猫耳に猫耳を掛け算していくスタイル
「ただいまー。あー……疲れたー……」
リーフの翼が立てる羽音が聞こえたので、私はリズと一緒にアイティースを玄関で出迎える。
館に入ると、彼女は着けたままだったゴーグルを外し、続いて首元の白スカーフを緩めた。
「おかえり、アイティース。ご飯は?」
「食べてきた」
「そう。丁度お風呂入るところだったけど、一緒に入る?」
「ん」
リズが呆れたように目を細める。
「……新婚夫婦みたいな会話ですねえ」
「はは、それはねーわ」
真顔でばっさり行くアイティース。
「こいつ、リズの事好きすぎるし」
「……いや、まあ」
思わぬ方向からの言葉に、リズが頬を赤らめた。
「リズも一緒に入る?」
「……そうですね。一緒に入りましょうか」
脱衣所で、既に限界らしい様子を見せるアイティース。
飛行服の真鍮ボタンを、すかっ、すかっ……と、二度三度と外し損ねているあたり、眠気がピークだ。
「……もうそのまま寝る?」
見かねた私が、入浴イベントを見送ろうとするほど、眠そうだった。
「いや……風呂でさっぱりしてえ……"浄化"はなんか違う……」
「そこは気が合うねえ。あれは便利だけど、やっぱお風呂入らないと綺麗になった気がしない」
「……マスターは、綺麗にするだけなら、もう"浄化"すら要りませんよね?」
「言い直す。お風呂入らないと、生きてるって気がしない」
不死生物は、生死の概念が曖昧な種族だ。
しかし『不死』『生物』と呼ばれるように、一応リソースを消費しての存在維持を行う必要があるという意味では……少し変わった生物の一種と言える。
そして、不死生物の死は哲学的な物だ。
日本的に言うなら『成仏』が近い。
魔力の枯渇、限界を超えた物理的・魔法的なダメージ。そういった死因でない……『自然死』が、あり得るのだ。
「無趣味な奴から逝ってしまう」とはハーケン談。
私はそういう意味では、かなり安泰。
ただ……リズは普通のダークエルフだ。
私は、彼女を置いていく側だと思っていて……彼女が恐れていた事を、頭でしか分かっていなかったのかもしれないと、思う。
それはまだ、先の話だ。
ほんの少し前まで、お互いに想定される最大の死因は、戦死だった。
短い時間だとしても、私は、彼女といたかった。
……リズも、そう思ってくれた。
いつか来るその日の事は、怖いけれど。
それまでの時間は――きっと、覚悟していたよりも遙かに長いはずだ。
「うあ……」
まだボタンと格闘していたアイティースが、ぐらりとバランスを崩し、二人して手を伸ばして支えた。
……先の話だ。
とりあえず、今は。
「リズ、支えてて。……アイティース。ボタン外すよ?」
「んー……」
二つだけなんとか外していたボタンの残りを外す。
リズが後ろから手伝って、両腕を飛行服から抜いた。
「ほら、足抜いて」
「おー……」
「マスター、湯船にウーズ入れといてくれます? 脱がせておきますから」
「分かった」
"粘体生物生成"で生成された黄緑色のウーズで一杯になった、大理石の湯船。
死なない程度の熱を加え、緩めている。
改めて見ると、一応『生物』なのでゆっくりうごめいているし、そんなに深くないのに、透明度低いから底知れぬ物を感じさせるし、安らぎとは遠い光景だ。
しかし、今ではちょっと変わった入浴剤と割り切れる。
その心の強さが、この世界でお風呂を楽しむためには必要だ。
リズが、アイティースに肩を貸して支えながら入ってくる。
眼福。
「ほら、アイティース。しっかりして下さい。お風呂ですよ」
「あー、悪いなー」
ぽやぽやしたアイティース。
その彼女も、さすがに熱いお湯に浸かれば、少しは目が覚めたようだった。
ぶるっ……と身体を震わせて、「はー……」と息をつきながら、ゆっくりと足を伸ばし、肩の力を抜く。
そして肩まで浸かると、口元を一段と緩めた。
見ている方が幸せになるほど入浴を満喫するアイティースを見ながら、私とリズも湯船に滑り込む。
「こーいうの、ゴクラクっていうんだっけか」
「よく覚えてるね」
初めてアイティースとお風呂に入った時は、彼女はそれほど入浴に積極的ではなかった。
獣人達の中には、ウーズによる入浴を嫌う人もいるらしい。
臭いがなくなりすぎる、とかで。
時に数週間にも及ぶ長期の狩猟を行う事もある獣人達にとって、『毎日の入浴』というのは近代化の産物だ。
そこを否定する気はない。種族特性というやつは、文字通りそれぞれなのだ。
自分の臭いを徹底的に消した方が『狩り』の成功率が上がる、いや、獲物を追い、捉え、仕留めるまでの一連が狩猟であり訓練であるから、隠密技術は不要……などなど、この辺りは、本当に人によるらしい。
それでも獣人にとっては、一族を守る狩人にして戦士こそが、最も尊敬される職業である事に違いはない。
……エイティース……アイティースの双子の弟のように、暗殺者としての道を選ぶのは、珍しい。
獣人の男の子だから、直立した獣の姿だったのだろう。彼女に似ていれば、赤茶毛の猫系で、瞳は緑で――
こっくりこっくりと船を漕ぐアイティースを眺めながら、知り合う前に逝ってしまったかつての部下に思いを馳せていると――その姉の方が、逝ってしまいそうになった。
ぐらりとバランスを崩して、頭から、ウーズに突っ込んだのだ。
「あっぶないなー!?」
慌てて引き上げると、目をしばたたかせるアイティース。
とろりとウーズが前髪と頬を伝う。
「……あれ、今何があった?」
……確かに疲れ切っている時のお風呂は、疲れが取れると同時に、とんでもなく眠くなるけど。
「疲れてる時、一人でお風呂入るの禁止ね」
「……ん」
そう言う間にも、ぐらぐらと頭を揺らすアイティース。
「もう……」
しばらく隣で見張りつつ、身体が芯まで温まったぐらいを見計らって声をかけ、既に半分寝ている彼女を洗い場に座らせる。
身体を洗い、髪を洗い、ついでに役得とばかりに猫耳を揉み込む。
「流すよー。目ぇ閉じてー」
「んー」
浴場を出た後も、大きめのバスタオルで身体を拭き、サマルカンド直伝の"乾燥"魔法で髪を乾かす。
ぼーっと背もたれのない籐椅子に座ったまま、されるがままのアイティース。
尻尾がゆらゆらと、ゆっくりと大きい動作で揺らされている。
下着はとりあえず下だけを履かせた。
「……マスター、割と面倒見いいですよね」
「下心もある」
「……下心?」
リズが、私のこういった言葉を、そのまま受け取る事はない。
しかし、怪訝そうに眉を寄せた。
「この隙にこういうのを着せようと」
脱衣所にもそれぞれのパジャマが置かれているが――私が取り出したのは、エリシャさんにお願いして、アイティースが帰ってくるのに間に合わせてもらったアニマルパジャマ。
彼女の髪色に合わせた、赤茶に猫耳・猫尻尾。
ちなみに、私達の物とは違い、耳は飾りではなく、耳覆いになっている。
厳寒地域の獣人用フードは、耳も覆う物が主流で、それがヒントになっているとはエリシャさん談。
「……猫系の獣人に、あえてネコのアニマルパジャマを着せようとはどういう了見です?」
「エリシャさんとの協議の結果、素材の味を生かす事にしました。後、ゆったりしてるから着せやすいし」
「……シャツタイプの方が着せやすいんじゃないかと思いますけどね?」
「正論だね。でも聞かなかった事にする」
そしてアイティースをばんざいさせて着せる。
下を履かせた辺りで、あまりに反応がないので顔を覗き込むと、既に意識が落ちていた。
私達も同じくアニマルパジャマを着込み、意識を失った彼女を背負うと、背中に幸せが『当たってる』状態に。
「……それでリズ。どこに寝かせる?」
「……なんか不安ですね。マスターの部屋で」
アイティースもいい大人なのだから、お風呂のように危ない事もない――はずなのだけど。
リズの言う通り、なんか不安だった。
私の部屋まで運び、ベッドの上に寝かせると、ごろんと転がって仰向けになった。
リズと違い、自前の尻尾もあるので、猫又っぽい。
実に満足げな寝顔だった。
「……仰向けに寝るのは、獣人にとって、気を許した相手の前でだけ出来る寝方……だそうですよ?」
「そう思ってくれてるなら、嬉しいけどねえ」
意識がないだけにも思える。
「……ところで、単に胸が邪魔でうつぶせになれないとか、そういう可能性は?」
「……あるかもしれません」
仰向けになってなお、存在感があるので、うつぶせだとさぞ寝苦しいだろう。
アイティースにベッドの真ん中を占領されたので、私達はそれぞれ両隣に潜り込んだ。
翌朝。
「……なんで私、こっちで寝てんの?」
むくりと起き上がったアイティースが、焦点の定まっていない目で辺りを見渡しながら、ぼそりと言った。
私は、寝ぐせを梳かすという名目で、手櫛でリズの髪をすいて……有り体に言えば、朝からスキンシップを図っている。
割と今さらなので、アイティースもそこには突っ込まない。
「おはよう。アイティースってば、お風呂で寝そうになったんだよ。どうにも危なっかしいから、目の届く所にと思って」
「あー、すまん。ありがと。で、この恰好なんだ?」
「アニマルパジャマ、ネコさんタイプです」
私とリズの恰好を改めてまじまじと見ると、彼女は頷いた。
「……なるほど」
頷くだけで済ませるアイティースは、私の事を実によく分かっていた。




