暗黒騎士団長の醜態
「う……頭が……」
私――ブリングジット・フィニスは、目覚めた瞬間襲ってきた猛烈な頭痛に呻き声を上げて、顔を枕に押しつけた。
「おはよ、ブリジット。朝だよ」
固まった。
知らないベッドの中。
自分は裸。
そろそろと視線を向けると、隣には裸の――"病毒の王"。
半透明に透けた肌は、黒髪の対比と相まって、ダークエルフである自分の褐色肌と比べると真っ白にさえ見えた。
時が止まったように感じられる瞬間の中、頭だけがズキズキと痛む。
「あ……あの?」
「うん、なあに?」
今の状況を異常と思っていない、自然な笑顔で返される。
おそるおそる、状況の把握に努める。
「昨夜の事……覚えてるか」
一瞬目を見開いた彼女が、口元をゆっくりと笑みの形に引き結ぶ。
「もちろん。……ブリジットが情熱的だったから」
また固まる。
昨夜、何があったのだ?
リタルサイドから王都までやってきて、この屋敷に泊まる事になった……というところまでは覚えている。
その後の記憶がない。
ドアがノックもなく開いた。
「マスター? そろそろ起きて――」
そして勝手知ったるといった気安さで入ってきたリズと目が合う。
青ざめた。
自分は裸。
隣には裸の、妹の恋人。
一瞬、「やましい事は断じてない!」と叫ぼうとした。
しかし、そこではたと止まる。
本当にないのか?
さっきの"病毒の王"の意味深な言葉と、今の状況。
「……マスター、状況説明を要求します」
目の前の妹が、赤いマフラーをしゅるりと両腕に巻き付け、さらにスカートをはね上げ、目にもとまらぬ速さで両手に黒い大型ナイフを握り込む。
目からは光――感情が消えた。"最適化"の呪文だろう。
今の彼女は、"薄暗がりの刃"。
完全武装の自分でも、隙を突かれれば負ける。
そして今の自分は、文字通り丸裸だ。
今は、妹が怖い。
「やましい事は断じてないよ?」
「この状況でそう言えるマスターは図太いですね。姉様でも浮気ですよ」
「リズは、浮気した本人を殺すタイプ? それとも、浮気相手?」
何故か、本気の妹を前にしてなお、隣の"病毒の王"はにこにことしている。
さらに、妙に怖い質問などする余裕っぷり。
「浮気した本人ですね。あくまで殺すなら、ですけど」
"病毒の王"は元人間だが、今は上位死霊だ。訓練の成果も出ている。
それゆえの余裕かもしれないが、妹なら、殺し切れる。……はずだ。
「リズ、お姉ちゃんが怯えてるよ」
「大丈夫ですよ姉様。何かあっても死ぬのはマスターだけですから」
何も安心出来ない。
「や、あの。……リズ」
「……はあ」
リズが目を閉じてため息をついた。
目を開けた時には、いつもの妹の目だ。――呆れをたっぷり含んでいるが。
腕に巻いたマフラーをほどき、ごそごそとスカートの内側にナイフを戻すリズ。
「どうせ、ちょっとからかおうって思っただけでしょう? 姉様は記憶がないみたいですし」
「うん」
「さっさと服着て下さい。姉様も」
「はーい」
「あ、ああ……うん」
二人して、手渡された着替えを着ていく。
なんとなくどぎまぎするが、"病毒の王"は気にした様子もないので、私も同じように振る舞う。
「……でも、あんまりそういう冗談はやめて下さいね。……姉様と比べられたら……」
リズが、不安げに目を伏せる。
妹なのに、そのいじらしさに、思わず胸がどきんとした。
そして隣の"病毒の王"も同じだったようで、素早く抱きついていた。
「マスター!?」
「ごめんねリズ」
「んっ……」
そしてそのまま唇で唇を塞ぐ。
この行動力は見習うべきだろうか。
妹と友人の色っぽい一幕に、思わず目が離せないでいたら、リズが、アイコンタクトで「見ないで下さい」と言っているのが分かった。
その顔は、耳まで真っ赤だ。
つい、目が離せない。
しばらくして、リズが"病毒の王"を突き飛ばした。
「っ――はあっ! マスター、私が呼吸が必要な種族だって忘れてやしませんか!?」
「鼻ですればよかったのに」
「してましたよ。でも余裕奪いに来たのはマスターでしょう」
「舌入れただけだよ」
「ふつーは、こういう時はキスしないか、しても頬とかに軽いキスですませるんです!」
「なんで?」
「姉様が見てるでしょうが!」
「私、リズしか見てなかったから」
ちくり、と胸が痛んだ。
「リズが可愛すぎるのが悪いんだよ」
「私のせいにしないでくれますか」
さっきまでの緊迫感は欠片もなく、いつもの二人に戻る。
まっとうな苦言を呈する妹と、にこにことそれを受ける彼女とは、じゃれ合っているようにも見えた。
「あの……それで、私はなんで裸で寝てたんだ?」
「ブリジット。ワインを一ケース、ほとんどリズと二人で全部空にしたの、覚えてる?」
「……ああ、そんな事もあったな」
名目は何のだと聞いていたか。
何か、大量注文を出して、そのサンプルとして、すごくサービスされたとかなんとか……。
「リズは一本目空けたところで、早々に寝たんだけど」
「つまり、私は残りを一人で空けたのか?」
「私も少しは付き合ったけど、大体そうなるね」
酒には強い方だと思っていたが、気を緩めすぎただろうか。
単純に飲みすぎとも言う。
何故そんなにもペースを上げたのか覚えていないが、アルコールとはそういうものかもしれない。
「……その後は?」
「お風呂に入りたいって言って、酔ってるから止めた方がいいんじゃ? って言ったんだけど、私に"粘体生物生成"得意だろーって使わせて、一緒に入れって言ってきて、延々ウーズ追加した長風呂でのぼせて、その後仕方ないからベッドに」
「聞くんじゃなかった……」
ひどい醜態だった。
思わず赤面してしまう。
「つまり裸で寝てたのは冗談じゃないんですね」
「それが礼儀かなって」
「なんの礼儀だ」
「一人だけ服着込んでるのも失礼かなってさ」
「そんなわけ……いや、そう……なのか?」
あまりに平然と言い切られると、妙な説得力がある。
「姉様、騙されないで。マスターは適当言ってるだけです。私を呼んで寝間着を着せるか、一人で寝かせるのが普通のマナーです」
「そうだよな」
「でも、ずっと手を離してくれなかった……というか、かなりの時間抱き枕にされてたし……私、かなり頑張って耐えたよ?」
「……何を耐えたんですか」
「リズを呼んで三人でお楽しみとかかな。ほら、二人だと浮気じゃない?」
「マスターの倫理観がろくでもないのは分かりました」
「……いや、今回は私が悪かった。すまん」
「それとマスターのろくでもなさは別ですよ」
「だが、ちゃんと恋人に気を遣ったんだ。そこは信じてやれ」
「信じてはいますけどね……時々、幅広く不安になるんですよね……」
リズが遠い目をする。
「そ、そうか」
一つ息をついた。
「……色々と、世話になったな」
「いいんだよ。未来の義姉なんだから」
「……ん? あね?」
妙な響き。
「ねえリズ。もしかして、ブリジットって、飲みすぎると記憶なくすタイプ?」
「私も実はよく知らないのですが。そうみたいですね」
「……つまり?」
「法律改正の準備が進んでて、アンデッドとデーモンとドラゴンもきちんと住民登録する事になって、同性同士とか、今まで出来なかった種族とも結婚出来るようになるよ。それで、新制度適用の第一号として、リズと結婚式するから、式には来てねーって話を昨日した……んだけど、やっぱり覚えてないねその顔は」
全く記憶にない。
というか。
「……何を言ってるんだ?」
恋人なのは知っているし、応援しているつもりだ。
しかし――結婚?
「リズ」
「戸籍と結婚制度の話はマスターの通りです。私達の式は……制度の宣伝が、表の目標ですね。裏では不穏分子を誘い出して、過激分子を炙り出して狩り出す作戦の『囮役』を兼ねています」
「……なるほど。一応分かった……と、思う。――危なくはないのか?」
「『絶対安全な作戦』なんて危ない物に参加する気はないよ」
彼女は実にさらりと言う。
「まあマスターの言う通り絶対はありませんが……今さらです。まだ打診中ですが、出席する最高幹部はマスターを除けば、姉様と、ラトゥース様を予定しています。それに"第六軍"の死霊騎士達の腕はご存知でしょう。彼らも式に参加します」
魔王軍最高幹部だけで、三人。
「それは……もう手を出さないんじゃないか?」
「私もそう思ったんだけど……どうもね。『魔王軍最高幹部』の凄さを今一つ分かっていない輩がいるみたいで……」
「――ほう?」
私はにっ、と笑った。
「私は、そいつらに『魔王軍最高幹部』がどういったものか教えて差し上げればいいのだな?」
「そういう事だね。……期待してるよ」
「任せろ」
この期待に応えずして、何のための最高幹部か。
「そうだ。結婚するなら、結婚祝いが要るな。何がいい? なんでもいいぞ」
「なんでもいいの?」
「まあ、私に出来る範囲ならな」
ふと、こんな会話を前にもした、と思った。
あの時は、そう……名前のブリングジットを、ブリジットと縮めて呼んでいいかと聞かれたのだ。
暗黒騎士団長に対して――何も持たぬ身で、安全の保証や、より良い部屋や食事よりも強く、そんなものを望んだ人間がいた。
彼女が、黒い瞳で私をじっと見つめる。
「じゃあ……"お義姉ちゃん"って、呼んでいい?」
「……ん?」
理解が追いつかず、固まった。




