生命の使い方
敵軍は私――"病毒の王"を目指して、殺到していた。
位置的に本陣の大分手前の小高い丘で、病毒旗が翻っているため、実に目立つ。
敵軍にとっての『最高目標』として立っているのだから当然だろう。
駆け寄ってきて、スパイクさえ打たれていない落とし穴という、設置の容易さを買われ、また万が一友軍が引っ掛かった場合に備えてマイルドなトラップにはまり、弓と攻撃魔法の餌食になる。
防衛の要はここなので、配備されているのは各軍の精鋭揃いだ。
さらに緩やかとはいえ傾斜しているので、駆け上がるのに知らず知らずのうちに体力を使っている。
私を殺しても、もう何にもならないのに。
……というか、迂回した方がいい。
それでも人間達は、「"病毒の王"を殺せ!」という言葉を、合い言葉のように唱え――実際合い言葉なのかもしれない――砂糖に群がるアリのようにやってきて、分厚く入念な防衛線に迎撃され、瞬く間に数を減らしていく。
その例えで言うなら、リストレアの戦士達は、さしずめアリクイさんだろうか。
ここでは、ひとの命は、驚くほど軽かった。
魔法がある世界でも――いいや、あるからこそ、数が重要になる。
攻撃魔法は防御魔法か分厚い城壁でしか止められない。
身体強化魔法を使える戦士は、使えない相手に対して絶対的な脅威となる。
しかし、英雄の領域に達した者達でさえ、疲労という単純にして最強の敵には勝てない。
魔法を使わず、魔法を使える相手を倒す戦術は考案されてきた。
しかし、戦場での淘汰に耐えたのは、人海戦術しかない。
槍を並べ、弓兵を揃え、槍の林で敵を食い止め、矢の雨を降らし続けて敵の数を削る。
魔法で肉体を強化しても、皮膚が鋼になるわけではないのだ。
だから、捨て駒として大量の一般兵が用意され……その物量差がそのまま、人類の対魔族同盟と、リストレア魔王国との戦力差だった。
結局の所、数の論理だ。
そして、質が伴うに越した事はない、という至極つまらない結論が戦場の真理となる。
数の優位を切り崩すための小細工は、十分に弄した。
魔法使いの数の差は、ここまでの行軍と、初撃たる"流星"で防御魔法使いが、尖兵たる"不死の大巨人"で攻撃魔法使いが消耗した事で、かなり形になっている。
"火球"、"稲妻"、"吹雪"。元素魔法の主要三属性と呼ばれるメジャーな攻撃魔法が乱れ飛び、矢が空を埋め尽くすほどに射かけられ、それら全てを防御魔法"障壁"が弾いていく。
いや、全て、ではない。力尽きたり、展開しきれなかった隙間に攻撃魔法と矢が飛び込んで、その隙間を押し広げていく。
混戦の様相を呈する地上へ、上空からドラゴンが突っ込み、一撃離脱で何人か引っかけていく。
施設破壊が目的だった帝都攻めとは違う。弓と攻撃魔法が狙うが、時に回避に徹し、反転し、攻撃魔法はともかく矢が失速し、ばらばらと敵軍の上に落ちて小さな混乱を誘う。
リズが最悪と言った戦術だ。竜の力に人の知能を併せ持つドラゴンナイトにされたら、という話だったが、今は遙か上空を悠然と輪を描いて飛ぶ白銀の竜――リタル様が指揮官としてこの戦場にいるのだ。
それでも――安全に寄せた運用でさえ、目の前で一匹、皮膜を攻撃魔法で吹き飛ばされた竜が、両軍を巻き込んで地上に落ちた。
人が、火も、鉄も、魔法も手にしなければ、人と竜が戦場で殺し合う今の光景は、きっと存在しなかった。
「突撃!」
剣戟の音と怒号、攻撃魔法の着弾音、魔法障壁が砕ける音――戦場の喧噪の中に、高らかな声が混ざり、溶けていく。
旗を見ると、ランク王国。鎧は揃いの鱗鎧。――それも、あのリタル様と共に付き従うドラゴン達でおなじみのあかがね色は、竜鱗。
長い馬上槍に、盾。盾には旗と同じ、『槍を交差した二匹の竜達が支える盾』。
まさしくランク王国の竜鱗騎士団が誇る、槍騎兵共だ。――百近くも。
「よく飼い葉用意出来たなっ……!」
あの数の軍馬を維持するのに、何人を飢えさせたんだか。
ランク王国らしい、予算の掛かる兵種だ。
それでも戦場で喉から手が出るほど欲しい突破力を持つ、ただの騎兵に大した価値のないこの世界で、真に価値のある『騎兵』。
迎え撃つのは、揃いの黒い鎧を着た騎兵達――暗黒騎士団の重装騎兵。
指揮はダスティン・ウェンフィールド――現当主自らの出陣だ。
しかし重装騎兵は五十に満たない。
「――私の言う通りにしろ。『攻撃魔法』で援護を行う」
「ろ、"病毒の王"様自ら?」
近くの、茶色いローブをまとった魔法使い達が戸惑うのが分かる。
私に戦闘能力がない事は、当然聞いているのだろう。
私は杖を掲げた。
しゃらん、と鎖が揺れ、繋ぎ止められた青い宝石が一際強く輝く。
「術式選択。――"粘体生物生成"!」
実はこの魔法によるウーズの召喚場所は、多少融通が利く。
例えば、敵軍が騎兵で突っ込んでくる少し手前の上空とか。
「"粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"!」
懐かしさすら覚える『攻撃魔法』を連打。
魔力消費は軽めで、連打にも慣れている。
具体的に言うと、毎日百回以上使った。――入浴のために。
長風呂したい時はもっと使った。
優雅に朝風呂をしてリラックスし、庭でバーゲストと遊んだら汚れて夕方にまたお風呂に入った事だってある。
リズには、「なんでマスターはそんなお風呂好きなんです?」と言われる。
魔法使いの強さとは、魔力量と、想像力と、鍛錬の量……すなわち、魔法の使用回数で決まる。
私より"粘体生物生成"に熟練した魔法使いは、リストレアの公衆浴場従業員しかいないだろう。
周りの魔法使い達も、躊躇いながらも命令に従い、"粘体生物生成"を、同じ場所に向けて詠唱していく。
うぞうぞとうごめく、黄緑色の沼が出来た。
敵は避けない。
既に突撃姿勢で、スピードも乗っている。
ウーズはあまり人間に馴染みがないし、ウーズについて知っていれば、尚更かもしれない。
ただうごめくだけのいきもの。
粘性が高く、同時にぬるっとした。
実に面白いように馬脚を取られ、すっ転んでいく。
それでも落馬の衝撃で動かなくなったのは数人で、多くは馬を捨て、抜剣し、徒歩でこちらを目指す。
――騎兵から馬を引き算したら?
それはもう、ただの歩兵だ。
騎士と言えば騎士ではあるが。
この世界の騎兵が数が少ないのは、馬ごと強化魔法を使える者が少ないからだ。
この四百年、戦争というものが攻城戦を中心に考えられてきたのもある。
しかし、それでも馬は人よりも身体が大きく、機動力に優れ、蹄の一撃は戦鎚に等しい。
こちらの騎兵突撃を受けきれるものではなく、ご自慢の竜鱗鎧も突き倒された後、体重を乗せて踏み潰され、『中身』を壊されたら、大した意味はなかった。
「……凄い……"粘体生物生成"で……竜鱗騎士団を……」
「本当に凄いのはうちの重装騎兵だぞ。でも、ちょっとした工夫で変えられる事もある」
そしてこちらへ向かう次の集団へ、再び杖を向ける。
今度は騎兵ではなく、歩兵だが。
「"粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"!」
当然連打。ウーズは徹底的に弱いが、踏めば滑るし、上空に生成して落とせば、意外と痛いのだ。
入浴時に遊ん……実験は済ませてある。
そして何より、何故ウーズ風呂入浴時はそのままだが、天然物を飲用にする際、『二十倍に希釈』するのかを考えれば――
リズの先輩方から『お礼状』が届いたほどに、この日常生活用魔法は攻撃的運用が可能なのだ。
数は多くないが、何人かが運悪く顔面に浴びせかけられ、引きはがせないまま窒息する。
空気を通さない、ぬめった水気のある粘体生物。それがウーズだ。
六十度を少し超えたぐらいで死ぬ。
マイナスになるぐらい冷やしても死ぬ。
実は結構デリケートなので、強く叩けば衝撃で死ぬ。
全く強い生き物ではない。地球でいうミミズとかダンゴムシとかバクテリア的な、森や水中の分解者だ。
が、これは召喚生物だ。魔力さえあれば形作れるほどに単純な生き物。
疑似生命を生み出すに至った生命創造魔法の恐ろしさは、それが何のリスクもなく連打出来る所にある。
派手な攻撃魔法は地味な防御魔法に防がれる。しかしウーズは展開された障壁の上に落ち、一部は衝撃で死んで淡く白い光となって消えていくが、生き残った個体がうぞうぞと動き、次のウーズの衝撃緩衝材になる。
「"粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"! "粘体生物生成"!」
連打し続けていると、重量が無視出来ないレベルに達していく。ギシギシ、と軋む音が聞こえるようだ。
パリン、と軽く小さい音が聞こえた。展開していた魔法障壁が一つ割れ、そこにウーズがどどっとなだれ込む。
それで死んだ者は少ないだろう。
だが、防御魔法を切らせば、すなわち死だ。即座にそこを目掛けて攻撃魔法が雨のように降り注ぎ、ウーズごと敵集団を蒸発させた。
それによって生まれた穴を起点に爆発が連鎖していき、術者を失った事で防御魔法が消えていく。
いつかの、城壁の上のように。
この戦争が終わったら、多分"粘体の王"と一部で呼ばれる事になるだろう。
――いや。
「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」「「「「「"粘体生物生成"!」」」」」
私の周囲で、大合唱となっていた。
群がってくる軍の動きが、目に見えて鈍る。防御魔法の負担も大きいだろう。
攻撃力という点では物足りないが、魔力消費に対するコストパフォーマンスは、思った以上に高そうだった。
怪しげな"粘体生物生成"の運用を、即座に戦術に組み込む様は、さすがにベテラン揃いだけはある。
「ふざっ……けるなあああああああ!」
ウーズまみれになった一人の騎士が、面頬付き兜のせいでくぐもった声で叫ぶ。
――多分ランク王国の騎士だと思う。特徴がないので。
叫びながら、転ばないように気を付けて駆け寄ってくる。
踏み散らかされたウーズは哀れだ。
「お前達に誇りはないのか! このような……このような、戦いを汚す真似をおおおおおおおおおおおおおッ!!」
怒りの声を上げる。顔も見えないが、血管が浮き出ているのが分かるようだ。
私は仮面の裏で薄く笑う。
「――そんな物を"病毒の王"に求めるとは、おめでたい奴だな!」
こちらの防衛線から笑い声が上がり、その騎士は叩き付けられるウーズに突進の勢いを殺されたところを、弓の的になって死んだ。




