ふたりきりの工房
三人の来客が帰った後のノイエン工房。
「さあ、お願いしますね、ノイエン。上客の予感ですよ。対応も丁寧でしたしね。法律改正後、初の異種族同性婚……何より『あの』"病毒の王"の結婚式ともなれば、話題性抜群です。宣伝効果にも期待出来るってもんですよ……」
カップを片付けながら、ふふふ、と怪しげに笑うシーカ。
そして、その笑みが少し陰った。
「……でも、結婚式とか、ちょっと羨ましいですね。お似合いでした」
「……なあ、シーカ」
「なんですか? 材料費は頂きましたし、納期は短めですが……まあ、今は他のお仕事ありませんし、大丈夫ですよね?」
「おれ、あんな風に出来るって、思ってなくて」
「……何を?」
話が見えず、けれど真剣な表情のノイエンに、シーカもまた真剣な表情になる。
「……女同士で……結婚ってやつ」
「……ノイエン?」
「少し、待っててくれ」
「え、ちょ、待」
ばたん、と応接間のドアが後ろ手に閉められ、ノイエンの姿が廊下へと消える。
その先は工房だ。
「な、なまごろし……」
一人で待っている間、悶々と、様々な想像が彼女の頭の中を巡る。
いい事も――悪い事も。
「わりぃ、待たせた」
「……あ、ノイエン」
「し、シーカ!? どうした? どっか痛いのか?」
「何が?」
「だってお前、泣いて」
「……え?」
言われて初めて気が付いたが、確かに目尻に涙が浮かんでいる。
色んな想像が頭を駆け巡って。
その想像の中には、幸せな物もあって。
でも、想像するだけで泣きたくなるような、辛い物も。
慌てて目尻の涙を袖で拭う。
「い、いや。これは違うっていうか」
「何が違うんだよ」
「ノイエンがいなくなるのを想像したら、ちょっと悲しくなっただけ!」
「……おれが? なんで」
また、じわ、と涙が滲んだ。
「だって。私、いなくても、ノイエンの腕があれば……この工房は、やっていける、から」
ノイエン工房は、ノイエンの彫金技術を軸に存在している。
窓口も、軍工房の見習いにさえなれなかったような弱い付与魔法も、彫金工房に絶対必要な物ではない。
シーカ・ブランドは、軍人だった。
軍時代の事は、あまり思い出したくなかった。
彼女は優秀な軍人だった。王城直属の兵として採用され、そして暗殺者として素質を見出され、訓練を受けた。
けれど、軍に入ったのは――軍直轄の魔法具工房への採用を望んだからだ。
戦争を前提に築かれたリストレアという国において、最高峰の技術が集う場所。
彼女にとって不幸だったのは、したい事と出来る事が、致命的に食い違っていた事だろう。
魔法具工房の試験を受け、しかし転属の希望は、通らなかった。
彼女自身がよく分かっていた。
軍が欲しがるほどの才能も、軍が育成に時間を掛けたいと思わせるほどの素質も、ない事ぐらい。
それでも、何かを作る生き方に憧れた。
軍時代の思い出は、ほとんどが灰色で、思い出すと、少し胸が痛む。
お前は――お前の意志など必要ないと、言われている気がしたから。
だから、ノイエンに憧れたのだ。
『あの』レベッカ・スタグネットに認められるほどの腕を持つ彼女に。
無数の二つ名を持ち、"第四軍"の序列第七位にして――王城の魔法具工房で数々の成果を上げる……それ以外の才能も併せ持つ、ベテラン魔法使いに出資を提案されるほどの。
自分がしたのは他人の夢に、自分の夢を重ねただけだった。
しかしノイエンは、真顔で言う。
「……いや、シーカがいなくておれ一人だと、潰れると思うぞ?」
ノイエンの本質は職人だった。
獣人として人並みに戦士としての生き方に憧れ、そのために腕を磨き――外見は自分の半分ぐらいにさえ見えてしまうほど、ちびっこい女の子に、そのプライドをへし折られた。
そしてそのへし折られたプライドを慰めるように、手慰みに夕食に使うスプーンなど、木を削って作っていた時の事。
ちっぽけなプライドを完膚なきまでにへし折ってくれた張本人が、いつの間にか背後に立っていて、叱責を覚悟してぎゅっと目を閉じた彼女の耳に届いたのは、予想とは全く違う言葉だった。
――「へえ、上手いものだな」……と。
実際レベッカ・スタグネットは、公平に見て、自分達が『態度を改めた』後は、良い隊長だったと言っていい。
ただ、どうしてもつい、出会った時の事が……思い出され……る……だけ、で。
それを思い出すだけで、身体が震えるだけで。
「の、ノイエン?」
「い、いや。うん。ちょっと昔を思い出しただけだから」
早口で言うと、頭を振って、ガタガタと思わず震え出すような記憶を振り払う。
一軒家を自力でリフォームし、工房を開いた日の事を――彼女、ノイエンはよく覚えている。
希望と自信に満ち溢れた、輝かしい瞬間の事を。
その後数ヶ月、販路も開拓せずに作りたい物を作っていたら材料費だけで『隊長のご厚意による出資』と、自分の貯金を合わせた工房運営資金をほぼ全額溶かした時の事も。
つまり彼女は、いい物を作れればそれでいいという、良くも悪くも本当に職人気質だったのだ。
「うちの工房は、シーカがいなかったら、今頃潰れてる。間違いない」
どうして『ただの軍時代の友人』だったシーカに相談しようと思ったのかは分からない。
彼女には、散々金銭感覚のなさと計画性のなさを怒られ――その後、てきぱきと各所へ飛び込み営業を掛け、趣味によって生まれた品を売って当座の資金を手に入れながら、注文を引き出していく様は――魔法のようだった。
今でも当時の在庫が、残っている。
たまに思い出したように売れはするものの、今の工房は基本的に注文を受けて作るスタイルで――高価な素材に手間を掛けた以上、値段はそれ相応になる品が趣味にぴったり合う確率は、そう高くないのだ。
ノイエンはシーカの手を取って、ぎゅっと握りしめた。
体格差があるため、大きな手の中にすっぽりと収まる。
「あの時の言葉を、もう一度言わせてくれ。『シーカ。おれを支えてくれないか』」
「……もう。言いましたよね。そういうプロポーズみたいな言い方はやめろって」
当時も「はい」と勢いに呑まれ頷いた後、説教をしたシーカだった。
ノイエンは、性格なのか、そういった事を不用意に口に出す癖は全く直らないが――
「みたい、じゃない」
「はい?」
ノイエンはごそごそとエプロンのポケットの一つから、小さな布張りの箱を出して見せた。
そしてひざまずいて開きながら、シーカの目をまっすぐに見つめる。
「結婚してくれ」
――金の、それぞれ二重構造になったペアリング。
それが自分達のサイズに合わせられた物だという事が、シーカに分からないはずもない。
「……い、今、いくつ過程をすっ飛ばしたの!?」
一瞬だけ想像した甘い夢。
有り得ないと切り捨てた――ノイエンが指輪を差し出してプロポーズする……「ないない」と笑ってしまうような、そんな急展開。
「……おれ。シーカにずっと甘えてるって思ってて。いつか、シーカがいなくなる事を、ずっと考えてて。そうなってほしくはなくて。でも、何も出来なくて。……気付いたら、こんなもん作ってた。ずっと、しまいっぱなしだったけど」
「あ、これ純金!? まさか」
「大丈夫。ちゃんと自腹だよ」
「良かっ……いや、待って。結婚も出来ない女相手に、なんでこんなもん作って」
「……正直、女とか男とか、割とどうでもいい。おれを支えてくれたのは、シーカだ。そういう形にはならないと思ってたけど。――そうしてもいいんだって、あのひとが目で言ってくれた気がしたから」
非道の悪鬼にして人類の怨敵。
そして、戦争の英雄。
かつての上官のその後をなんとなく気に掛けていたら、いつの間にか"第四軍"だったはずの彼女は"第六軍"に転属し、その上で、ベテランらしくどんな環境下でも成果を上げて見せた。
かの"病毒の王"は、名前を聞くだけで冷や汗が出るほど頭のおかしい経歴を――他の魔王軍最高幹部と比べてさえ、血が凍るような『戦果』を重ねた。
しかし、怯えたのは束の間。
軍時代培った観察眼は、目の前の存在が規格外だと伝えてくるが、そんな事は問題ではない。
自分の相方の事が大好きだと、全身で言っていた。
ぐい、とシーカの手を取って、左手の薬指に指輪を通す。
「の、ノイエン」
「嫌なら外してくれ」
「……馬鹿」
ぽすん、とシーカがノイエンの豊かな胸に額を押し当てる。
「嫌なわけ……ないでしょ」
彼女はもう一つの指輪をケースから取ると、ノイエンの太く、ごつごつした指に通した。
そして背伸びをして、彼女の頬に軽く口付ける。
「ふつつかな窓口だけど……これからもよろしくね、チーフさん」
「……なあ、マスター」
「どしたの、レベッカ。なんか驚く事があったような顔してるけど」
「分かるのか。い、いや。あのな? 進捗を聞きに行ったら、ノイエンとシーカが婚約したとか言うもんだから」
「ノイエンさんプロポーズしたのかなあ」
「ああ、ノイエンからしたらしい。……何かしたのか、マスター」
「いいや?」
「じゃあなんで驚かないんだ? そういう気配なかっただろ」
「そう? あの二人、お互いの事大好きだよね。お似合いのコンビだったから、くっついたらいいなーとは思ったけど」
「……なんで付き合いの長い私より先に、そういうの分かるんだ?」
「勘」
「……あ、そうか」




