屍の盾
世界に、一本の線が引かれた。
網膜に焼き付くような残像。光の尾を引いて空を走った流れ星が、一筋の閃光となって、戦闘前のたしなみとして全力展開されていた無数の魔法障壁――"障壁"の群れを粉砕した。
ガラスが割れるような音が、連続して鳴り響く。世界中のクリスタルガラスのシャンデリアを同時に叩き割れば、そんな音になるかもしれないという音だ。
世界そのものが悲鳴を上げるような轟音と同時に、地面が不気味に震動し、大気が膨大なエネルギーに耐えかねて軋むのが分かった。
そして障壁が対消滅する際の光が眩く輝くと同時に、余波が私の所まで風となってやってきて、ローブの裾をはためかせた。
敵軍は――まだ健在ではあったが、中央に大穴が空いている。
敵軍が欠けた比喩表現ではなく。
地面が抉られ、中心が煮えたぎり、一部が熱でガラス状になってきらきらときらめく、巨大な大穴。イトリアクレーター……とでも呼ばれる事になるだろうか。
それこそ敵軍の一割ほどは吹き飛んだのではないかと思う惨状。
しかしそれでも、敵軍の防御魔法使いは優秀のようだった。
私が心配していたのは、敵軍に被害を与えられない事ではなく、私達ごと吹き飛ぶ事だったから。
決戦用術式、"流星"。
魔王陛下と"旧きもの"リストレア様の話では、理論上完成してはいたが、運用上の問題を抱えていたという。
いわく「起動のための魔力が足らなかった」と。
それを解決……『してしまった』のが、"血の契約"。
私とサマルカンドは、結果的に、私のとこに相談に来たリストレア様の背中を押した形になり――"血の契約"は、彼女の魔力を一段高いレベルに引き上げた。
さらに、多分魔法的に大陸最強カップルだと思われるお二方の間に魔力ラインを確立。魔法使用時の魔力消費を、半分こ出来るようになったという。
実は私とサマルカンドも同時に魔法行使が出来るはず――との事だが、両者が同じ魔法を使える事が前提なので、結局意味のない話だった。
私にとっては。
あの二人の場合は、単純に一つの術式に、二人分の魔力を注ぎ込めるようになって、さらにリストレア様の分は増えている……という事で、起動魔力は足りるだろうと。
そこまでして、どんな魔法を使うのかと思えば……発想が頭おかしかった。
"流星"は、成層圏を越えて魔力の手を伸ばし、そこにある星を引きずり下ろす『だけ』の魔法だ。
起動魔力が足らなかったというのも納得。
なんと最初は、目立つ天体である『月』に干渉出来るか試したとの事。
その時のリストレア様のお言葉が「落とす気はなかったが、月がなくなっても、夜が暗くなるぐらいであろう」。
思わず「月に謝れ!」と叫んでしまった。
潮の満ち引きとか色々あるし、引力の釣り合いとかは正直奇跡的なレベル。
他にも夜間飛行する虫が目印にしていたり……とにかくもう、色んな面で影響が大きい天体なのだ。
そして成功していたら、間違いなく大陸は消滅していた。
いや、惑星が怪しいレベル。
一日が二十四時間(多分)で、重力が1G(体感)というのは、地球と同じデータを適用してもいいという事だ。
地球の月と同じと仮定するなら、直径三千キロメートルを超える。大体この星の四分の一ぐらいという比率も同等のはず。
なお、地球の歴史上何度か起きた大量絶滅の引き金になったと言われる隕石は、そのどれもが直径十キロメートル程度と推測されている。
文字通り、桁が違う。
天文学に悪影響が出ないかは心配だったが、惑星の命運を左右する問題なので、一部地球の知識を解禁した。
とは言っても基本的な宇宙と天体のイメージを伝え、引き寄せる物は『星』と呼べないような、それこそ小さな岩でいいと伝えたぐらいだ。
そもそも流れ星というのは、小さな石ころが大気圏に突入する際に前方の空気が圧縮され、高温となって光る現象だと。
間違っても月のような巨大な天体を落とす必要はないのだと。
燃え尽きてはいけないわけだし、なるべく被害も与えたい。
しかし……正直、威力が高かった時の『被害』が、洒落にならないので。
国や種族が滅ぶだけではなく、それこそ生きとし生けるものが、未来永劫存在しなくなる可能性まである。
敵軍も防御魔法を展開『してくれて』いるはずとはいえ……多分、この場で一番怖かったのは私だと思う。
そりゃ爆心地の人達も怖かったろうが、地表全土が焼き払われ、地軸がずれ、この星が氷河期に突入する可能性もあった。
むしろこの戦争における"病毒の王"の最大の功績は、陛下とリストレア様が、限界サイズの岩塊を引き寄せてしまう悲劇を回避した事にあるのではないかと思うぐらい。
全軍が粉砕されていれば簡単だったが、実際そうするだけの破壊力が生まれていれば、私達が無事かも怪しいので、これで良かったのだと思う。
敵軍の被害の凄まじさゆえに目立ってはいないが、こっち側の障壁もパリンパリン割れてたし。
陛下とリストレア様の『努力』は、さすが建国時の英雄達は桁が違うなあという規模だったが。
うちの死霊術師さんの『努力』も、見た目では負けていない。
私達の背後の闇の森から、巨大な肉の巨人が、伸び上がった。
"不死の大巨人"。
死なぬのではなく、それは生きていない。全身を構成する、一部が腐りつつある色の悪いピンク色の肉塊の中から、時折薄汚れた骨が突き出ている。
頭と手はあるが、足はなく、腰から下は不定形の肉塊のまま。
その頭にしても、肉の塊の三カ所がくぼみ、醜悪な擬人化をされたような顔だ。
眼球と口に相当する所には不死生物特有の青緑の鬼火が灯る。
ずるずると、手を使って這いずるように進んでいく。
のろい動きに見えるが、巨体ゆえに意外と速い。
敵軍から攻撃魔法、主に"火球"が巨人を構成する腐肉に突き刺さり、肉片と汚汁を弾け散らせながら、爆発していく。
頭が欠け、左腕が吹き飛び、みるみるうちに削り取られていく。
落ちた肉片の一部が再統合されるが、吹き飛ぶペースの方が早い。
そして胴体に大穴が空いたのを皮切りに、集中砲火を浴びて、黒焦げの残骸になって、歩みを止めた。
それでもなお、ずるずると動こうとするそれの、感情のない動作に恐怖を掻き立てられたのか、さらに執拗に"火球"が叩き込まれていく。
防御魔法なしであのサイズでは、標的になるのも仕方ない。
いい具合に焼けてきたので、ちょっと焼き肉の匂いが混じるのは、元が家畜の肉だからか。
レベッカは上手く使うと言っていたが、これでは――
……違う。
これが、最適解だ。
私は、レベッカに聞いて知っている。
"不死の大巨人"が、一流所はまず使わない、サイズだけが取り柄の不安定で弱い不死生物だと。
これの材料が、その威容にそぐわない、食べ残しの骨と肉であると。
人間は、きっと知らない。
あんなサイズで、あんなおぞましく見える――ご丁寧に顔まで付けた――バケモノが、恐ろしく見えないはずがない。
近付く事を選択せず、遠距離からの攻撃魔法の集中砲火を浴びせたのは、それゆえだ。
だが、それは浪費。
あの威容を利用した、壮大な囮作戦に引っ掛かっただけだ。
もちろん、腐っても大型アンデッドなので、対処せねば一般兵が潰されていくが、知識を持っていれば、もう少しやりようがあっただろう。
最早原形を留めない"不死の大巨人"の残骸を踏み越えて、ハーケンが率いる"第六軍"の死霊騎士達――"病毒の騎士団"が、黒妖犬を引き連れて突撃する。
そこへも"火球"と"吹雪"を中心に無数の攻撃魔法が飛んできて降り注ぐが、上面に全力で展開された防御魔法"障壁"が、明滅しながらもそれを受け止めた。
地面で待機していた竜族達が、地を蹴って空に上がる。
演説による士気の増減も、決戦用術式も、決戦兵器(囮)も、戦争の華だが。
ここからの、戦力を、兵を、命を削り合う、泥くさく、血なまぐさい戦場こそが、戦争の本質。
本当の意味で、戦争が始まった。




