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病毒の王  作者: 水木あおい
1章

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平穏な日常


 私は、庭にいた。

 後ろには、リズとサマルカンド。


 私の手の先には、お腹を見せて寝転がるバーゲスト。

 周りにも数頭いて、次に撫でられるのを大人しく待って……ないな。


 お仲間が撫でられるのを邪魔するほどではないが、待てないとばかりにすり寄ってくる。

 右手で腹毛を撫でながら、左腕をすり寄ってきた一匹の首に回し、顎下をわしゃわしゃと撫でた。


 空を見上げると、秋晴れの高い青空が広がっている。

 切れ切れの細い雲が筋になってゆっくりと流れていく。


 太陽に温められた芝生の上で、膝を崩して座っていると温かい。

 もう暑くはない。

 日本なら、まだ残暑の厳しい季節だろうけれど、ここでは長袖でも丁度いいぐらいだ。


 もしかしたら、日本にいた頃よりも、穏やかな時間。


 今日はいい日だ。


「ねえ、リズ」

「なんですか?」



「こんな毎日が、ずっと続けばいいね」



「……最近、週一で命を狙われていますので……もう少し平和だと嬉しいですね……」

「あはは」


「笑う所ですか?」

「笑う所だよ」


 ここで笑えないなら、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"は向いていない。


「我が主。この命に代えても、我が主の生命をお守り致します」

「……サマルカンド? もうちょっと自分を大切にね?」


「ええ。私は骨の一片から血の一滴にいたるまで貴方のもの。ゆえに、私は最後の瞬間まで貴方の盾でありましょう」


「……ああ、うん」

 勢いに負けて頷いた。


 バーゲストを撫でるのを切り上げて立ち上がると、リズにそっと歩み寄った。

 そしてにこりと笑いかける。



「大好きだよ、リズ」



「えっ!? ……ど、どうしたんですか急に」


「言いたくなったの」


「……っこのマスターは……もう……」


 リズが狼狽をすぐに消して、小さくため息をついた。


 ――リズのマフラーは、特殊だ。


 魔力で作られた布、魔力布(まりょくふ)製で、所有者が魔力を通すことによって、ある程度は動かせる……とは本人の言。


 リズは魔力量は並だが、魔力コントロールは訓練の賜物により、最高クラス……とはやはり本人の言。


 その高いコントロール能力を生かして、魔力布マフラーを腕に巻き付け、自身の動きを強引にサポートする事で格闘戦性能を上げているという。



 重大な欠点があるのを伝えるべきなのだろうか。



 ぴこぴこと動くマフラー。

 どうも、リズのマフラーは、たまに本人の感情に連動して動いている。


 戦闘中は感情を調整する魔法を使っているというし、集中しているから問題ないのだろう。

 普段は、いい意味で気を抜いているので、気付いていないのだろう。



 しかし、たまに感情がダダ漏れ。



 とはいえ、中身がどういうものかは、あくまで私の推測になる。

 でも、大体犬の尻尾と同じようなものと考えてよさそうだ。


 とりあえず、好きと言われて悪い気はしないらしい。


「でもマスター、なるべく危ない事しないで下さいね」

「私、実はそんなに危ない事してないよね?」


「……ええ、まあ。実はそうなんですけどね」


 リズが、不承不承といった感じで頷く。


 何度か、バーゲストしか護衛を付けずに一人で外出した以外は、『危ない事』はしていない。

 私は死にたがりではないのだから。


 それでも危ない目に遭うのは、私が色々狙われる立場だからとしか。

 リズがいなければ、私はとうの昔に死んでいる。


「けれど、マスター。何度でも言います。覚えておいて下さい」

 リズが、真剣な瞳で私を見つめる。



「あなたの代わりなど、誰もいません」



 ストレートな言葉に、ぐっと来る。


「ありがとう、リズ」


 けれど。


「……でも、本当はよくないんだけどね、そういうの」


「……どういう事です?」


「個人に頼るべきじゃないんだよ」


 人を一人殺すことさえ、平時の成熟した社会においては重罪だ。

 けれど戦時には、それは罪とされない。


 その責任は、人一人が個人の意志で背負うべきではない。


 私はちょっと開き直っただけだが、本当はよくない。

 私が壊れたら――あるいは、私がまともになったら、どんな事になるか。


「トップでさえ、替えが利く存在であるべきなんだ」


 ビジネスでも、やっぱりカリスマの社長、創業者、最高経営責任者などがもてはやされるが、いなくなった途端に業績が芳しくないものになったりするのも、よくある話。


「……それ、危険思想だと思うんですよ」

「そう? 私の世界では普通なんだけどな」


 リズの言う事も分かる。

 この世界の国家は、多少名前は違えど、基本的に王を戴く絶対君主制だ。

 そこでトップの替えが利く存在であるべきという思想は……魔王陛下の前では、言えないかも。


「マスターの世界、狂ってません?」

「まあ、人間のやる事だからね」


 人間は長くて百年程度で死ぬのだ。

 役割を果たせる時間は、もっと短い。


 魔族は種族によるが、全体的に世代交代は緩やかだ。


 けれど、戦争をしているのだから。


 特に軍人であるならば。

 魔王軍最高幹部でさえ、替えの利く歯車であるべきだ。


「……暗殺者(アサシン)としての私は、マスターの言う事、分かります。替えの利かない存在を、ピンポイントで殺す事を望まれる存在ですから」


 そう、呟くように言うリズ。



「でも、私はあなた以外の"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"に仕えるつもりは、ありませんからね」



「……うん」

 軽く抱き寄せる。


「やっぱり私が死んだら、二代目"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"やるって事だよね!」


「やっぱりうちのマスターは思ったより頭悪いですね」


 呆れた顔で言葉の刃を閃かせて、私の妄言を一秒で切り捨てるリズ。

 さすが暗殺者(アサシン)だ。


 出会った頃に比べれば、本当に表情豊かになったし、舌の冴えも、今や癖になるレベル。

 この立場を捨てる気には、中々なれない。


「サマルカンド。周辺警戒を引き続き頼む」

「御意。心安らかに過ごされますよう」


 サマルカンドが一礼する。


 すり寄ってきたバーゲスト達の首筋を撫でて、もたれかかるように倒れ込みつつ、彼女の手を引いた。

 抱き寄せて、一緒にバーゲストの群れの、黒いもふもふの毛皮に埋もれる。


「お昼寝しよっか」



「……仕方ないマスターですね」



 リズが呆れたように、けれど極上の笑みを向けてくれた。


 この時間は、後少ししかない。

 冬が来れば、庭でこうやってバーゲストに埋もれて眠るのは出来なくなる。


 ふと泣きたくなるぐらいに、平穏な日常だ。

 この立場になる事を選んだ時には、もっと辛い道行きになると、覚悟を決めていたのに。


 今はもう、彼女がいない日常を、生きていたくない。

 こんな毎日が、ずっと続けばいい。


 けれど、私の名乗るべき名前は一つしかない。



 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"



 魔王軍最高幹部。

 人類の怨敵。


 だから、私が望んだ平穏な日常とは、ただの夢物語だ。


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― 新着の感想 ―
(久々に読み返していたら、 〉所有者の魔力通電によってある程度動かせる なんて箇所を見つけてしまった。 異世界「電気概念」問題。間違いではないけどなんとも言えない違和感を抱える表現。 以前に見た…
[良い点] バレバレのリズ。慎重に距離を詰めるマスター。重さ安定サマルカンド。 またない黒犬さんがかわいすぎ! [気になる点] >週一で命を狙われています 人間と魔族割合はどのくらいだったんでしょう…
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