたフィニス村は、当時の『第三特定作物栽培村』だったんだよね?」
「ええ。後に別の村が第三のナンバリングを。フィニス村の者もそちらにかなり行ったはずですが、何分私が軍に入った後の事を風の噂に聞いただけですので、よく知りません」
「どんな生活……だったの?」
「普通ですね。街より辛い所もありますが、手に職はありますし。特定作物……この場合はサトウカエデですが、それを栽培する村は、補助金が出る分楽な所もあるぐらいですよ」
淡々と語るリズ。
「冬以外は街へ行く事もありました。遠出になりますから、持ち回りで。一応建前は大人達の荷物持ち、という事で子供達も連れて行ってもらうんです」
私は、この国の日常を、よく知らない。
知識としては、ある。収入の平均に、暮らしぶりや、食べているもの。
ただ、私はこの国で育っていないから。
「貰った小遣いで友達とちょっとした買い食いをしたり、それを何回か分貯めてお目当ての物を買ったり、楽しみ方はそれぞれでしたけど、みんな楽しみにしているのだけは変わらなくて。私も、自分達の番が来るのが待ち遠しかった……」
「……そっか」
だから、リズが子供時代を懐かしく幸せな物として語る事が嬉しくて、私は頬を緩めた。
私の命令はきっと、同じような子供達も殺したけど。
『こっち側』は、守る事が出来たのだ。
「リベリット村も、似たようなものですよ。あそこは『第一特定動物飼育村』ですから」
「……なるほど」
そういえば、リベリット村はリベリットシープの飼育で有名な村で、それもまた、人間達との密貿易に使われた『実弾』だ。
一応メインとしてはリベリット槍騎兵の騎獣ではあるが、肉も毛皮も高級品。
他の村にも特定の名が付く『特産品』が色々あるのだろう。
「あ。そういえば、温泉あるかな?」
「私の記憶ではなかったですね。個人の家にも大抵お風呂はありましたけど、熱効率のために狭いですから、公衆浴場を使う人も多かったです。私も、主にそちらで」
「そっかー」
少し残念だ。
「でも、今はどうなっているのか。私がいたのは、少しの間だけ、ですしね」
「そうなの?」
「十三から二十になるまでの七年ほど……です。その頃には両親もいませんでしたし、居候の身が心苦しくて……」
今日は、リズの過去が沢山明らかになっていく。
旅先だから、だろうか。
私の過去が『壊れて』いる事を気遣ってか、あくまで上官と部下だったからか、リズはあまり自分の話をしようとしなかった。
「居候?」
「成人まで、同じくフィニス村から移住した、同い年の娘がいる家にお世話になっていました。どうしていますかね。もう、長いこと会っていません。手紙を貰う事はありましたけど」
ダークエルフは二十で、獣人は十五で成人と扱われる。
軍の採用年齢も同様だが、しばらくは戦闘を含む任務に駆り出される事は、まずない。
長命種とて、経験の足らない若い頃はその強さを発揮しきれないのだ。
……リズは、かなり若い頃から暗殺者として活動していたようだけど。
確かに、厳密な規定はなく、上官の裁量次第……ではある。
そんな無茶な経歴があってこそ、彼女は"薄暗がりの刃"と呼ばれ、"第六軍"の序列第二位の地位を得た。
それは分かっているが……ほんの少し間違えば、彼女は若いうちに使い潰されて、死んでいた。
だからこそ、今この瞬間に彼女が私と共にいてくれるのが奇跡のように感じる。
「そういう付き合いも、あったんだね」
「もう三十年は会っておりませんけど」
「え、さんじゅうねん?」
長命種感覚でも、長い方では。
「仕事が忙しかったもので……手紙も、あまり書ける事がなくて」
ああ、そういえば。
――この子は、こちらから言わなければ、休暇も言い出さないような仕事人間だった。
「……こんな機会でもなければ、来る事もなかったでしょう」
「楽しい旅行にしようね」
「ええ」
今回は、プライベートだ。
お仕事に繋がる可能性はあるけれど、それはそれ、これはこれ。
魔王陛下と"第六軍"の者以外は、行き先さえ知らない。――いいや、休暇を取って旅行に出た事さえ。
これでも私は魔王軍最高幹部で、その動向は戦略上、機密扱いだ。
……大分平和になっているし、特に問題はないと思うのだけど。
まあ、一応。
それに、これは。
「……新婚旅行、ですからね」
レベッカが「いい機会だから新婚旅行も兼ねて行ってこい」と送り出してくれたのだ。
実は獣人の習慣だという新婚旅行。
正確に言えば婚前旅行となり、将来を添い遂げるパートナー候補と旅を通じて、絆を確かめ合うのだとか。
その後、ダークエルフの間にもそこそこ浸透しているらしい。
なお、獣人達の場合は大抵武者修行の旅になるとか。
私達の場合は……どうなるだろう。
「見えてきたよ」
骸骨馬の膝下まで埋もれるような柔らかい雪を、かき分け、踏み固めるようにして進む先で、視界が開けた。
分厚い石造りの外壁に、木で葺かれた屋根。扉も窓も小さく、煙突には雪よけの屋根。
リストレアの厳寒地帯の村そのものという風景だ。
「不思議ですね。久しぶりに来るのが、マスターとの新婚旅行だなんて」
「……甘くする?」
「あ、普通でいいです」
そして、改めて背中に身を寄せたリズが、くすくすと笑う。
「……いつも通りで」
……多分、私達のいつも通りは、大分甘めだ。




