叙任式
謁見の間の赤絨毯を、杖を持たず一人歩む。
千人は軽く入れそうな大広間には、ほとんど人気がない。
赤絨毯の両脇に、黒い鎧に白いサーコートをまとった近衛騎士達が並ぶだけの、叙任式。
私は赤絨毯の終端、玉座の前にひざまずいた。
陛下が一段高い玉座より降りてきて、曲がりくねった木の杖で、私の肩をとん、と叩く。
しゃらりと鎖が揺れ、繋ぎ止められた青い宝石の光が目に入り、私は仮面の下で目を細めた。
そして陛下の御言葉を聞く。
「"病毒の王"よ。そなたに、魔王軍最高幹部の地位を与える」
「光栄の至り……」
台本通りの言葉。台本通りの動作。
「本日付けで設立された"第六軍"の軍団長を務めよ。そなたの忠誠を期待しよう。病と毒の王よ」
陛下が差し出した杖を押し頂き、中腰で数歩下がった後、背筋を伸ばした。
後は「改めて忠誠を誓いましょう、陛下」と言って、ローブの裾を踏まずに退室するだけだ。
「それでは、着任の言葉など聞かせてもらおうか」
私は固まった。
待って陛下。
なんで台本渡して、リハーサルまでしておいて、アドリブぶっ込むんですか?
思わず仮面越しに視線を向けてしまうが、視線の先には微笑まれる魔王陛下。
最高幹部として試されているのか、単に息抜きとして遊んでいるのか、どっちだろう。
前者だと信じたい。
一つ息を吸い、覚悟を決める。
「私は、"病毒の王"! 目標、人類絶滅……!!」
厳かに叫び、杖の石突きを石畳に打ち付け、打ち鳴らした。
火花が散り、近衛騎士達の肩がびくりと震える。
「リストレア魔王国の平穏を脅かす全てが、私の敵!」
私は、この国で生きると決めた。
ゆえに、この国の平穏は私の平穏。
この名前を名乗る事を決めた瞬間から、もしかしたら、もう平穏など望むべくもないのかもしれないが。
だからこそ、私はそれこそが敵なのだと宣言する。
陛下の笑みが、深くなった。
穏やかさの中に凄絶さを秘めた笑みの深さに、背筋がぞくりと震える。
……伊達に魔王を、名乗っていない。
「――改めて忠誠を誓いましょう。陛下」
きっと、この瞬間に私は本当の意味で"病毒の王"になったのだ。
「すまぬな。しかし決意のほど、見せてもらった」
「……いえ」
応接間で、陛下と二人きり。
言いたい事は色々あるのだが、全部飲み込んで、曖昧に頷いた。
強引に売り込んだ結果、直々に取り立てられて、スピード出世した身としては、強く言いにくい。
しかし本当に、段取りを崩すのはやめてほしい。
もちろん、段取りが崩れた時に対処出来る能力が、上に立つ者として要求されていて、今回はそれを試されたのだろうが。
そうだと信じてますよ陛下。
ちょっと楽しそうな笑みを浮かべていらっしゃるのは、新しい部下が頼もしそうだからですよね?
「欲しい物を聞いておこうか。最高幹部の地位と権限は与えた。だが、それはあくまで基本的な物だ」
「……つまり、まだ何か頂けると?」
陛下が頷く。
「――何を望む?」
魔王陛下に、私はそう問われた。
「メイドさん付きの屋敷を下さい」
魔王陛下に、私はそう答えた。
「……ん?」
陛下が首を傾げる。
「……そんなもので、よいのか?」
「既に必要な物はみな、頂いております。ゆえに望むのは、ほんの少しの個人的に重要な趣味です」
陛下が眉をひそめる。
「重要な趣味……?」
「私の世界ではメイドさんはとてもとても重要なものです」
「……うむ。だが、ただのメイドではな。そなたの身辺勤務は務まらぬだろう」
「そこで提案がございます、陛下。私の監視兼護衛は引き続き必要ですよね」
陛下が苦笑した。
「はっきりと言うのだな。――だが、その通りだ。信じてはおるが、隣で見張る目は必要だ」
「同意します。規定には、最高幹部には副官が必要だともありました」
「既に規定を読み込んでいるのか?」
ちょっと驚いた様子の陛下。
渡された各種資料には目を通している。……私に、それらを読まずに魔王軍最高幹部を名乗る度胸はない。
「一通り。ゆえに、私の監視兼護衛に、副官とメイドも兼ねてもらうのが一番シンプルかつ効果的でしょう」
「……本当にメイドを兼ねる意味が?」
陛下が怪訝そうに尋ねる。
その疑問は、もっともだが。
「そこは趣味と実益を兼ねています。護衛の隠れ蓑とお考え下さい」
「……うむ」
陛下は、気圧されたように頷いた。
そして、笑った。
「その口振りでは、既に心に決めた者がいるのだろう?」
「ええ。――リーズリット・フィニスを我が副官に頂きたい」
陛下がちらりと私の後ろに視線をやる。
「……だ、そうだが?」
振り向くと、気配もなくリーズリットが立っていた。
しかしもう驚きもしない。
「あ、リーズリット。で、どう?」
「陛下の御前ですよ」
リーズリットが、感情を見せない瞳で私をじーっと見つめる。
少しして、彼女は私から視線を外し、陛下へと向けた。
「陛下。拒否権はございますか?」
「ある。副官ともなれば相性が重要だ。お前が"病毒の王"と性が合わぬと思うならば、無理にとは言わぬ」
陛下の後ろ盾があれば、私の誘いを拒否する事は容易い。
「どうして、私を?」
「直感って言ったら、怒る?」
「怒りはしませんが、もう少し詳しくお聞かせ下さい。後、陛下の御前ですよ」
私は彼女の指摘に従って口調を改めると、もう一度彼女を誘った。
「君が必要だと、感じた。だから、君に私の副官になってほしい。君は、私がこの国に必要だと感じたから殺さないでくれたのだろう? ならば、私を今後も見張り、手助けしていくのは君の仕事だと、私は確信する」
しばらく私を見つめていたリーズリットが、一度目を閉じる。
そして目を開いた時にも、やはり瞳に光はなく、感情は読めない。
しかし彼女は、確かに頷いた。
「……確かに、あなたには、お目付役が必要かもしれません」
彼女に『お願い』して、リーズリットを縮めてリズ、という呼び名を許してもらうのは、少しだけ先の話。