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病毒の王  作者: 水木あおい
6章

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病と毒の帰還


 リストレアの王都は、悲しみに包まれていた。


 戦争には勝ち、王都には住民と、避難民が共に戻りつつある。

 略奪すべき物は何も残していかなかった王都の被害は、皆無に等しかった。


 しかし、あの決戦で七割近い兵が失われた。



 "イトリア平原の戦い"でリストレア魔王国が勝利した理由は、いずれ伝説となっていくだろうエピソードと共に語られている。



 リタルサイド城塞で、従軍可能なほぼ全てが失われたはずのドラゴンが、八十騎参戦した事。


 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の演説によって地に落ちた敵軍の士気と、高まった自軍の士気。


 開幕に叩き込まれた、かつてない規模の攻撃魔法だと伝えられる、天から降った流れ星。


 攻撃魔法の盾として使われた死霊術(ネクロマンシー)の失敗作にして傑作、"不死の大巨人アンデッド・ガルガンチュア"。 


 たった四百人で先陣を切り、囲まれつつ前進を続け、最終的に僅か十数人になりながらも敵陣を突破してみせた"病毒の騎士団オーダー・オブ・ディジーズ"。


 ランク王国の竜鱗騎士団の槍騎兵を『倒した』という、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"が使用した、『生命創造魔法の奥義』によって生成された『強大な召喚生物』。


 そして最後に、"病毒の騎士団オーダー・オブ・ディジーズ"と共に戦場を駆け、さらに混迷の度合いを増していく終盤の局面において、獅子奮迅の働きを見せた黒妖犬(バーゲスト)の群れ。



 もちろん、他の魔王軍最高幹部、そして末端の兵の一人に至るまで、それぞれの役割を果たした事は間違いない。

 これが総力を結集して勝ち取った勝利である事に、疑いはない。

 ただそれでも、多くのエピソードに"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の名が見え隠れする。


 生き残った者達は、その名を尊敬と……痛みを込めて語った。


 魔法使いの身で戦場に立ち、そして帰らなかった、最高幹部の事を。



 一つの棺が、決戦の場になったイトリア平原から帰ってきていた。



 その棺を見守る者は、六人の最高幹部の中で唯一帰らなかった一人を悼み、喪服であり、最上位の礼装でもある黒を身につけている。


 棺の中身に収められているのは、一人の人間の遺体だ。 


 棺を守り、粛々と王城へ進むのは四人。

 いずれも、彼女に仕えた縁の深い者達。


 先頭を行くダークエルフの女性が持つのは、所々に火の粉で穴が空き、ほつれ、煤け、薄汚れた旗だった。

 "第六軍"の紋章、『短剣をくわえた蛇』が縫い込まれた、一目見て戦場より持ち帰られた物と分かるその旗の名前は、『病毒旗』。

 この旗を目指して敵軍が殺到し、最後の最後まで、この旗は戦場に立ち続けたという。

 ――その主が倒れた後も、なお。



 一匹の黒い犬を連れ、深緑のフード付きローブを目深にかぶった人影が、ふらりと人混みから棺の前にまろびでた。



「……何者です。その姿……この棺の中身が、誰か知っての狼藉ですか」


 病毒旗を持ち、短い葬列を先導していたダークエルフの女性が、喪服の黒レースのヴェール越しに、闖入者に鋭い視線を向ける。


「これ、誰のお葬式?」


 女性の声だった。


「"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様です……もうよいでしょう。道を空けなさい」


 その深緑と若草色のローブを重ね着した恰好は、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"がまとってより、定番となった。

 しかし、その当人の葬式に参列する恰好には、全くもって相応しくなかった。


 闖入者が、首を傾げる。



「やっぱり私死んだ?」



「……わた、し?」

 鋭い目を向けていたダークエルフの、声が震える。


「下がっておられよ、リズ殿。――フードを下ろされるがよい!」


 左腕に喪章である黒布を巻いた一人の骸骨騎士が、ダークエルフ――リーズリット・フィニスをかばうように前に出て、剣の柄に手を掛けた。


「事と次第によっては……」

「私もまだ、事と次第がよく分かってないんだけどね、ハーケン」


 ぱさり、とフードが下ろされる。


「っ……」

 棺を守っていた、四人全員の顔が歪んだ。

 骸骨のハーケンだけは表情が変わらないが、瞳の青緑の鬼火が大きく揺れる。


 ざわざわと、葬列を見守っていた市民達にも動揺が広がる。


 フードの下にあったのは、長い黒髪の女性の顔だった。

 白い肌は比喩ではなく、半透明に透けている。

 けれど、長い耳も、褐色の肌も、獣の耳も、山羊の角も、もちろん鱗も、何一つ持たぬそれは。

 紛れもなく、人間の姿だった。


 ささやかれる"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の正体の噂。

 公式発表はなく、強いて言えば公式には『種族不詳』となる。


 それでも根強くささやかれる、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の種族の筆頭は――人間。


 不死生物(アンデッド)の元の種族は問わぬというのが慣習ではあるが、人間の不死生物(アンデッド)は、少なくとも広く知られている中にはいない。


 直立した黒山羊の姿をした悪魔(デーモン)が、儀礼用の斧槍を、その顔に突きつけた。


「あり得ぬ。かの尊きお方の姿を借り、名前を騙ろうとは不遜の極み……」

「サマルカンド。その理由は?」


「私は"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様に"血の契約"を申し出て、あのお方はその契約を受け入れられた。既に契約はなく、あのお方はこの棺の中に眠っておられる。遺体は見守られ、不死生物(アンデッド)となる事もなかった。ゆえに……ゆえに……そうであるはずが……」


 言葉の最後が、震えた。

 女性は、うんうんと頷く。


「まあ、正論だね」


「……いくつか、聞こうか」

「レベッカ」


 ずい、と進み出た、黒服をまとう肌の白いエルフ耳の少女に向けて、透けた顔に笑みを浮かべて、その名を呼ぶ。

 入れ替わりに、サマルカンドの斧槍が引かれた。

 レベッカ・スタグネットは、硬い表情を崩さないまま、言葉を続けた。


「……私達の名前など、知っていて当然だ。今から、いくつか質問をするぞ」

「私に答えられる限り、答えよう」



「あの方の、妹の名前は?」



 女性の表情が、少し陰る。


「答えられぬなら、話は終わりだ」


「……私は、その質問に答えられないよ、レベッカ」

 悲しそうにうなだれた。


「では――」

「待て、サマルカンド。まだだ」

 動こうとした悪魔(デーモン)を、レベッカが制した。


「どうして、答えられない?」

「忘れちゃったから……」


 悲しそうに呟く。


「……私の、生まれた国の名前は?」

「オルドレガリア」


「私の……私の、メイドの名前は?」

「デイジー」


「っ……」

 レベッカが、後ろのリズをすがるように見た。


 固唾を呑んで見守る周囲の誰も、彼女の答えが正解かは知らない。"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"がそれを知っているのかすら。

 だが、その反応が何より物語っていた。


「――あなたが! あなたが、真にあの方であると……"第六軍"を率いた者であるというのなら!」


 リズが、病毒旗を取り落とし、黒いヴェールを引き千切るように外し、彼女と向き合う。

「リズ」



「答えてみなさい! あの方が掲げた、我が陣営の目標を!」



 女性が、透けた顔に微笑みを浮かべた。


 彼女は、地に落ちた旗を掴み、そして掲げた。

 ぼろぼろの旗が、風を孕んで、力強くはためく。

 石突きを石畳に打ち付け、その激しさに火花が散った。

 そして人が変わったかのような、朗々とした声で宣言する。



「私は、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"! 目標、人類絶滅……!!」



 リズの顔が、怒りと失望に歪んだ。

 しかし女性は、柔らかい口調で、言葉を続ける。



「基本方針は、『面白おかしく』」



 リズの顔が、くしゃりと歪んだ。


「マスター……なんですか? 本当に? 嘘じゃないですか? 幽霊じゃないですか?」

「多分そうだよ。本当かどうかは、まだよく分からない。幽霊なのは、そうかも」


 リズが、両拳を握りしめて、涙声で叫んだ。



「まだ……また、私の事大好きだって、言ってくれますか……っ!」



 ――『私』は、微笑んだ。


「何度だって言うよ」


 手に持った旗を手放すと、歩み寄って、彼女を抱きしめた。

 しがみつくように私を抱きしめ返して、声を上げて泣きじゃくるリズの背と頭を優しく撫でる。

 そして彼女の長い耳に、精一杯の愛しさを込めてささやいた。



「ただいま、リズ。……大好きだよ」




挿絵(By みてみん)




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― 新着の感想 ―
[良い点] やはり主人公は報われなくちゃ。 例え、地獄すら生ぬるい罪を犯していようと。 彼女は確かに、心の清い魔族達を、救ったのだから。 そして、リズ、レベッカ、ハーケン、サマルカンドが誰1人欠…
[気になる点] 最後、黒に溶けて〜みたいなのがあったから、バーゲストの一部になったとか? 主人公の見れんじゃなくてバーゲストの未練で [一言] しゅ じ ん こ う が し ん だ
[一言] これは.... 泣いてしまいました。
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