出陣
ラトゥースとアイティースと別れ、私は挨拶回りに戻った。
歩いているだけで祝福の言葉が飛んでくるというのは、中々嬉しいものだ。
歩いているだけで敵意の視線が向けられるというのも、中々得難い経験だ。
そんな風に会場を渡り歩いていると、愛らしい妖精さんを見つけた。
見間違えるはずもない透き通るような白い肌にエルフ耳。輝くような銀髪。
陽光を受けてきらめく小冠は職人技の結晶だ。
向こうも私を見つけて、軽く手を振って、歩み寄ってくる。
「はああ~! レベッカ可愛い! え、その服どうしたの? 私知らないよ!?」
普段はその肌を引き立てるような黒い服をトレードマークにしているレベッカが着ているのは、桜色のドレスだった。
幼さゆえの愛らしさを、膨らんだ肩とスカートのラインが武器へと変える。
それだけなら甘いだけで終わるところを、首と、肩のラインの終端である二の腕に白いフリルが黒いリボンで留められて、上品さを失っていない。
本来なら今日のような晴れの日には不似合いな、ティアラに結ばれた喪章である黒いリボンを目立たなくさせている辺りも憎い。
「相変わらず大袈裟だなマスターは。結婚式に、いつもの黒服もどうかと思ったのでな。エリシャに相談して、あつらえてもらった物だ」
「エリシャさんに? ……え、でも、ウェディングドレスと同時はさすがにエリシャさんでも厳しくない?」
「ああ。……だから、『こんな事もあろうかと』準備していたものだそうだ」
「……この服……かなり手間掛かってる……よね?」
リズのウェディングドレスと比較してさえ、遜色のない品に見える。
「マスターなら、いつか絶対に私にフォーマルなドレスを着せようと考えると信じていて……賭けに勝ったそうだぞ」
「……ギャンブラーだね」
「全くだ。それで……どうだ?」
「いや、さっきも言ったけど、すっごく可愛い! レベッカにもう、もんのすごく似合ってる!」
「そ、そうか……褒めてくれるのは嬉しいが、そういうのはリズに言うべきだぞ」
「それはそれ、これはこれ。実はさっきも褒めてたら顔真っ赤にして出席者に挨拶してこいって言われたから」
「マスターの『挨拶』はちょっと特殊な気がするな……」
「あはは」
レベッカが、にこりと笑う。
「――改めて、今日はおめでとう。さっさとくっついてしまえと言ったのが、つい昨日の事のようだ」
身をかがめて、レベッカを軽く抱きしめる。
耳元にささやいた。
「ありがとうね、レベッカ。お姉ちゃん嬉しいよ」
「誰がお姉ちゃんだ」
声を低くする。
「首尾は?」
「上々だ」
「それじゃ、またね、レベッカ。他の人に挨拶してくるから」
「ああ。いい式になるだろう」
「当然だよ。うちのお嫁さんは可愛いからね」
レベッカにひらひらと手を振って、次の出席者へと向かう。
「ブーリジット」
「挨拶回りか?」
「うん。来てくれてありがとね。今日は、色々と無理言ってごめん」
「気にするな。……私と、お前の仲だろう?」
「うん、ブリジットお義姉ちゃん♪」
『お義姉ちゃん』の響きに、ブリジットの頬が緩む。
そして、どことなくそわそわとする様子をしばし堪能した後、彼女が待っているだろう言葉を口にした。
「ドレス、似合ってるよ。――すっごく」
"血騎士"の二つ名に合わせたのだろうか。レベッカの淡い桜色のドレスとは違う、深い赤。
裾が長いロングドレスだが、布を幾重にも重ね、巻いただけのようにも見える潔さ。少なくとも私には着こなせないデザインだ。
肩が剥き出しなのもそうだけど、一番は胸。
義理の姉なのにドキドキする魅力に溢れつつも、本人が堂々としているので嫌らしさはない。
髪はいつものポニーテールだが、結んでいるリボンとか、三日月形の髪留めとか、金鎖のネックレスとか、所々がいつもよりお洒落だ。
そして腰には、ドレスに似つかわしくないようでいて、ぴんと背筋が伸びて姿勢のいい彼女には最も似合う『装身具』――長剣と短剣がぶら下がっている。
今日のために手入れされたのだろう。柄と鍔をはじめとした金具がぴかぴかに輝いていた。
まあ、それよりも輝いているのは、褒め言葉に顔をほころばせているブリジットの笑顔なのだけど。
お互いに自然な動作で、軽く抱きしめ合う。
身体を離すと、視線を交わした。
「妹を頼むぞ。……色々とな」
「うん。……色々とね」
そして笑い合った。
――挨拶回りをほどほどに終えると、私は控え室に戻っていた。
一匹バーゲストをローブの裏から出すと、待ち時間の間の相手になってもらう事にした。
ぶんぶんと振られる尻尾を愛おしく思いながら、頭を撫で、顎裏を掻き、背中をガシガシと撫でて、軽く抱きしめて、頬ずりする。
そうしながら、少しだけ、独身最後の時間というものを噛み締める。
身体を離して、バーゲストの焦げ茶の瞳を見つめた。
「ねえ。私が、結婚式だって。それも、ダークエルフのメイドさんと。――信じられる?」
返事の代わりに、私の手にもふ、と顎を載せてきたので、そっと顎裏から首元へと手を伸ばしていき、絡み合った毛に指を差し込んで、手櫛ですいた。
私は、いくつの物をなくしたか、分からない。
家族も、記憶も――自分の名前さえ、この世界に来る時になくして。
それから積み上げた物を、あの戦争でまた、沢山失った。
何百という部下の命が、戦場ですり潰されていった。
そして私は、この世の地獄を作った。
今の平和は、味方と、それ以上に敵の――人間の屍の上に作られた、血塗られたものだ。
もう……血は見たくない。
けれど、同時に私は我が儘で非道の悪鬼だから、こうも思うのだ。
この上なお剣を抜こうと言うなら、血を見なければ収まらない。
ノックの音が聞こえた。
私は最後にバーゲストを一撫ですると、ローブの裏に迎え入れる。
「"病毒の王"様。お時間です」
置いていた杖を取ると、部屋を出る。
そして待っていたエリシャさんにお礼を言う。
「ありがと、エリシャさん。……気を付けて」
「はい。お二人の晴れ姿を見逃さないように気を付けます!」
この場でそう力強く断言出来るエリシャさんは、メンタルが強い。
それとも――私達を信頼してくれているから、だろうか。
隣の控え室の扉がエリシャさんによって開けられ、しずしずとリズが出てくる。
「少し時間を置いて見るとまた可愛いね」
「……マスターは緊張とか、しないんですかね?」
「うん。さすがに緊張するよね」
「そうですよね」
「ほら、指輪の交換とか誓いのキスとか。もし緊張のせいでなんか失敗したらごめんね。結婚式の面白失敗エピソードとか思い出すと、不安になって」
「え? 面白失敗エピソード? ……あの、マスター。この後予想されている戦闘に関する不安とか……」
「ないとは言わないけど、緊張はしてない」
呆れ顔になるリズ。
ウェディングドレスだと、いつもの呆れ顔がまた違った可愛さと、趣がある。
「私は、皆の事を信頼してる。私の故郷の言葉にいわく『戦いは始まる前に決まっている』。――今日まで私達が積んだ全てが、あいつらが積んだ全てに劣るとは、思わない」
「……ええ、そうですね」
リズが私と、手を繋ぎ、そしてお互いに自然に指を絡めた。
空いた手には、それぞれブーケと、"病毒の王"の杖。
「行こう、リズ」
「ええ、マスター」
私は、"病毒の王"。
種族、上位死霊。
目標、リズと幸せでいる事。
それを邪魔する全てが、私の敵。




