毒蛇の舌
一座の皆に『ブラックカード』を配り、自分も色々買い込んだマスターと共に、劇場内に戻る。
価格表を見たところ、銅貨で二枚から六枚程度で、屋台物の相場だ。
しかし、この人数ともなれば。
私は少し不安になった。
「……ところでマスター。この資金って……」
「個人事業だよ」
「大丈夫なのでありますか?」
「うん。宣伝広告費を兼ねてるから」
「宣伝?」
「まずは人の流れを作らないとね。近所も今は解体・建築に大忙しだから、食べ物の屋台は需要あるよ」
「それはそうですね」
そして建築ラッシュが終わった頃には、劇場が『人の流れ』を作る――という算段なのだろう。
「質にも自信がある」
「質?」
「規模は小さいけど、経済振興も兼ねてて、希望者は初期資金も融資してるよ。無利子・無担保で」
「……大丈夫なのでありますか? その……踏み倒し……とか」
マスターではなく、リーズリット様が笑って答えた。
「"病毒の王"相手に詐欺をしようという輩がいるとでも?」
――納得した。
「……返せない場合は?」
「本当にダメだったら仕方ない。ただ、自信があるって言ったでしょ? 全部私を含めた審査員が選考してる。ツテを辿って声をかける方がメインだったから、今回は落とした店はないけどね」
リーズリット様が口を開く。
「……そういえば、マスターは平和になったら屋台物食べ歩きするのが夢とか言ってましたよね」
「うん。リズと一緒にね」
甘えるように肩を寄せて笑いかける"病毒の王"様と、それを受けてはにかむリーズリット様。
隙あらばイチャつくお二人を見ていると、何故か落ち着く。
「ところで、こけら落としの演目は? オリジナルやるって話だったけど、もう決まった?」
マスターが、なにげなく聞く。
「ええ。脚本も出来て、練習中ですよ。小道具・大道具もおおむね予定通り。私は座長ですから、全体の進行なんですけど、一つ役も貰いまして」
私は――『本人役』で出る事が決まっている。
「タイトルとかお話とか、聞いても? 楽しみに取っておいた方がいいかな?」
「我らがマスターですから。詳しくは舞台を見て頂きたいですが、予告される程度の事は」
そして私は微笑む。
「タイトルは、『短剣に恋をした蛇』です」
「……ん?」
マスターが、笑顔のまま固まった。
「それ……どんな話なの?」
そして、好奇心に負けたといった風に聞く。
「"猛毒の王"を名乗った上位死霊と、ダークエルフのメイドの恋物語です」
「あの……クラリオン?」
「大丈夫。機密に抵触はしておりませんよ。舞台で描けるのは限りがありますからね。"猛毒の王"の最高幹部としての格好良さと、ダークエルフのメイドとの、甘々異種族恋愛の対比を描いた傑作と自負しております」
「待って。史実を舞台化はやめよう。ね?」
「大丈夫ですよ、"病毒の王"様。舞台は『リストーレ王国』。主人公は王国軍幹部にして、記憶と名前を失った上位死霊『"猛毒の王"』。ヒロインはダークエルフのメイドにして暗殺者でもある『リゼ』。……全くもって史実などではないでありますよ」
「もじり方が甘すぎる!」
全くだ。
しかし、正論は押し通す物という強引さを、私達は他ならぬ"病毒の王"様に教わった。
「『演目・脚本などに関してはノータッチ』……出資の際に交わした契約書には、そう明記されているはずでありますが?」
「……言った。言ったけど」
「みんな、ちゃんと分かっておりますよ。これはお芝居。これは舞台。……それで良いのです」
私は笑った。
これは幻想。
これは虚構。
これは我らにとっての真実の一端。
一人の、大魔法使いがいた。
ただの人間の身で――敵の種族でありながら、それでもなお、あの戦争の行く末を左右させるほどの戦果を積み上げた、非道の悪鬼。
同じ人間の身で、人類の怨敵とさえ呼ばれ、苦しみながら、傷付きながら、それでも背負った全てを、何一つ投げ出さなかった。
一つの種族を滅ぼして。
そして一つの国に、未来を与えた。
そして、そして……ドッペルゲンガーという種族は……彼女に救われたのだ。
「"病毒の王"様。我らがマスター。我らの全力で、精一杯演じます。……応援していただけますか?」
「……それ、選択肢ないやつ……」
ぽんぽん、と優しく肩を叩いて慰めるリーズリット様。
なお、リーズリット様の許可は頂いている。
――私達ドッペルゲンガーは皆、お二方の事をかなり早い段階で恋人同士だと思っていた。
"病毒の王"の下を去る者が一人もいなかったのは、きっとリーズリット様がいたからだ。
敵に対して一切の容赦ない苛烈さと、血も凍るような命令を恐れながらも……リーズリット様の事を慈しむその姿が、眩しくて。
ドッペルゲンガーを名指しで望んだ指揮官など、リストレアの――いいや、この世界の歴史の中で"病毒の王"ただ一人だけだった。
この人の下で戦えば――もしかしたら、未来のドッペルゲンガーは今のような扱いを受けなくてもいいかもしれないと、思った。
それでも、その命令は、実に非人間的で。
どこか空虚で、狂的な笑みを浮かべる彼女の事が、人間がどうとかそれ以前に、本当にこの世界にいていい存在なのかとすら思えて。
私達は何度も、このまま彼女に仕えていてよいのかと自問し、話し合った。
ただ、彼女は一度も部下の事を裏切らなかった。
それに、初対面のインパクトが強すぎてガツンと恐怖を刷り込まれていたが……病と毒の王としてではなく、ただの上官として接してくれる時の彼女は、むしろ話しやすかった。
言を翻す事もなく、使い捨てようとする事もなく……下される命令は無茶振りと呼ぶのが相応しい物ばかりだったが、何故か誰も不可能だとは言わなかった。
そして、実際にその通りになった。
だから私達ドッペルゲンガーは、"病毒の王"の指揮下で『戦い』続けた。
そして、あの"凍らずの川"ラングネール川に掛かる大橋を、突拍子もない手法で敵軍渡河中に瓦解せしめた、本当の意味で『魔法のような』作戦。
あの時、彼女が呪いを解いてくれた。
イトリア平原で行われた決戦で、橋を落とした時に帰還を祝ってくれた多くの仲間が果てた。
私達は後方に下げられ、民の心を落ち着かせ、混乱を抑制するという任務を命じられ、決戦には参加していない。
……それでも生き残った者達は皆、私達ドッペルゲンガーの事を、かけがえのない仲間だと言ってくれた。
各軍の長が皆、口を揃えて"病毒の王"の功績を褒め称え、私達ドッペルゲンガーもまた、賞賛される側に立った。
未来の世代ではなく、私達の代で、ドッペルゲンガーに対する偏見は急速に弱まっていった。
それでも、私達は怖かった。
私達が示したのは、戦争のための才能。
敵軍を――いいや、民衆を煽り立て、行動に駆り立てる力。
擬態扇動班の名は、伊達ではない。
姿を変え、舌と耳を腐らせるような噂をばらまき、人心を荒廃させ……そんな風にして、当たり前の世界を壊していくための技能。
それは、平和な時代にはあってはいけない力だった。
どこまでがドッペルゲンガーの変身能力を利用したかという詳細は公開されなかったが、いつ賞賛が嫌悪に変わるか――私達は、怖かった。
自分達が『英雄』でなくなる事はもちろん。
自分達を使った事で、マスターが責められる事も、怖くてたまらなかった。
次は、何を命じられるのかと思っていた。
それでも、私達は覚悟を決めていた。
私達は、毒蛇の舌。
混乱していく国をまとめるためなら、あの人に敵対する全てを、自分達の全能力をもって――生まれついての変身能力と、戦争を通して培った扇動のための技術を使って、排除すると。
けれどマスターは、私達に退役を勧めたのだ。
穏やかな声で、三年に渡る任務を辛かっただろうといたわり、よくやったとねぎらい、そして――道を提示した。
私達の変身能力を、演劇に生かすという。
ウェスフィアで、私だけが聞いた、甘やかな未来予想図。
それは大切な思い出で……けれど私は、そんな希望を抱かせる事は出来ず、皆に話してはいなかった。
覚えていてくれたのかと涙ぐむ私を慰めながら、彼女は、ありとあらゆる応援を確約してくれたのだ。
主にレベッカ様の伝手を辿り、演者に脚本家、小道具に大道具、果ては劇場そのものまでを用意する様は……魔法のようだった。
特訓を兼ねて、『復興時における民衆の心の慰め』という名目で、公費で巡業を行えるようにした時は、嬉しいと感じるのと同時に正直、「大人げない……」とさえ思ったものだ。
彼女は出資してくれた人は他にも沢山いると言うし、それは事実なのだけど。
本人は投資だと言い張るが――厳密には演技の素人である私達を主軸に据えたような弱小劇団に対して、かなりの個人資産を注ぎ込んだ事は間違いない。
"病毒の騎士団"の死霊騎士達に何かあった時のために作った牧場が、折からの食糧需要で比較的好調だったとも言うが。
劇場建築まで行くと……道楽ここに極まれりだ。
こけら落としには古典演劇ではなくオリジナルを演じたいという話になった時……とてもスムーズに、大筋は決まったのだ。
私達は、擬態扇動班。
未来にあの人が責められる可能性を、ほんの少しでも減らすために――虚実がちりばめられている。
性別を明言していないのもそう。
仮面を外さず、キスシーンさえもそれをずらすように行うのもそう。
最初から不死生物である事もそうだし、現地活動班が行った非道は大幅にはしょられている。
尺の問題と、あまり舞台映えしない、という演劇的な事情も大きい。
本当にこれは、ただのお芝居だ。
決して"病毒の王"の真実の姿など、描いていない。
それは――私達だけが知っていればいい。
それと同時に矛盾するようだが、確かに真実も描いている。
黒妖犬を従え、デーモンに忠誠を誓われ、獣人と友誼を結び、神話級の死霊騎士達を引き連れ、ドラゴンを軛より解放し、そして人間を打ち倒す。
メイドとして、アサシンとして、副官として側に立つ、ダークエルフと共に。
ダークエルフと、獣人と、不死生物と、悪魔と、竜が、力を合わせて人間相手に勝利を得て……最後には違う種族同士の二人が結ばれる。
おや、プロパガンダかな? というような、ベタベタの王道極まる筋書きこそが、真実に近しいというのも、皮肉なものだけど。
ドッペルゲンガーである私達は、主に収集した情報を説明口調で報告するという役回りで……劇としては大事な役ではあるが、有り体に言ってちょい役だ。
それでも私達にとっては、それだけでも十分なのだ。
私達にとっての英雄を描き、演じられれば、それで。
"病毒の王"様は、困り顔でいたが、諦めたようにため息をつくと、一転して笑顔になった。
「応援するよ。……みんな、頑張って演じて」
「……はい!」
優しいマスターだった。
「でもね。ポスターとかに『※これはフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません』って書いておいてね。なるべく大きい文字でね」
往生際の悪いマスターだった。




