EX2. 追憶のオルドレガリア
リストレア建国歴、マイナス九年。
エルフの国、オルドレガリアに、三人目の姫が生まれた。
"オルドレガリアの第三皇女"レベッカ・スタグネット。
『彼女』は、国の誰からも愛されていた。
心優しい性格で、天真爛漫。最も年若い姫という事で可愛がられ、彼女は愛情を注がれてまっすぐに育った。
六歳の時に小冠を贈られて喜ぶ様など、それを見た誰もが口元を緩めたものだ。
……『私』は、それを覚えている。
――『嬉しかった』。『幸せだった』。
私の記憶は、そこから始まった。
たった七年後に、優しい記憶が全て真っ黒に塗り潰される日を、夢にさえ思わずに、私はその全てを、自らの内に刻み込んだ。
リストレア建国歴、四百二十三年。
エルフの国の三番目のお姫様は、もういない。
オルドレガリアという国は、この大陸のどこにもない。
エルフという種族さえも。
もう、この世界のどこにもいない――
「姫様。起きて下さいませ」
「ん……」
優しい声と共に、軽くゆすられて、私は目を薄く開けた。
ベッド脇に立っているのは、黒髪を後ろで結わえたメイド服姿のエルフ。
見慣れた姿。物心ついた時から自分付きのメイドであり、教育係を務めるデイジーは、初めて会った時から何も変わっていない。
「レベッカ様? そんな寝ぼすけでは、ティアラに笑われてしまいますよ」
「うん……起きるよ」
彼女は優しいが、甘くはない。
もそもそと、私――レベッカ・スタグネットは起き上がり、一つ息をついた。
「ちょっと、寝付けなくて」
「十歳の誕生日は、特別ですもの。無理もありませんわ」
「ん……顔、洗ってくる」
雨水と"浄化"を組み合わせての水道設備が、オルドレガリアの王城には備えられている。
水を生成するより遙かに負担が軽く、一定時間で消滅したりしないので、トラブルも少ないのだ。
一度設置してしまえば、負担はそれほどでもない。
しかし、設置のために必要な魔法技術を思えば、魔法適性の高いエルフでさえ、一般への普及はもう少し先になるだろう。
獣人や、人間ともなれば、日常使用はともかく設置は難しいかもしれない。
この技術は、もっと伸びていく。
皇族なれど三番目の姫。そちらの方面で国を支える事を考えるのも、いいかもしれない。
男女問わず頂点に立てるオルドレガリアだが、継承権は生まれの順だ。
あまりに目に余る振る舞いがあれば継承権の順位変更や剥奪もあり得るのだが、剥奪までいった事例は、オルドレガリアにない。順位変更も――あくまで残された逸話では――適性を考慮した、平和的な譲渡だったと聞く。
そして、姉達は心優しく、優秀だ。
余程運が悪くなければ、順番が回ってくる事はないだろう。
「ふう……」
鏡の中に映る、自分の顔。
リタル山脈に掛かる雪のようと褒められた事もある、母から受け継いだ銀髪に、家族全員に共通する青い瞳。
ただ、十歳にしては少し顔立ちが幼いのではないか、と思ってしまう。
後、体型も。
年相応ではある。
しかし、母も姉達もスタイルがいい。
そして、そのスタイルの良さは、子供の頃からの物だと聞いた。
未来の成長に望みを託す事とする。
「姫様、どうぞお召し物を」
「ありがとう、デイジー」
手渡されたのは、白いフリルがあしらわれた若草色のドレス。
全体的にデザインが甘めで、子供っぽさを強調している――と思うのは被害妄想だろうか。
まあ、長い時を生きるエルフにとっては、幼い子供は宝のようなもの。
そして、ほんの少しの間しか、子供の姿でいる事は出来ないのだ。
なので、実は普段着には例えば黒とか、そういうシックなの着たいなーとか思いつつも、甘い感じのパステルカラーやフリル多めの服を大人しく受け入れている。
特に、今日は特別な日。
皇族としてそれに相応しい服装というものがある事ぐらい、分かっている。
背中のボタン留めなど、彼女に少しだけ手伝ってもらいながらドレスを着て、鏡台の前で椅子に腰掛けて髪を梳かす。
そして、デイジーに差し出された、銀の小冠を受け取った。
蔦が絡み合って形作られ、小さな涙型の青い宝石が下がる。
子供の成長を願って贈られる装身具。皇族に贈られるのは冠だ。
六歳の時点では少し大きく、普通の冠のようだったが、十歳になった今では丁度いい。
ティアラを髪に差し込んで留めると、私は椅子から立ち上がり、デイジーに向き直った。
「……似合って……る?」
デイジーは、笑みを深くした。
「ええ。教育係として断言します。この上なく似合っておりますわ。姫様は私の……いいえ、我らオルドレガリアの民全ての誇りです」
「……ありがと」
ストレートな褒め言葉に、少し照れながら、私はお礼を言った。
今日は、特別な日。
十歳の誕生日であり、"戴冠の儀"が行われる。
「行こう、デイジー」
「はい、姫様」
廊下に出たところで、くぅぅ~……と、お腹が鳴った。
「ところで、朝食抜きで儀式が辛い」
「身体の中を清浄に保って儀式に臨むという慣例ですから」
育ち盛りには、一食でも食事を抜くのが地味に辛い。
前日からの絶食でなくてよかったと、よかったを探す事とする。




