追憶の終わり
オルドレガリアに起きた事は、あの時代にありふれた悲劇。
種族一つが滅びたという事は特別だが、エルフは滅びの道を辿りつつあったというだけの話だ。
私が復讐のために殺した人間の数は、当時だけでも、間違いなく殺されたエルフよりも多かった。そういう事だ。
あの時代、同じ種族で固まる事を選択した人間達は勝者だった。
あの時代の敗者というなら、それはエルフ――森エルフだ。
自分達が住まう故郷を捨てて、北の地を目指した砂漠エルフ――ダークエルフとは、決定的に道が分かれた。
それ以前から、故郷の砂漠の外に商人として出て、多種多様な道を模索し続けていた砂漠エルフ達が、新しい道を見つけられたのも当然かもしれない。
もし私が、オルドレガリアの滅びを知っていたなら、リストレア魔王国を目指しただろう。
そうなっていたらと、ふと思う。
レベッカ・スタグネットが、『彼女』が生きていたとしたら――『私』は、生まれなかったのではないかと、思う。
意思を持たぬ不死生物の群れを率いて、近隣の村々と都市国家を多数攻め滅ぼした、"蘇りし皇女"も。
それの血にまみれるようにして打ち倒した魔獣を蘇らせ、使役し、今よりも生息数の多かった魔獣達と生活圏を争って、北部の森を切り開いた、"歩く軍隊"も。
第一次から第六次まである"リタルサイド防衛戦"全てに参戦したという称号を持つ、"戦場の鬼火"も。
……そして、"第六軍"に他軍よりのお目付役兼、信頼の証として派遣されたベテラン死霊術師――後の『"第六軍"序列第三位』も、いなかったかもしれない。
ちなみに、私の戦時のリタルサイドでの役割は攻撃魔法に防御魔法、不死生物の支援に城壁の補強から補給路の護衛まで多岐に渡る。
今、"第六軍"が戦後復興の便利屋部隊として扱われているのは、実のところ、どこか懐かしい。
"病毒の騎士団"の名で呼ばれた死霊騎士達が強くなっていくのも、いつかの自分を思い出した。
私が『それ』を提案しなかったのは、リスクが高すぎたからだ。
手を掛けた不死生物の方が強いとは、全く真実だと分からされる。
短期間にあれだけの魂を喰らい、誰一人"なれはて"へとならなかったのは、奇跡に等しい。
あの条件下で、誰一人自分の意思を失わなかった理由は、最も近くで見た一人として、仮説を立てている。
多分、『再現』をしようという馬鹿を出さないためにも、謎は謎のままにしておく方がいいだろうから、語るつもりはないが。
……一言で言うと、"病毒の王"がいたからだ。
乱暴極まる結論だが、事実なので仕方ない。
『普通は』、アンデッドでない者は、アンデッドに対して多少なり身構える。
教育もあり、偏見は薄まり、差別も随分と少なくなった。
それでも、"第四軍"は、多くが荒れがちな東部で、余計な影響を周囲に与えないためにという口実があるのをいい事に、引きこもっていたのも事実だ。
なので、普通は、定期的な演習や、不定期の訓練程度しか他軍と……他種族と交流がない。
一緒に剣の訓練をするのは普通だとしても。
アンデッド相手に漫才の練習をしたり、トランプをしたり、そんな風に振る舞ってくれる相手が、いるはずがなかった。
自分達と、最後まで共に歩む覚悟を見せた、信頼する相手がいたから――あの短期間での魔力増大に耐えてみせた。
そして、あの誰も生きては帰らないだろうと思われた地獄の激戦を、ハーケンを含め十三名も、生き延びてみせた。
もちろん、そういう事をマスターに言うつもりはない。
……物質幽霊という、"第四軍"内でさえあまり触れられないデリケートさを「かっこいいね」という一言で終わらせられたり。
私はかなりコントロール出来る方だが、身体的接触で魔力を奪ってしまう種族特性ゆえ、少し距離を取られるのが――そして距離を取るのが――普通なのに、何故か初対面で抱きしめられたり。
入浴をやんわり……いや、かなり直接的に断ろうとするのを、実に大人げなく、『仲良くなるため』という建前と階級を盾に押し通したり。
あの時は、この身体に貞操という概念があるのか怪しいが、命を賭して抵抗するべきかとさえ思った。
それでも、あの日誓った復讐より重い物など何もないから……何を要求されても受け入れようと、一度は諦めたものを。
正直な所、そんな事を思った自分が恥ずかしかったから、しばらく冷たく当たったというのを、否定しきれない。
絶対、誤解させるのを楽しんでいたので悪いとは思っていないが。
今も着ている服を貰った時も、反抗心と――大切な、遠い記憶に土足で踏み込まれたような反発を覚えて、一度は拒否したが。
まさかの実力行使さえちらつかせての、本当に大人げない、所詮は権力を盾にする事でしか物事を進められない輩か……と内心で軽蔑したほどの強引さで、着せられてみると。
フローラにもそれとなく言われていた……過去にこだわる事はない、という言葉が、すとんと胸に落ちた。
それはそれとして、フローラは明るい色の服を着せたかったというのはあると思うが。
彼女は死霊になって、欲望に忠実になったような気はするが……それもまた、新しいフローラだ。
それでいて、マスターがくれた服は、同じデザインだったから。
ただ、自分の欲望のままに、着せ替え人形として扱おうとしたのではなく。
……本当に、あんまりボロボロなのを見かねてだったのだろう。
そんな風に、積んだ功績も、立場も、色々無視して扱われるのが。
……自分を、まるで外見年齢相応の妹であるかのように扱ってくれるのが。
嬉しかったのだ。
もちろん、そういう事もマスターに言うつもりはない。
それから、もう少し仲良くなって。
妹がいた事を知って。
違う世界から来たという事が、どれほど寂しい事か……なんとなく分かって。
自分と、似ていると思って。
同時に、怖くなった。
彼女は、少なくとも分かる範囲では、親しい誰かを殺されたわけではないらしかった。
だから、私ほどの復讐心を持っているように見えないのに――その命令は、私が今までに殺したよりも、遙かに効率的に多くの人間を殺していた。
今さら、非戦闘員の助命を願うほど私は優しくも清くもない。
ただ……かつて自分がそれをした時、自分が本当に化け物になったのだと、思わされた。
時折暗い目を見せる度に、こいつはこの先、何を失うのかと思ってしまった。
それでも、私は復讐を捨てる気はなかった。
お互いに、立場を守り……利用しあっている。
それが復讐のためでも、もしかしたら同じ傷を持つ者同士の、傷の舐め合いでも、どちらでも良かった。
……それでも幸いな事に、彼女の隣にはリズがいてくれた。
時に優しく、時に厳しく――似合いの二人だ。
お互いにお互いの事を大好きな癖に、立場やら、状況やら、性別やらを理由に、関係を進める事を怖がっていたような二人が、ようやく……そう、本当にようやくくっついた時は、肩の荷が下りた思いだった。
もしもリズがいなかったら、彼女は、一体どうなっていただろう。
壊れていただろうか。
それとも代わりに、ブリジットが隣にいただろうか。
それとも、もしかしたら――
「……ん? なあに?」
思わず見つめてしまっていた彼女が、私の視線を受けて、首を傾げる。
先ほどまでは、リボンをほどき、過去に思いを馳せる私を気遣って、黙って見守ってくれていたのだろう。
「いや、ちょっと、な」
濁してみせれば、それ以上は触れず、頷いてみせた。
分かってみれば、称号と行動の割には繊細な所もある。
「でも、レベッカの赤い瞳って綺麗だよね。ルビーとかの、宝石みたい」
「え?」
はっとした。
深紅の瞳は、私にとって繋がりが失われた象徴だった。
私は『レベッカ・スタグネット』ではないと言われているようで。
それでも私の記憶は、その名前にすがるしかなくて。
その名前を、ただ私自身として、呼んでくれて。
その瞳の事を、ただ綺麗な物として、褒めてくれる。
知っているはずもないだろう。
……知らなくていい事だ。
それでも、少し嬉しくなる。
「うちのマスターは……大物だな」
私は感情に折り合いを付けるのに、何年掛かっただろう。
……もしかしたら、今日この日まで、ずっと。
けれど、目の前の彼女は、たった三年で戦いを終えてみせた。
「え、なんでいきなり褒められたの?」
「……改めて言うのも気恥ずかしいが……あなたが、私のマスターだ。感謝しているし、信頼している」
「ええ……」
顔を赤らめる上位死霊という、不思議な姿が見えた。
おや。
「なんだ。自分が言われるのは、慣れてないのか」
「うん。サマルカンド相手には慣れたけど」
「あいつはちょっと特殊だ」
今ここにはいない上位悪魔を思い浮かべる。
当時はまだ国内にも、"病毒の王"を排除しようとする動きがあり、彼はその暗殺任務を受け――土壇場で、独断で任務を拒否。
さらには"血の契約"をもって忠誠を誓った。
後に両方に聞いたところによると、マスターはお話をしただけ、サマルカンドは悠然とした態度に心酔したとの事。
真相は闇の中だが、多分、マスターがいつもの調子で話して、サマルカンドが、そのいつもの調子を大物っぷりと解釈したに違いないと踏んでいる。
「……まあ、見る目はあったのだろうがな」
「え、何? 褒め殺し? 私明日死ぬの?」
「レベッカに褒められるのが、そんなに不可思議な事ですか……」
リズが呆れたような目でマスターを見やる。
「たまにはいいだろう? 素直に受け取れ」
『オルドレガリア第三皇女だったレベッカ・スタグネット』は、敗北した。
けれど、『"第六軍"序列第三位のレベッカ・スタグネット』は……勝利したと、言っていいだろう。
人間を滅ぼした事が、正しかったのかは、分からない。
それでも、きっと、このマスターが道を示した国では。
次のオルドレガリアと、その国民たるエルフのような、些細な違いと、僅かな利害の食い違いで絶滅させられるような種族は、生まれないに違いない。
「あんまりストレートだとお姉ちゃん恥ずかしいよ」
わざとらしく頬に両手を当てて照れて見せるマスター。――私の。
「感謝してるよ。……『お姉ちゃん』」
優しかった二人の姉、ヘンリエッタ姉様と、アネット姉様。そして、教育係のデイジー。文官のフローラ。
マスターは、彼女達と全く違う。
でも、優しい所は、似ているのだ。
マスターが顔を両手で覆って天を仰ぎ、沈黙する。
隙間から見える顔は、真っ赤だ。
そしてややあって、うめくように言葉を絞り出した。
「そのデレは反則……」
ちょっと言っている事の意味が分からない。
「リズ、翻訳を頼む。結婚しただろ」
「私、結婚しても未だに、マスターの言葉の意味分からない事ありますよ」
リズがため息をついた。
――が、その目は優しいし、口元は微笑みの形に引き結ばれている。
本当に、似合いの二人だ。
もしも、リズがいなければ。
私は――彼女と、どうなっていただろう?
過去の『もしも』は非生産的だと割り切るにしても。
もしも。
あの、最近『お義姉ちゃん』と呼ばれると嬉しそうにしている、かつて黒い鎧を血染めにしてなお笑ったような……少し、アネット姉様を思い出す暗黒騎士団長様と一緒に。
……私達にも、リズの次でいいから同じ立場を用意してほしいと言ったら、彼女は何と言うだろう?
その結果に関わらず、少し興味はある『もしも』だ。
まあ、新婚家庭に波乱を呼び込む事もないだろう。
そもそも、自分の気持ちが恋心かと問われれば、それも違う気もする。
多分、育てていけば――育ち方が違えば、そういう感情になる事もあっただろう気持ちだ。
彼女の隣には、私より先にリズがいた。
私より先に知り合ったブリジットよりも強く――あるいは、早く。
これから先、私達の関係がどうなるかは、分からない。
ただ、リズと仲が悪いマスターは……そして、この二人が泣いたり、不幸になったりするのは、見たくない。
私はもう……家族が傷付くのを、見たくない。
リズは『可愛いお嫁さん』。
ブリジットは『お義姉ちゃん』。
そして私は、かわ……『妹』。
うん、中々住み分けが出来ていると思う。
口に出すと、多分リズの心に波風が立つので、一生黙っているつもりだが。
実際、リズが一番お似合いだと思うのは、本心だ。
ただ、他の未来を想像するのも、少し面白いと思うぐらいで。
何より、今の立場で十分、彼女達の力になる事は出来るのだ。
私は、レベッカ・スタグネット。
"第六軍"において、魔王軍最高幹部たる"病毒の王"の序列第一位と、副官にして伴侶であるリズの序列第二位に次ぐ、序列第三位。
信頼出来る人達を、支える事が出来る立場。
――この立場を、誇りに思う。




