誓いの形
さあ、仕上げだ。
サマルカンドの腕を、軽く手の甲でぽん、と叩く。
「"新たなる契約と、変わらぬ信頼において"。この物わかりの悪いお歴々に、上位悪魔の本領を、見せて差し上げろ」
「御意」
サマルカンドの姿が、揺らめいた。
眼が赤く輝き、角がねじくれて伸び、ざわざわと体毛が風とは無関係に、海の中をたゆたうように揺れた。
そして、全身が透ける。
さらに青緑のオーラが彼の身体から炎のように立ち上がった。
上位死霊との"血の契約"……血液の存在があやふやな種族との契約による、疑似不死生物化だろう、とレベッカや死霊軍の人達は結論付けている。
せっかく契約から解き放たれたというのに、また縛られに来るとは物好きだが、それが嬉しかった私も同類かもしれない。
上位悪魔としての高い魔力と、強靱な筋力はほぼそのままに、不死生物の生命力吸収能力と、死霊系列の高い物理耐性を得ている。
サマルカンドの魔力から生成された大鎌が透けている事からも分かるように、武装もまた幽体化する事によって若干物理攻撃力は落ち、この状態では魔力の自然回復が働かない。
しかし、生命力を接触吸収して魔力変換出来る特性を持つ上に、うちのサマルカンドは一度死んで蘇る際に、光系の属性攻撃に耐性を得ている。
加えて、『溶岩のように熱い血が流れる』と評される悪魔は、闇系に加えて、炎系の属性攻撃に高い耐性を持つ。
不死生物の弱点である光属性と炎属性に対する耐性を、だ。
各軍の精鋭がバタバタと死に、弱体化著しい現リストレア魔王国軍において、彼を倒せるものが最高幹部以外にいるとは思えない。
――あるいは、最高幹部でさえ。
そして私達の敵は、魔王軍最高幹部ではないのだ。
護衛として留まっていた五人ほどの騎士が、高官達を置き去りに、包囲網に向かって突進する。
突破出来ると信じたわけではないだろう。
ただ、もう生きるために戦うよりも、切り死にを選んだといったような突発的な動きだった。
「"炎柱"」
彼らの足下から太い炎の柱が伸び上がり、五人の騎士をその腹の内に収めた。
眩しさと、その呪文の懐かしさに、目を細める。
「サマルカンド。お前はもう、死ぬなよ」
「はっ。……我が主にも同じ事を言わせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「善処する」
「そこは断言して下さると嬉しいんですけども」
リズがため息をついた。
炎の柱が収まると、赤熱した黒い鎧が、ガラガラと崩れた。
中身は炭化し、地面に落ちた衝撃で炭の粉となってぶちまけられる。
以前より一段と火力が上がっているのは、新たなる契約の影響か。
「ではサマルカンド。あの方達に、武運つたなく散っていった部下達と親睦を深める機会をくれてやれ。ただし、これでも、今日の式の主賓達だ。丁重にな」
「御意。我が主の命である。このめでたき日に、最も偉大なるお方に弓を引いた罪を、その命をもって償うがよい」
サマルカンドも演技派だ。
……本気で言っているようなのが、ちょっと気になるが。
「まっ――」
「"分解"」
三人が、同時に白く眩い光に包まれ――その光が、風が吹いた瞬間、蛍が舞い踊るように吹き散らされて、青空に溶けた。
そして光の粒が名残を惜しむように明滅し、消えた時……そこに人がいたという痕跡は、何もなかった。
一回の呪文詠唱。
それで、全てが終わった。
即死魔法よりさらに実戦的でない、最強にして、使い勝手的な意味で最低の攻撃魔法――"分解"。
名前だけは有名なタイプの魔法だ。
元素分解魔法が丁重かは人によって意見の分かれるところだろうが、まあ即死魔法や丸焼けよりは丁重だろう。
もしかしたら――サマルカンドなりの、割と台無しになった今日の結婚式への、はなむけだろうか。
「――真面目に戦争をやってたら」
あの人達は、本当に軍人だったのだろうか。
「最高幹部に喧嘩を売るってのがどういう事か、絶対に知っていたはずだけどね」
魔王軍最高幹部。
全員が神話級。
全員が最高戦力。
へなちょこだった私でさえ、末席だが恥ずかしくない強さになっているのだ。
最初はリズの姉であり、私の義姉になるブリジットと、アイティースの護衛役にラトゥースの二人だけを予定していて、それでさえ過剰な戦力だった。
他の最高幹部様方も、「結婚式には参列したい」と嬉しい事を言ってくれたから、作戦に組み込ませて頂いたが、オーバーキルという言葉が相応しい。
さらにレベッカとハーケンが束ねる"病毒の騎士団"こと、"病毒の王"付きの死霊騎士達は精鋭揃い。
サマルカンドも新たな力を得て、上位悪魔どころか全軍の中でも上から数えた方が早い位置にいる実力者。
花嫁であるリズでさえ、精鋭揃いの近衛師団に所属していた、この国で三指に入る暗殺者なのだ。
誰か一人とでも、共に戦った事があるなら。
誰か一人とでも、共に戦った仲間がいるなら。
絶対に、こんな馬鹿な作戦は立てなかった。
――精鋭が、こんな馬鹿な反乱に参加するはずがないのだ。
私の知っている精鋭は、ほとんどが今ここにいる。
残りは、墓の下だ。
魔力反応探索術式を使うと、魔力反応――生命力反応――は、味方と定めた者だけが残っている。
これで、全て終わった。
「全く、『お仕事』は大変だね。みんな手際良かったから人的被害はなさそうだけど、会場滅茶苦茶だよ。結婚式の雰囲気じゃないね」
死霊騎士達が埋まっていた穴も目立つし、乱戦で芝生は踏み荒らされている。テーブルや飾り付けなども所々壊れていた。
集まった全員が、私達の方を見ているのが分かる。
「後日やり直します?」
「ううん。これでいいよ」
会場は滅茶苦茶。
敵とはいえ、そこらに死体が転がっている。
それでも、私の目の前にいる彼女が着ているのが、ウェディングドレスである事は間違いなくて。
指輪の交換は、もう済ませていて。
誓いには邪魔が入ったけれど、言葉によるものは済ませている。
後は、それを形にするだけ。
サマルカンドに杖を預けると、リズの細い腰を抱き寄せた。
そして彼女の顔に手を添えて、金色の瞳を覗き込む。
「へ? あの」
「――生涯、リズを愛する事を誓うよ」
くちづけた。
「んっ……」
たっぷり十秒後、リズが私を突き飛ばした。
「何してくれてんですかこのひとは! みんな見てますよ!?」
口元を手で押さえ、けれど顔が耳まで真っ赤なのは隠し切れていない。
「そのために呼んだんだよね?」
「そっ……それはそうですけど! 今はそういう雰囲気じゃなかったじゃないですか!!」
「じゃあやっぱり後日やり直す?」
「こんな結婚式は一度で十分です!」
「そうだね。私も、二度目の結婚式はしたくないな」
微笑んだ。
「ずっと、リズと一緒にいたいよ」
「……もう、この人は……仕方ないですね」
言葉を探して視線をさまよわせていたリズが、真っ赤な顔のまま、私にしっかりと視線を据えた。
「私も、です。私も、ずっと、あなたと一緒にいたいです」
その言葉だけで、これからの一生を、生きていける気がした。
「――生涯、あなたを愛する事を誓います」
お互いに一歩を踏み出して、そっと体と、唇を重ねる。
「んっ……」
そしてやはり十秒ほどして離れると、拍手と喝采が聞こえた。
列席している全員が、それぞれに手を叩き、口々に歓声を上げている。
祝福に応えるべく、私が大きく手を振っていると、隣のリズがぷるぷると震えている事に気が付いた。
その顔は、もう限界まで真っ赤だ。
「ねえ、リズ。もしかして、ちょっと人前だって事忘れてたとか?」
「本当に……本っ当に、こんな結婚式は、一度で十分ですよ……」
真っ赤な顔で、目尻に涙を溜めて、絞り出すように言うリズ。
「全くだね」
ダークエルフと、獣人と、不死生物と、悪魔と、竜が、共に結婚式に参列した日の事を。
私は、生涯忘れないだろう。
「これからもよろしくね、リズ」
「……ええ。これからは色々と自重して下さいね、マスター」
リズのじっとりとした視線。
私はさっぱりと笑った。
「お嫁さんが可愛すぎてちょっと無理かなあ」
「っ……もう!」
「ほら、ね? うちの基本方針『面白おかしく』だから」
「…………やっぱり、その方針、やめません?」
「それは無理」
即答すると、リズが苦笑した。
「これからも色々あると思いますけど……末永くよろしくお願いしますね」
「うん。こちらこそよろしく……ね」
その後、"病毒の王"は"結婚の守護聖人"として庶民の間で神格化されるのだが、それはまた別のお話。




