友好使節団
翌日の午後、友好使節団は、アシェル兄様の隊商と共にリストレア魔王国へ向かう事となった。
「ヘンリエッタ姉様」
「レベッカ。行ってくるわ」
その中には、一番上の姉、ヘンリエッタも入っていた。
会談用の服は別に持っていくために恰好こそ動きやすい普段着だが、父譲りの金髪は優雅に波打ち、たれ目がちの青い瞳は優しく細められ、いつも通り『お姫様』らしい。
国一番の美人と呼ばれるのも納得だ。
とはいえ、この姉が友好使節団の代表として全権を委任されたのは、決して親の欲目でもなんでもなく、純粋に実力だ。
とても優しく――同時に教育に関しては厳しく、怒らせた時、すごく怖いのを知っているのはごく一部だ。
「ヘンリエッタ姉様、オルドレガリアとリストレアは……どうなると思いますか?」
「……一方的な隷属は、考えていない。同盟がベスト。けれど属国も覚悟の上、ね」
「そうですか……」
向こうは新興国だが、限られた情報によると、リタル山脈の向こう全て――大陸の三分の一ほどの国土を有する。
僅かな獣人と竜だけが住まう、厳しい北の大地ゆえ、実際に利用出来る国土がどれほどか分からないが。
「でも……多分、そういう事にはならないでしょうね」
「何故ですか?」
「遠すぎるもの、敵にするにも、味方にするにも。……遠い所にいる私達と同盟を組むようなメリットが、向こうにはないのよ」
姉の言葉は、理路整然としていて、納得いくものだった。
リタル山脈自体はそれなりに近いが、通れる所は事実上一カ所。かの国はそこを押さえているはず。
「それでも、私達森エルフがかの国と友好を望むなら……この森を捨てる事になるかもしれないわ」
「そんな……」
ここは、オルドレガリアそのもの。
「……砂漠エルフがリストレア魔王国において重要な地位にあるなら……森エルフもそうなれるかもしれない。いえ、そうすべきかも……」
呟いて、唇に指を当てて、思案顔になるヘンリエッタ姉様。
「私、姉様の事を信じてます。……姉様が正しいと判断したなら……従います」
「……そう。レベッカ。あなたは賢いわね」
ティアラをよけて、彼女が私の髪を撫でる。
私は笑った。
「ヘンリエッタ姉様にはかないません」
彼女の顔にも、笑顔が戻る。
「アネット、レベッカを頼むわね」
「任せろ、ヘンリエッタ」
二番目の姉、アネット。
同じく金髪だが、私や母と同じストレートで、肩を越えた辺りまで伸ばし、首元で結んでいる。
背がヘンリエッタ姉様よりも高く、長旅が予想される使節団の一員でもないのに活動的な恰好に、腰には剣。
順当に行けば次期"森皇"となる長姉ヘンリエッタを、国軍を率いて支えるという覚悟を体現しているような彼女は、"姫騎士"として名高い。
しかし、私に着せたがる服の趣味からして、多分スタグネット家の三姉妹の中で、一番可愛い物が好きだったりする。
私は、文官の一人に声をかけた。
「フローラ。行ってらっしゃい」
「レベッカ様……! 抱きしめていいですか!」
「……それ、抱きしめながら言うのはおかしい」
私が声をかけると顔をほころばせ、ちょっとかがんで抱きしめてきた。
上級文官であるフローラは――いや、うちの国の文官達は、私と顔見知りだ。
小国であるオルドレガリアの事。国民全員、よほど人付き合いや華やかな場が嫌いでなければ、一度は私達三姉妹を見ているだろう。
それも王城に勤める文官や軍人となればなおさら。
その中でも、上級文官は森皇である父の側で見かける事も多く――必然的に、その家族である私達と顔を合わせる機会も多い。
フローラのように、見かけると抱きしめてくるのはちょっとスキンシップ過剰なレベルだけど。
しかし、邪険に出来るはずもない。
小国とはいえ、役人の仕事はさわりだけを聞いて学んでいても、つくづく大変なのだ。
「だって、レベッカ様、すぐに大きくなっちゃうんですもの。……もっとゆっくり大きくなっていいんですよ」
「待って。成長が止まってないか心配なレベルだよ」
「大丈夫ですよ。まだまだ時間はありますし、何より、そのままでも姫様は可愛いです」
「前半はありがとう。後半は受け入れ難い」
フローラは、くすくすと笑う。
「それじゃ、行ってきますね」
馬車の一つに乗り込むフローラ。
ヘンリエッタ姉様は、御者台に座るアシェル兄様の隣に腰掛けた。
「よーし、出発だ、野郎共! 森皇陛下、アネット、レベッカ嬢ちゃん。ヘンリエッタは任せな! 孫の顔を楽しみにしててくれ!」
アシェル兄様が笑って手を振る。
皇族に対して――と、顔をしかめるような者は一人もいない。
しかし。
「貴殿にオルドレガリアの皇族になる覚悟があれば構わんぞ?」
「アシェル。お前にそんな度胸があるのか?」
「アシェル兄様。冗談でないなら、今そんな風に言う事ではありません。冗談なら、最低ですよそういうの」
当然のように、父とアネット姉様と私――皇族全員に睨まれる事となった。
「あーい……」
肩をすくめる彼に、くすくすとヘンリエッタ姉様が笑う。
「私、アシェルならいい森皇になれると思ってますよ」
「……いやあー? 俺、国王とか向いてないと思うわー」
「だから国王じゃないんですってば。……建前上」
「あー、それうさんくさいんだよなー」
「失礼な」
実は私もアシェル兄様と同じく、うさんくさいと、そう思う。
まあ、実質的に一国の王であっても『国王』ではなく『町長』や『領主』を名乗るのはよくある事だ。
「別に、森皇には私がなってもいいですけど」
「え、ヘンリエッタ!?」
珍しく顔を赤くするアシェル兄様。
「父が引退すればそうなりますよね」
「あ、うん……ソウダネ……」
その後、ヘンリエッタ姉様がアシェル兄様の長い耳に口を寄せてささやいた言葉は――私を含めた、他の誰の耳にも聞こえなかったと思うけど。
ばっと耳を押さえて飛び退いたアシェル兄様の真っ赤な顔を見れば、大体察しはつくというものだ。
実際の所、アシェル兄様に覚悟さえあれば問題ない話だったりする。
いずれどこかで姉様は――私も――婿取りをする事になるだろうが、オルドレガリアは、エルフ以外の居住を制限していないし、森皇にも、皇族と姻戚関係である以上の事は求められない。
オルドレガリアは現実としてエルフの国ではあるが……エルフ以外を認めない国ではないのだ。
この二人に関しては、さっきの様子を見ていれば希望はあるような気もするが、果たしてどうなる事やら。
もうくっついてしまえ、と思わないでもない。
頭を振って雑念を振り払ったらしいアシェル兄様が、馬の手綱を引く。
「そんじゃ、行ってくるわ!」
そして使節団はオルドレガリアを出立した。
それが、使節団の皆を見た最後だった――
……ら、良かった。




