EX5. 短剣に恋をした蛇
その日、一座の皆は朝から浮ついていた。
私――クラリオンもまた、例外ではない。
やる事は、山積みだ。
特にそわそわしているのは『演者』達だが、大道具や小道具、それに加えて劇場自体のチェックもまだ終わっていないので、全体の空気は実に慌ただしかった。
私も一応演者なのだけど、この一座の座長を務めているため、練習以外にもやる事は山積みだ。
座長自ら、ズボンにセーターにエプロンなんて動きやすい恰好で、木箱に色々放り込んで運んだりもする。
今は、いつか見た夢の中。
"ドッペルゲンガー"が――ほんの一年前まで、『母の血を継がぬ忌み子』と呼ばれた私達が、堂々と種族を名乗り……華やかな舞台に上がる未来など、誰が想像しただろう?
劇団の名前は"蛇の舌"。
"第六軍"紋章『短剣をくわえた蛇』にあやかったものだ。
私達は、毒蛇の舌。
擬態扇動班として、人心を荒廃させる噂を流布させ、耳を腐らせるような毒を人間達の耳に注ぎ込み続けた。
王都の被害が少なかったとはいえ、略奪や破壊が全くなかったわけではない。
酷かった地区もあった。
今私達がいる地区の事だ。
石造りの建物が多い王都の中、木造の建物が多かったため、おそらくは燃料目当てで破壊され、薪にされたのだろうと推測されている。
そこに建てられたのが、この劇場だ。
私達一座の専用というわけではない。
――「緊急を要する住居と食糧の問題などが落ち着いてきた。ならば、次に求められるのは何か? ――そう、娯楽だ」と、ある人は言った。
言ってる事は正しいと思う。
ただ、浮かべる笑顔が悪役のそれなのは何故だろう。
私達『演者』にとっては、むしろその笑顔にこそ馴染みがある。
それどころか、ほっとする笑顔とさえ感じてしまうのだが……あまり不思議でもない。
あの人だけが、私達を信じ続けてくれた。
私達の忠誠は――国家でも、魔王陛下でもなく、あの人に捧げられていた。
背後から、声がかけられる。
「クラリオン。忙しそうだけど、今いいかな?」
「――『マスター』!」
振り返り、その姿を認めると、ぱあっと表情が明るくなるのが分かる。
「……いい笑顔するようになったね」
そう言う我らがマスターも、随分と笑顔が柔らかくなった。
それは、隣にいる、トレードマークの赤いマフラーを首に巻いたメイド姿のダークエルフ――リーズリット様のおかげかもしれない。
『演者』達――その中核を成す二十八人のドッペルゲンガーの中には、リーズリット様がいる時を狙ってマスターへ話しかける者も多かった。
私が窓口を務めていた期間が長いが、時には一人で話しかけなくてはいけない時があり……せめて、そばに他の人がいる時に、というわけだ。
我らは、毒蛇の舌。
"第六軍"が誇った、擬態扇動班の生き残り。
――"病毒の王"の名で呼ばれた軍団長が、戦後、詳細を機密としつつなお『多大な貢献をした英雄達』を誇り、私達もまた……賞賛を浴びた。
ドッペルゲンガー風情、という蔑みの声もあったが、それはより大きい賞賛の声にかき消された。
完全に気にならなかったと言えば嘘になる。
しかし、結局の所、私達にとっては……マスターと、それに付き従った"第六軍"の皆の信頼が、全てだった。
「それで、クラリオン。例の件だけど、準備出来たから」
「……例の件?」
はて。覚えがない。
「ほら、あの。屋台の話」
「……え? あれ、本気……だったのでありますか?」
思わず目を見開いた私に、リーズリット様がため息をつきながら言う。
「……クラリオン。この人はいつも本気ですよ」
「リズは私の事をよく分かってるね」
うんうんと頷くマスター。
そしてにやりと笑う。
「権力があるのって楽しいね」
「……使い方おかしい気がするんですよね」
「多分これぐらいが丁度いいんだよ」
リーズリット様が目をそらしながら言った言葉を笑い飛ばすマスター。
……そうかもしれない。
権力の重みと、使い方と……自らの力量を見誤った寄生虫達は、叩き潰された。
でも、マスターは権力の使い方おかしい気がする。
口には出さないけど。
「――みんな、差し入れだよ! 今手が離せない人は後でね」
わらわらと集まってくる。
「マスター!」
「来てくれてありがとうございます!」
「差し入れに来てくれたんですか?」
皆の顔は、明るい。
……私もそうだが、戦中とは別人のようだ。
仲が悪かったという事もないが、皆、無口で……無表情だった。
「……あれ、でも、手ぶらですね?」
一人が首を傾げる。
「ジョゼ。安心しなさい。ちゃんと『用意してある』」
「……あ、サマルカンド様が後から持ってくる……とか?」
「エコール。それは違う。もう『用意してある』」
実に楽しそうに、にいっ……と笑うマスター。
戦後、私達全員の顔と名前を覚えてくれた。
人の顔と名前を一発で覚えられる……と言うほどの精度はなく、最初のうちはよく取り違えていた。
窓口を務めた私はもちろん、ウェスフィアで供を務めたジョゼフィーヌあたりは別として。
……ただ、皆、間違えられるのもどこか楽しそうにしていたのが、記憶に残っている。
それはきっと……私達自身を見てくれるのが、嬉しかったから。
ちなみに今は護衛班の騎士達を見分けようとしているらしい。
魔力反応込みなら見分けられるようになったという今でも、顔で見分けるのに挑戦しているとか。
そもそも骸骨を顔だけで見分けようとしていた事が驚きだ。
なんでも、人間だった時は魔力反応の個人差とかよく分からなかったのだとか。
……そういう事を聞くと、魔法のない世界から来た人なのだよな……と思う。
私達にとって魔法はいつも身近にあったし、魔力反応は敵の強さの見極めに必須だった。
軍人はもちろん、一般人にとっても、魔獣種との遭遇を回避出来るかどうかという意味で、生死に直結する。
……まあ実際には、感知出来た時点でもう捉えられている事も多いのだけど。
彼女はもったいぶった動作で手招きし……劇場の外に出る。
劇場を一歩出ると、揚げ油に肉に甘味に……とにかく昼時の胃袋を直撃する匂いに満ちていた。
劇場前の大通りに……端から端までずらりと並んだ屋台。
「劇団のひとは食べ放題だよ! ――あ、劇場作ってる人もね」
絶句する一同。
外で音がするとは思っていたけれど、工事中の所も多い地区だ。特別不思議には思わなかった。
匂いもしていたが、昼時だからと、違和感は覚えなかった。
まさか、これが全部差し入れだとは。
「……マスター。『劇場の前に屋台とか並んでて買い食い出来たらいいね』って、本当に本気だったのでありますね……」
「本当に本気だよ」
頷き、懐からするりと『"第六軍"紋章』の描かれたカードを取り出す。
色は黒だ。
「ブラックカード……ふふ……」
何故か怪しげな笑いを浮かべるマスター。
私はリーズリット様に近寄って、聞いた。
「リーズリット様。色が黒だと、何かあるんですか?」
「『遊び心』らしいですよ。故郷にああいう『見せるだけで買い物が出来るカード』があったそうです。黒が『最強の色』だったとか……」
「……最強? 妙なうさんくささがあるんですけど」
「マスターだから仕方ありません」
こともなげに言うリーズリット様。
マスターが黒いカードをかざす。
「後で配るこのカードがあれば、この通りの屋台での買い物は無料。実演するね。――おじさん、揚げ芋ひと籠!」
「あいよ!」
口髭が白くなった、かなり歳の行ったダークエルフの店主が、油の中の揚げ芋をすくい、油切り用の籠に入れて振る。
ぱちぱちと油が跳ねるが、耐性付与済みなのだろう。
ブレンドされた塩胡椒が振られる。
「籠は、後でもいいから返してくれたら銅貨一枚返ってくる……んだが、カード持ってる人には関係ねえな。一応、なるべく返してくれると嬉しいが」
「はーい。みんな聞いたね? ちょっと特殊な所もあるけど、お店の人の言う事に従ってね」
そして揚げ芋を口元に……リーズリット様の口元へ持っていく。
「リズ、あーん」
「……もう、普段は毒味とか要らないんですよ?」
「あのね、リズ」
彼女は微笑んだ。
「実の所、私は毒味を口実に、可愛いメイドさんとイチャイチャしたかっただけなんだ」
「……そこまで正直に言われると腹も立ちません」
「ありがとリズ。で、今は可愛いお嫁さんとイチャイチャしたい気分です」
「マスターは……正直ですね」
「そこが取り柄ですから」
諦めたようにため息をつきながら、リーズリット様は差し出された揚げ芋をぱくり、と口にした。
「私の故郷だと薄いのとか細いのが人気だったんだけどねえ。私は分厚いのが好き……」
「そういうのもありますし、好きな人もいますけど。手間が掛かる分値段が上がりがちですし、分厚い方が食べ応えありますよね」
会話しながら、自然に一つ揚げ芋を取り、差し出すリーズリット様。
マスターも自然にかぶりついた。
「うん、幸せ味」
「また抽象的な事を」
「天気のいい日に外で食べる解放感と、油で揚げられた芋のダイレクトにガツンと脳髄に来る旨味が、ざっくり振られた塩胡椒で引き立てられている。油が適度に切られているからもったりしない。さらに、可愛いお嫁さんと食べさせあいっこすると、仲の良さを再確認出来て幸福感を覚える」
「誰も、そこまで具体的に言えとは言ってません」
リーズリット様が、ため息をついた。
――『あの』"病毒の王"がこんな存在だと、誰が想像するだろう?
それは、まだ"病毒の王"と呼ばれる前の彼女を知っている私達にとっても、同じだった。
こういう人だとは、想像もしていなかったのだ。
いや……出来なかったのだ。
あの人は、恐ろしかったから。




