EX6. それぞれのイトリア
太陽が沈み、イトリア平原は夜の闇に包まれていた。
人間同士の戦いでは、通常日没を前に戦いを終えるのが慣習となっていたが、リストレア魔王国にそういう慣習はない。
夜の闇を苦にしない分、人間より有利と言えた。
それこそが、最後に勝敗を分けた要因であったかもしれない。
しかし、彼――魔王を名乗ったダークエルフは、自らに備わったその暗視能力を少しだけ呪った。
目の前に広がるのは、死体が折り重なる、イトリア平原と呼ばれた大地。
鉄靴に、攻撃魔法に――自らが降らせた流星に――抉られ、掘り返され、その穴に血溜まりが出来ているような、そんな惨状。
それらは、今日行われた決戦が、この地に刻み込んだ爪痕だった。
「リストレア。エルドリッチ。リタル。……俺達は、間違っていたと思うか?」
彼は、背後に控える魔王軍最高幹部の三人に――建国時より苦楽を共にした者達へ向けて、呟くように聞いた。
幼いとさえ言える、正義感と理想を持った。持ってしまった。
平和な世界という、血塗られた夢を見た。
それでも、その理想を多くの者が共有した。
「いいえ。……負ければ、全員が死にました。そういう戦いです。そういう時代――でした」
「ああ……」
人型を取っている上位悪魔のリストレアの言葉に頷く。
今は"血の契約"によって繋がっている、初めて仲間になったデーモン。あの時はまだ、彼女は上位悪魔と呼べるほどではなかった。
自分もまた、力があるとはいえ、ただの一魔法使いだった。
あれから……四百年以上。
「戦争でひとは死ぬ。そういうものだ」
紫のローブも、その陰の頭蓋骨も薄く透けた上位死霊、エルドリッチが達観したように軽く言う。
「……多くが死んだ。我自身、今日この場を死に場所と定め戦いに臨んだというのに、死に損なったようだ。……魔王陛下。失われた物の重みは、お忘れめされるな。だが戦わなければ、我らは全て滅び、絶えていただろう」
しかし、続けられた言葉にはさすがに痛みが見えた。
長き時を生きた不死生物でさえ、感情に縛られる。
それをなくした時、消える定め。
(私は、"病毒の王"! 目標、人類絶滅……!!)
今は亡き者の言葉が、魔王軍最高幹部に任じた、その時の情景と共に蘇る。
人の身で、魔王軍最高幹部の地位に登り詰めた者がいた。
同じ人間を滅ぼすと宣言した女性がいた。
(リストレア魔王国の平穏を脅かす全てが、私の敵!)
彼女は自らの言葉通り、それらを全て敵とした。
王城にいた時でさえ内外の――ほとんど国内から――刺客が差し向けられていた彼女は、後にたった二人きりの屋敷に移り、それからも自らの身を囮にして、多くの反乱の芽を炙り出した。
随分と……風通しがよくなったものだ。
四百年で溜まっていた膿の多くが出た。
彼女は初めて会った時、狂っているとさえ思えるほど淡々と、『人類絶滅』という未来を語った。
建国当初は、人間達と、ただそこにあるものとして認められるような、なし崩し的な融和を考えていた。
どちらかが滅びるような戦いは、勝っても……本当の意味で勝利とは呼べない。
そんな戦いを望むなど、狂気の沙汰だ。
リタル山脈を盾に大陸を二分して、リストレア魔王国は今日まで存続してきた。
建国初期は、南からの流入も多かった。
……こちらへ来ずに、滅ぼされた者も、多かった。
平和とは呼べぬ歪な安定。
人間の支配地域から排斥された者達の寄り合い所帯が、国として安定した――してしまった――結果、『敵』と見なされる。そんな、受け入れがたい理不尽。
戦火が再び燃え上がろうとしている空気の中、彼女は、魔王軍最高幹部"血騎士"の紹介状のみを手にやってきた。
彼女は、多くを望まなかった。
たった一つ、私的な『褒美』に何を望むかという問いに、彼女はこう答えた。
(メイドさん付きの屋敷を下さい)
望んだものは、それだけ。
どのように仲良くなったかは定かではないが、副官としての立場をメイドという隠れ蓑付きで望まれたリーズリット・フィニスは、驚く事にそれを受け入れた。
近衛師団の暗殺者の中でも、暗殺者にあるまじき武闘派で知られ、名を馳せた『あの』"薄暗がりの刃"が、だ。
「……リーズリット・フィニスは? "第六軍"の副官は……生き残ったか?」
「そのように聞いておる。怪我もあるが何より疲労が酷く意識は戻っておらぬが、命に別状はないものと」
エルドリッチの言葉に、小さく息をついた。
自分も、部下も、彼女は特別扱いしなかった。
……せめて、彼女が望んだ、唯一のものだけは。
「……"病毒の王"が、私との会話の中で、言っておった」
黙って戦場を見ていた白銀の竜、リタルが、錆びた鋼のような疲れた声を出す。
「……何と?」
「正しい事は痛くない事を意味しない……とな。またその逆でもないと……」
けれど、死んだのは、彼女だけではない。
――生き残った者の方が、少ないのだ。
正確な被害は分からないが、三割残っていればいい方だろう。
「……あの者が見た未来だ。『戦う理由』をなくす。飢えも、寒さも、全てを排除し……我らが子らに、戦争をしなくとも、平和に、そして幸福に生きられる世界を贈る……皆、そのために戦い、死んだのだ……」
そして、リタルが長い首を曲げてうつむく。
「だが、思ってしまうのだ……」
彼女は悲しみに満ちた声で、最高幹部の中でただ一人帰らなかった者を悼んだ。
「あの者に、その未来を見てほしかった、と……」
「――陛下!」
そこに声がして、全員が顔を巡らせた。
「なんだ」
魔王と三人の最高幹部に一瞬怯んだダークエルフ――甲冑を脱いでいるが"第二軍"の暗黒騎士らしい――が、立ち直り、報告した。
「"病毒の騎士団"の生き残りが確認されました!」
思わず、彼ら四人は顔を見合わせた。
それは、"第六軍"が、人類のほとんど全てを殺し尽くして得た『力』。
"第四軍"の死霊軍総帥、エルドリッチをして『不死生物の極致』と言わしめた、最強の騎士団。
そんな者達がもしも戦後に生き残れば、維持の負担がどれほどになるか想像もつかない。
それゆえの最前線。
最高戦力をもって、敵防衛線をこじ開けるという決定。
『死ね』と言われたに等しいそんな命令を、笑って請け負った――英雄達。
ただ無為に死なせるための配置ではない。
それでも、彼らが赴いたのは死地。
「……生きている者がおったのか」




