黒犬さんとウサギさん
脱衣所で髪を乾かしながら風呂上がりの火照った体を少し冷まし、例のパジャマを着て姿見を見ると……それはまあファンシーだった。
ぽわぽわした生地は、色からして淡く華やかなピンクだ。
よく着る紺の軍服や、深紅の甲冑とは、色のトーンが違う。
さらにフードをかぶると、長く大きなウサギのたれ耳が存在感を主張する。
背中に視線を向けると、ぽわぽわした短く丸いウサギの尻尾。
成人前の女の子が着ていれば、文句なく可愛い。
同じくパジャマを着た"病毒の王"が、ぎゅっと拳を握りしめる。
「勝った!」
「何にですか」
リズが素早く突っ込みを入れる。
この呼吸はさすが夫婦と言うべきか、さすが最高幹部と副官と言うべきか。
「何にだろう……?」
「聞き返さないで下さいよ」
「何かに勝った気がした」
彼女は一体、何と戦っているのか。
どうも、最高幹部としてではない何かと戦っているような気がする。
"病毒の王"の私室。
ごく限られた者だけが入室を許される、トップシークレット――なのだが、特に変わった所はない。
むしろ私物がほとんどない部屋は……昔に彼女がいたガナルカン砦の部屋と、機能的な無機質さという点では、そう変わらなかった。
不安を覚えて、部屋に何か足りないものがないかと問うた事がある。
彼女は澄んだ瞳で「天蓋ベッド以外の物が寝室に必要?」と言い切った。
基準がおかしい。
実際は執務机やクローゼットもあるし、杖に肩布に仮面――プライベートでは外している"病毒の王"の衣装などもあるし、机には数冊の本が置かれたりもしている。
新婚だし、そんなものかもしれない。
……後、リズも王城の部屋が恐ろしく殺風景だったのを思い出す。
リタルサイド城塞の私室を、寝るだけの部屋と思っている私が言えた義理ではないのだけど。
天蓋ベッドの上に、三人で上がる。
バーゲストをモチーフにしたのだろう、黒い犬耳にふさふさの犬尻尾。
彼女の歳で言えば、ほとんどが新兵だ。
……幼いとさえ言える。
私が彼女の歳の頃には、まだ"第二軍"の一兵士だったし……リズは……。
「……姉様?」
明るい灰色のアニマルパジャマのモチーフは猫。
猫耳と尻尾を付けたそのファンシーさは、妹に似合っている。
しかし、リズは"病毒の王"と同じぐらいの歳には、『戦功により』近衛師団に抜擢された。
私は、その時、ようやく暗黒騎士に叙勲された頃だった。
当時、『話せる範囲で』話してくれた、暗黒騎士団の元上官の件が――私に本格的に『上』を目指す事を決意させたと言っても、過言ではない。
後の"第六次リタルサイド防衛戦"に至るまでにはいっぱしの騎士となり……そこで"血騎士"の称号と副団長の地位を得た。
さらに当時の騎士団長が亡くなり、順送りで私は騎士団長となった。
けれど……それから五十年を掛けても、古参であるウェンフィールドの家や、結婚式の折に炙り出されたような不穏分子を従えるには至らなかったのが、ブリングジット・フィニスという騎士団長だ。
力が欲しかった。
それを振るえる、立場が欲しかった。
そうすれば、私は、私の守りたい物を全部守れると思った。
それでも、"第七次リタルサイド防衛戦"は戦略的な時間稼ぎこそ果たした物の、あの街を廃墟へと変え、私も負傷してしばらく戦えないという体たらく。
――彼女なら、どうにかしてくれるのではないかと、思った。思ってしまった。
私達の信頼が、彼女を一度殺した。
「……ブリジット? どうしたの、難しい顔して」
「ん……ちょっと、な」
「……もう」
彼女は一つ息をつくと――私の腹に顔を埋めて、押し倒すようにベッドに倒れ込んだ。
「え? ……え?」
そして背に手を回し、抱きしめて、腹に頬ずりしてくる。
丁度いい場所を見つけたのか、動きが止まった。
そして、肩から力が抜かれ、目が閉じられて……安らいだ表情になる。
「……り、リズ」
助けを求めると、リズは笑った。
「姉様の悩みを私達が分かってるのかは、分かりませんけどね。……何か問題があるなら、私達は姉様のためにその力を使います。そうでないなら……多分、気にしなくていいんですよ」
「……そうか」
視線を、"病毒の王"に戻す。
そっと手を伸ばし、黒い犬耳付きフードごと彼女の頭を撫でると、口元の笑みが深くなった。
私は――守れたのだろうか。
……そうだったら、いい。
そのまま寝る事になった――のだが。
「……ところで、私が真ん中なのおかしくないか?」
何も言わないうちに、私は真ん中にされていた。
「え? 何かおかしい?」
「いや、あの……え、おかしくないのか?」
あまりに自然に首を傾げて聞かれるものだから、自分の方が間違っている気がしてくる。
「私はブリジットの義理の妹で、リズは実の妹だよね」
「そうなるな」
頷いた。
「私達は大体隣で寝てるけど、ブリジットはいつもそう出来るわけじゃないよね? つまり、平等を期するためには、ブリジットお義姉ちゃんの配置は真ん中しかないよね?」
「そう……なるのか?」
「まあ。……子供の頃思い出しますし、たまにはいいんじゃないですか」
そういえば、今までは客間で寝ていた。
……もしかしたら、少しずつ距離を詰めようとしてくれているのかもしれない。
「ちっちゃいブリジットとリズ? それは見たかったなあ……!」
心の底から、それこそ魂を絞り出すような叫び。
もしかしたら、既に距離とかないのかもしれない。
「いや、私が物心付いた時には、姉様は今とほとんど変わりませんでしたから」
「え、そうなの?」
「兄弟姉妹の歳が大きく離れているのは、リストレアでは普通だ。獣人は双子や三つ子が多いから、そうでもないが」
と言っても、私とリズは近い方だけど。
それでも、一緒に寝たような思い出は、休暇を使った帰省時しかない。
「そっかー……」
そっと、私の腕に彼女の腕が絡められ、身体も寄せられる。
「……私、この国に来て、よかったって思えるよ」
――こんな国に、こんな世界に、こんな時代に。
理不尽極まりないやり方と、理由で、連れてこられて。
そんな境遇を呪うのではなく、よかったなどと。
そんな言葉が、聞ける日が来るとは。
リズもまた、私の腕に腕を絡めて、身体を寄せる。
「そうじゃなきゃ姉妹サンドとか出来なかったものね……」
「「……姉妹サンド?」」
私とリズが、思わず呟いた言葉が重なる。
また何か妙な言葉が聞こえた。
なんとなく意味は分かるけども。
そんな言葉が、聞ける日が来るとは。
私は、何故か無性におかしくなって笑ってしまい、二人もつられたように笑い出して、しばらく止まらなかった。
夜のせい、という事にしておこう。




