腕のいい彫金師
リズが、昼下がりの日差しに照らされた、煉瓦造りの一軒家の前で首を傾げた。
「ここ……ですか?」
「ああ、ほら」
レベッカが指し示した表札……というか看板はシンプル。「彫金承ります」とだけ真鍮製らしいプレートに刻まれていて、一見さんお断りといった雰囲気だった。
別に一見さんお断りではないらしいが、こんなシンプルな看板に気付いて、かつ、わざわざ店の門を叩こうという人は少ないとか。
――リタルサイドでかつてレベッカが言ってくれた「腕のいい彫金師を手配する」という言葉。
あれは……たわむれで。
リズのいつもと違う顔を少し見てみたかっただけで。
ただ、彼女の左手の薬指に、指輪をはめたいと思った気持ちに嘘はない。
そして、レベッカと縁のある、王都に工房を構えている彫金師の元を訪ねているというわけだ。
レベッカが、紐を引いた。内部のベルに繋がっている……はずだが。
しばらく何の音沙汰もない。
レベッカが、紐を引いた。そしてぐいぐいと引き続ける。
しばらく経ったところで、ようやくドアが開いた。
「……あーい……なんだい、お客さんかい……?」
ドア枠にぶつからないように頭を下げて、のそりと出てきたのは、大柄な、犬系の獣人女性だった。焦げ茶の垂れた耳に、同色の長い髪。眠そうな声に半分閉じた目。
作業着らしい、白いシャツに職人らしいシンプルな茶色のエプロン。
順繰りに、リズ、私、レベッカと視線が移っていく。
その目が、かっと見開かれた。
そして、先程までのダウナーな雰囲気を振り払うように踵を打ち合わせ、背筋をぴんと伸ばし、両手を後ろ手に交差させ、直立不動になった。
「失礼をいたしました! スタグネット隊長!」
「楽にしろ。私はもう隊長ではないぞ」
「は、はい。申し訳ありません」
「だから楽にしろと……まあいいか。マスター、こちらはノイエン。以前はリストレア魔王国"第三軍"に所属していたが、退役後王都で彫金師をしていて、腕は確かだ。私が保証する」
「光栄であります! ……え、スタグネット隊長の……『マスター』?」
何故かガタガタと震え始めるノイエンさん。
薄茶色の瞳には、はっきりとした怯えの色が見て取れる。
「……ねえレベッカ。何したの? そもそも"第四軍"にいたレベッカを『隊長』って、どういう関係?」
"第三軍"獣人軍と、"第四軍"死霊軍は、命令系統が違う。
リタルサイド城塞や王城のように、複数の軍が統合して運用されている事もあるが、それでも部隊は各軍ごとに独立しているのが普通だ。
「"第三軍"とは狩りの時など、一定の交流がある。その時、私が一時的な編成で『隊長』を拝命して、な」
「なるほど。……で、なんでこんなに怯えられてるの?」
「あー……なんとなく分かると思うが、獣人達には結構跳ねっ返りが多くてな。特に、若いやつ」
「うん」
アイティースの顔がちょっと頭をよぎったのは内緒だ。
「私はこの外見だろう? 有名ではあるが、それは魔法使いとして……特に技術分野の功績が大きい。そこで、侮った奴の鼻っ柱をへし折ってくれって依頼が、時々……な?」
大体察した。
自分より遙かに巨大な熊相手に取り付いて、ゼロ距離魔法を叩き込めるレベッカの事だ。
レクリエーションの腕相撲とはいえ、上位悪魔のサマルカンドと、近衛師団の暗殺者であるリズさえ筋力で圧倒して見せた。
ベテランの戦士ならともかく、近接戦闘でも、新米に遅れを取るはずがない。
さらに、言葉は選ぶが遠慮はない毒舌さ。もちろんTPOもわきまえているが、そんな彼女が『鼻っ柱をへし折ってくれ』という依頼に合わせたなら……?
さぞかしギャップに慢心を打ち砕かれる事だろう。
しかし、今回は軍関係の依頼ではない。
私は結婚式を罠に使うつもりだが、彫金師としての彼女に会いに来たのだ。
「えーと……怖くないよー」
両手を広げてひらひらと振り、何も持っていない事をアピールする。
「は、はあ……あの、お名前を……」
「"病毒の王"です」
にこやかに自己紹介する。
「ひいっ!」
後ずさってドアにぶつかるノイエンさん。
「……ねえ、レベッカ。今なんで怯えられたの?」
「……まあ、噂だけなら仕方ないだろ。――ノイエン。"病毒の王"の事を、どんな風に聞いてるんだ?」
彼女は、怯えたように私から目をそらしつつも答えた。
「敵地に数百人で殴り込みを掛けて、人類絶滅を果たした、あの黒妖犬をはべらせてるっていう、決戦で一度死んで蘇った非道の悪鬼……」
「嘘がないんだけど」
「諦めるか」
「――あ! お客様ですか?」
そこにどうやら助け船が。
彫金師のノイエンさんの髪色と似た色の焦げ茶のスカートに、手には紙袋。買い物帰りらしい彼女は、ダークエルフだった。瞳はダークエルフに一番多い金色で、薄い金髪を頭の後ろでゆるいお団子に結い上げている。
「し、シーカ」
「……ノイエン?」
シーカというらしい彼女は、ちらりとノイエンさんの方を見る。
そしてレベッカの方を見て、軽く頭を下げた。
「レベッカ様。ご無沙汰しております。それで、どのような状況でしょう?」
「ノイエンの腕を見込んで依頼に来た……のだが。怯えられて、話が進まなくてな」
「怯え……? ノイエン。一体どうしたんですか」
「だ、だって、『あの』"病毒の王"だぞ?」
「……何かされたんですか?」
「いや……挨拶された、だけだな」
「礼を失する事なく依頼に来られたのならお客様です」
片手を腰に当てて、きっぱりと断言するシーカさん。
「さあ、皆様どうぞ中へ。お茶などお出ししますよ」
「でもよう……ろ、"病毒の王"だぞ?」
「――ノイエン?」
声色が一段冷え、剣呑な物が混じる。
そしてびくりと震えて黙ったノイエンさんに、少し柔らかい口調で続けた。
「言ったでしょう。お客様だと。それも腕を見込んでと。職人として誇りこそすれ、怯える筋ではありません。もしも無茶な事を言われたら私が対応します」
きっぱりと宣言するシーカさん。
好感度が上がった。
腕は確かだが世渡りは下手な職人の、女房役といった所だろうか。
シーカさんが、ドアを開けてノイエンさんを押し込んだ後、私達に向き直る。
「改めて歓迎します。――ノイエン工房へようこそ」




