ウェディングドレス沼
結婚式へ向けて色々な準備を一つずつ終えていく度に、結婚するんだという実感が湧いてくる……という話を、地球で聞いた事がある。
それは本当なのだとしみじみ。
陛下へと話を通し、招待客を選定し、リズを通じ近衛師団の暗殺者さんへと協力を仰ぎ、死霊騎士達と暗殺班の死霊暗殺者を召集し、既に退役したドッペルゲンガーの娘達にも情報収集だけでもと声をかけ。
……なんだか普通の人が想像する『結婚式の準備』から、とてつもなくかけ離れているような気もするが。
それでも今日の予定は、まさしく結婚式の準備の中でも花形だ。
ウェディングドレスの注文。
私は昔から、自分がウェディングドレスを着る事はないだろうと、なんとなく思っていて。
実際、その通りになろうとしている。
――ウェディングドレスを着せる側になるとは思わなかったが。
私は今、夜の王都を、リズとサマルカンドと共に歩いている。
隣を歩く、メイド服姿のリズを見た。
ショートカットにされた銀髪が実に映える、褐色の肌。ぴんと伸びた笹の葉のような長い耳。――ダークエルフの、女の子。
月光と窓から漏れる僅かな明かりを反射してきらめく金色の瞳が、私を見返す。
「どうしたんですか、マスター?」
「ちょっとね。この子と結婚するんだなってしみじみ」
少しだけ、彼女の頬に赤味が差す。
「な、何を急に」
「こういうのはふと思う物だよ」
にこにことしていると、リズが私をじーっと見つめる。
「……どうしたの、リズ」
「いえ、ちょっと。この人と結婚するのかってしみじみ」
なんか微妙にニュアンスが違う気がした。
目的地……エリシャさんの店に到着する。
木製のドアを開けると、来客を知らせるちりんちりんという鈴の音が鳴った。
「こんばんは、エリシャさん。お久しぶりです」
閉店後、店内の商品を整理しながら待っていたらしいエリシャさんが、ウェーブのかかった蜂蜜色の髪を揺らして出迎えてくれた。
ぴこん、と髪と同じ色の猫耳が揺れる。
「お久しぶりです、"病毒の王"様! 死霊仕様の透け透け服も決まってますね!」
なお、久しぶりに会った顧客(魔王軍最高幹部)への挨拶である。
魔力布の服は着用者に馴染み……私の場合、上位死霊となった影響で、肌同様に透けている。
下の肌が透けるわけでもなく、目をこらせば後ろがぼんやりと見える……ぐらいの透け具合。
腐っても上位死霊なので、服ともども完全に実体化させて、人間として振る舞う演算も可能だったりするのだが、この状態の方が物理攻撃耐性が高いためそうしている。
単に楽というのもある。
「それで、そのー……サマルカンド様からお伺いしているのですが……結婚式に関連する衣装のご注文とだけで……」
一度サマルカンドを見た後、ちらちらと、私とリズを交互に見るエリシャさん。
「期待しても……よろしいのでしょうか?」
「ええ。……あ、私はこの恰好という事で。最高幹部としての正装でもあるので」
「はい、リーズリット様の愛の結晶のような珠玉の逸品ですもの。それで……リーズリット様にウェディングドレス……とか……?」
期待を込めた、きらきらとした目で私を見るエリシャさん。
私は頷いた。
「はい。ウェディングドレスの注文を」
「よっしゃ! ……い、いえ。それで、どのようなご注文で?」
ぐっ、と両拳を握りしめ、言動がさすがに顧客に対するものではないと思ったのか、丁寧な口調と営業スマイルを取り戻すエリシャさん。
しかし、「可愛い女の子に可愛い服を着せる事に、理由が必要ですか?」と真顔で言い切れる、とうに服飾沼に全身と魂と未来を捧げたような彼女の事。別に気にならない。専門職というのは頼もしいものだ。
そして私は、望みを叶えるためなら、何と契約してもいい気持ちだった。
「自分の魅力についていまいち理解していないこの子に、徹底的に一生に一度の晴れ舞台に着飾る幸せというものを教え込んで、骨の髄まで分からせて、心の底から理解させるようなドレスをお願いします」
「……明らかに、服の注文に使う言葉じゃないですよ!」
抑えた声で叫ぶリズ。
目をぱちぱちとさせたエリシャさんが、にいーっと、それはそれは頼もしい笑みを浮かべた。
「そういう注文、大好物です」
そしてさっとメモ帳とペンを取り出す。
「リーズリット様も含めて、何かご希望はございますか?」
「そうですね……ええと、ウェディングドレスを着た状態での戦闘が予想されるので、あまり身体は締め付けない方向で」
「ウェディングドレスで戦闘……?」
首を捻るエリシャさん。
「なんだその新境地くうこれ以上新しい性癖に目覚めろと言うのかいや待て落ち着け私……」
ぶつぶつと呟き、一部の人のみが入れると伝えられる精神世界――あるいは沼――へ没入するエリシャさん。
「――大変失礼しました。愛らしさと上品さの中に活動的な魅力を、とのご注文ですね」
しかし秒で復帰を果たして、綺麗な言葉で言い換えるエリシャさん。
もう自分を解放してもいいんだよと言ってやりたくなるが、その時本当にスムーズに注文が出来るか少し自信がないので、本人の精神力に任せる事にした。
「後は、このマフラーの着用と、スカートの中に武器を仕込めるように……でしょうか」
「はい。……具体的なデザインなどは?」
「マスターと、エリシャさんに任せます」
「ふわお……職人魂がくすぐられるわー。……じゃなくて、ええと、ご信頼頂きまして、光栄です」
内なる何かと戦うのは負担が大きいらしい。
しかしリズも慣れた様子で、特に気にした様子もない。
……何を言っているか分からない相手と接した経験が多い可能性。
「では、具体的なデザインの話という事で……」
私と顔を突き合わせたエリシャさんが、打てば響くようなハイテンポで打ち合わせを進め、彼女はメモ帳にガリガリとスケッチと文字を刻んでいく。
「純白着せたい……」
「絶対映える……」
「ちょっとだけメイド服と似たデザインを……」
「じゃあ、ここのリボンをほどきたくなる感じで……」
「分かってる……あ、ベール留めは小冠じゃなくカチューシャで……」
「合点承知……」
「基本ラインは……」
「圧倒的エンパイア……!」
「グローブはロングで……」
「フィンガーレスに白百合を……!」
「……ねえサマルカンド。言ってる意味分かります?」
熱い会話を交わす私達の輪に入れず、影に徹していたサマルカンドに声をかけるリズ。
「言葉の意味は分からねど、リズ様への愛情が伝わるようです。我らが主は幸せ者ですな。……リストレア一の伴侶を娶られるのですから」
「わ、私にまでおべっかを使わなくてもいいんですよ、サマルカンド」
「我が主に関連する事について、本心以外の言葉を口にしようなどと、思いもよりませぬな。私めは、貴方こそが、我が主に最もお似合いの方であると、心よりそう思っております、リズ様……」
リズに向けて片膝を突いてひざまずき、頭を垂れるサマルカンド。
あうあうと言葉をなくし、赤面してうろたえるリズが可愛いすぎたので、後でサマルカンドを褒める事に決めた。
エリシャさんが、メモ帳をぱたんと閉じると、不敵な笑みを浮かべた。
そして拳をぎゅっと握りしめ、力強く宣言する。
「参列者全員に、『女の子同士もいいな』って思わせる仕上がりにしてやりますとも……!」
なんて頼もしいお言葉だ。




