純白の幸福
待ちに待った日がやってきた。
この結婚式が罠としての性質を持っているゆえの不安はある。
しかし、期待の方が大きく、私は控え室でそわそわと待っていた。
王城の中庭を一つ開放しての、ガーデンパーティー形式の結婚式だ。
式の流れは、参列者の前に姿を見せ、挨拶をした後、指輪の交換と誓いのキスをするという、地球でもありそうなもの。
宗教要素は特になく、人前式と言えるだろう。
その際の婚礼衣装は種族と、予算と状況による。
私は"病毒の王"の衣装――つまり、魔王軍最高幹部としての正装であり、これがフォーマル完全対応の礼装だ。
同時にプライベートな場でもあるので、仮面はなし。一度真っ二つに割れた物を修理したが、今日は出番がない。
拡声魔法は使えるし、地獄のような重低音を出す変声機能も、遠視能力も必要ないと判断されたからだ。
礼装の一部でもある杖を肩にもたせかけながら、青い宝石を繋ぎ止める鎖をしゃらしゃらと小刻みに揺らす。
ノックの音がして、次いで声が聞こえた。
「"病毒の王"様。エリシャです。準備が整いましたので、どうぞ」
「はい!」
ばっと座っていた丸椅子から立ち上がると、ドアを開けて廊下に出た。
「私……変じゃない?」
「お似合いですよ」
リズの控え室は隣の部屋だ。
そちらの扉を開ける前に、エリシャさんに聞いた。
「エリシャさん。……衣装担当と進行役を買って出てくれたのは嬉しいけど、式に参加するのは、命の危険があるかもしれない。今からでも、誰かに代わってもらう事も出来る……けど……」
「え? 命の危険? 私は"病毒の王"様とリーズリット様を信じてますし、大体、自分が手がけたドレスを着る、可愛い女の子と可愛い女の子の結婚式に出て、その晴れ姿を一目拝まずして一生を終えるなど魂が許せませんね、ええ……!」
力強く断言するエリシャさん。
熱血。
それ以上は、何も言えなかった。
戦士ではなくとも、覚悟を決めている人に、それ以上何を言えるだろう。
「リーズリット様。エリシャです。"病毒の王"様をお連れしました」
「――どうぞ」
いつものリズの声。
どきどきしながら、ドアを開けた。
「っ……」
胸が詰まって、言葉が出ない。
「……どこか、変ですか?」
それを違った方向に解釈したらしいリズの顔が少し曇る。
「違う! その……綺麗すぎて」
「え!? も、もう」
ブーケを顔の前に寄せて、赤らんだ頬を誤魔化すリズ。
エリシャさんが無言で、しかしふふんと胸を張ってドヤ顔をするのも当然だ。
「ドレスのラインがすっごく綺麗……!」
「ふふ……」
豊かな胸の下からすとんと落ちるエンパイアラインのドレスは光の加減で淡いブルーに見える白。ダークエルフの褐色肌に映えて、ただの白よりもなお輝く色だ。
「背中のリボンも、ほどきたくなるぐらい魅力的だよ」
「……ダメですよ?」
ドレスの背中に配されたリボンは、いつものメイド服に似ているせいか、初めて見る衣装にも関わらず、どこかほっとする。
「花嫁さんのベールって、なんでこんなに優美なんだろうね」
「雰囲気出ますよね」
メイド服のホワイトブリムの代わりに、薄いベールを束ねるカチューシャは布製の花と葉で彩られ、髪も少しだけ編まれて、いつもよりも一段大人っぽい。
「フィンガーレスタイプのグローブは指輪交換がしやすいって言うけど、手が見えるのがいいよね。……リズの手、綺麗で大好きだよ」
「べ、別に普通ですけど?」
肩を見せながらも格調の高いロンググローブは指なしタイプで、白百合モチーフの刺繍で飾られていた。
「ブーケって実は貰った事ないんだ。……可愛い薔薇だけど、リズの愛らしさの前では霞んじゃうね」
「その甘いボキャブラリーはなんですか……?」
手元のブーケは、花弁の細かいベージュのオールドローズで、蔦が絡み合いながら垂れている。
「いつものマフラーも、色が変わるとイメージ違うね。高級感が出て素敵だよ」
「す、素敵ときましたか」
首に巻かれているマフラーはいつもの品で、今も機嫌良さそうにぴこぴこと揺れているが、幻影魔法で白に変わっている。
「お花のモチーフがそこかしこにちりばめられてるのがまた。まあ一番可愛い花はリズなんだけど」
「……っ――」
マフラーにあしらわれた白百合のコサージュに、腰元のすずらんモチーフの布飾りが、ベール留めとブーケの花と相まって、華を添える。
「……ペンダント。モチーフお揃いだね」
「――はい」
そして胸元にきらめく銀のペンダントは、ノイエン工房謹製で、"第六軍"紋章『短剣をくわえた蛇』――私のフードの留め金具と同じモチーフ。それだけの事で、お揃い感が出て嬉しい。
蛇は、私。
彼女は、短剣。
私達がデザインしたものではないその意匠は、創立時より"第六軍"に与えられ、そして私自身を象徴する物となった。
けれど、私は一人でここまで来たわけではない。
沢山の人に支えられてきた。
私は"病毒の王"。"第六軍"の軍団長であり――たった一人で何かを成し遂げた英雄ではないのだ。
ただの蛇ではなく短剣をくわえているのは、そういう事だったのかもしれない。
リズの手を軽く握り込み、顔を寄せて、彼女の金色の瞳を覗き込んだ。
「私は――幸せ者だね。この世界で……ううん。どんな世界を含めても、私にとってリズが一番可愛い花嫁さんだよ」
そして頬に軽く口付ける。
唇にしたい気持ちはあるのだが、今日は特別な日だ。さすがに今するのは。
「ほ、他に言う事はないんですか」
「今すぐ食べちゃいたいぐらい可愛――」
べちん、とブーケが頬に当てられる。
「そういう事を言っているのではありません! 本日の作戦行動の進捗などについてお聞きしたのです!!」
「特に問題があるとの報告は来てないし、定時連絡も途絶えてない。大丈夫だよ」
「それは何よりです」
「それでね。リズの肌に白いドレスが映えるのが可愛いし、ダークエルフの耳にベールが当たるのとかたまらない。どこもかしこも可愛くて綺麗で――あう」
ひゅん、とマフラーが目元を叩く。
色が白になっても、健在の技だ。
「分かりました! もうよく分かりましたから! 会場のチェックがてら、挨拶回りでも行ってきて下さい!」
「え、まだもう少しリズのウェディングドレス姿を見て褒め倒したい」
「後でじっくり見せたげますから!」
そして私は廊下に押し出された。
ふと、結婚は人生の墓場という言葉が頭をよぎる。
「『結婚は人生の墓場』……か。うん、こんな墓場なら、みんな喜んで入るだろうな……」
古墳にピラミッドに始皇帝陵などなど、死後のお墓を豪華に飾り立てた例はいくらでもある。
不死生物になった身でもある事だし、ここが人生の終着点というなら、それはそれで悪くない。
ただ、許されるのなら。
この幸福が、人生の中で最高の物ではないといい。
「……大好評でしたねえ」
"病毒の王"が退出した後の控え室で、エリシャが呟いた。
「職人冥利に尽きるってものですよ。……後、すごく甘かったですね」
「糖分過多ですよ! ……もう……」
真っ赤になった頬に手のひらを当てて、火照りを取ろうとするリズ。
「聞いててドキドキしました。女の子同士もいいなって思わせてやるとか言いましたけど、なんかもうごちそうさまっていうか満足した気も」
エリシャが、うんうんと頷く。
「……もう、ほんとに」
リズが、ブーケで口元を隠す。
「……仕方ないんですから、あのひとは」
その口元が、ゆっくりと引き結ばれた。




